誘われるままにエッセイを書いてみることにした。エッセイとは 『随筆。自由な形式で書かれた思索的色彩の濃い散文』 とある。要するに書きたいことを好きなように書けばいいということだ。 「よし、これも何かの縁だ。千葉に対する想いや今までに経験してきたことを素直に書いてみよう。」 決めた。

  タイトルは 『Thousand Leaves』。 不思議なことにどういう意味なのかすぐに気付いた人は少ない。 “サウザンド・リーヴス”…文字通り “千の葉” だ。 “千葉”、このよく考えるとロマンチックな県名はご存じの通り、鎌倉時代の御家人、千葉氏の名に由来している。当時は土地の呼び名がそのまま名字になることが多かったから千葉一族の住んでいた地域は緑豊かな所だったに違いない。 おもしろそうだから調べてみたら、明治6年、現在の “千葉県” になる遙か昔、大化の改新で上総 (かずさ)、下総(しもうさ) の二国に分けられる前から “総の国” と呼ばれていたらしい。(のち、上総から安房が分離した。) “総” も “房” も 「ふさ」 と読む。地図を見ると確かにふさのようにぶら下がっているけれど、そんな昔の人たちが感覚的にでも形を知っていたとしたらおもしろい。ちなみに “総” は当時栽培されていた麻のことを指し 『ふさふさと麻が繁る』 という意味に由来する、という説もある。

  正直に言うと千葉に対する想いが大きくなってきたのはここ数年だ。もちろん生まれ育った町 (匝瑳郡光町) は大好きだし、高校野球の季節になると予選から結果が気になったりはしていた。想いが大きくなったというよりは特別になった、という方があたっているかもしれない。ましてやBRU (Boso Rockers Union) なんて大仰な名前の集まりの代表になるなんて昨年まではまったく考えてもいなかった。なぜ今、BRUなのか。言葉にするのは難しいが記念すべき第1回だ。そこのところを書いてみようと思う。

  僕は 「BARAKA」 というロックバンドでベースとヴォーカルを担当している。1997年に結成された3人組のバンドで、2000年からは毎年、海外でもライブ活動を行っている。海外に出ると否応なしにアジアを、そして日本を意識させられる。日本の精神や考え方を改めて考えさせられることが多かった。それも極端にいい所と悪い所を突きつけられる感じなのだ。海外に出なかったら自分たちのアイデンティティーと向き合う機会には恵まれなかったかもしれない。そして日本人としての美徳、悪徳の先にそれぞれの生まれ育った場所や環境が大きく関係しているんだなと強く感じた。僕の場合はそれが千葉だった。 BARAKAは結成以来、国内はもちろんイギリス、アメリカ、カナダ、タイ、オーストラリア、韓国でも公演し、これまでに約270本のライブを経験してきている。それなのに2年前まで千葉県でのライブは成田での2本しかなかった。関東の他県でも極端に少ないところをみると千葉や横浜、大宮等は東京圏内としてみなしていたのか…近すぎて見えてなかったのかもしれない。

  そんな時、千葉市のライブハウスでのライブの誘いを受けた。2004年7月24日、今考えるとこの日の出会いが新しい道を決定付けた。 対バン (同じ日に同じ場所で演奏するバンドのこと。通常は1日に3〜4バンドが出演する。) のメンバーやお客さんに驚かされた。まず、BARAKAに千葉出身のメンバーがいる、ということで温かく迎えてくれた。 「先輩!待ってました!」 とばかりに思い切りの笑顔で接してくれたのだ。 更に、たくさんのバンドの横の繋がり。そのライブハウスを中心としたバンドの輪は、この時点でもすでにかなりのネットワークが構築されていた。そして、ライブの楽しみ方の見事さ。日本のお客さんはかなりおとなしい。(もちろん土地、土地によって乗りも雰囲気もまったく違うがこの話はまた別の機会に。) その日のお客さんはロックのライブの楽しみ方を知っていた。バンドと一緒に空間を作る喜びを知っていた。どんなコンサートでも舞台でも、双方のエネルギーのぶつかり合いがマグマを生む。何の気負いもなく自然体で楽しんでいるみんなを見てほんとうに気持ちがよかった。この “熱さ” を、素晴らしい横の繋がりをどうにかできないものか、僕の経験を活かせないだろうか、千葉のために何かできないだろうか…。考えているうちにひらめいた。ここでしかできないものを作ったらどうだろう。誰もが羨むような…。千葉県に住んでいる人、働いている人、所縁のある人、楽器をやっている人、音楽が好きな人、プロもアマも関係なくみんなが自由に関われるそんな集まりを…。

  数日後、ライブに誘ってくれたAさん、対バンのリーダーMとN、そして僕の4人は新宿にいた。BRU設立の話をするために。 幾千の葉が茂る枝を、その枝を抱 (いだ) く幹を、その幹を支える根を、しっかりと確実に育てていけたらと願っている。
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