ぼくたち4人は、電車を乗り継いで予定の時間より早く赤坂駅に着いた。TBSテレビは、駅の眼前にあり、丘の上にそびえるようにして建っていた。途方もなく大きく見えたこの建物は、今はない。(※TBSテレビは1994年10月3日、ビッグハットと呼ばれる現社屋
「TBS放送センター」 に移転した。) TBSテレビには、その後、何度となく訪れることになるのだが、当然ながら、この時は、そんなこと夢にも思わなかった。入り口の前に立つと、ビル全体が活気のようなものに包まれているのが、肌を通して伝わってきた。出入りする人たちは、皆どことなくキリッとしている。『さすが、メデイアの中心のひとつ、テレビ局だ』
緊張は増すばかりだったが、ここまで来て引き返す訳にはいかない。さあ、いよいよだ。ぼくたちは討ち入り前の赤穂浪士のように心をひとつにした。
オーディションが行われるFリハ室は6階にあった。エレベーターを降りると、そこには無機質な空間が広がっていた。1階とは打って変わって、静けさだけが重く漂っている。広い廊下が長く続いている。右を見ても左を見ても誰もいない。壁には
『私はNo.1 オーディション会場 →』 という貼り紙が無造作に貼られていた。矢印の方向にしばらく歩くと、Fリハ室はすぐに分かった。部屋の前で立ち止まるが、中からは物音ひとつ聞こえてこない。まだ、誰も来ていないのだろうか。ぼくたちは不安気な顔を見合わせてから、ゆっくりとドアを開けた。
Fリハ室の中には何人かが座っていた。オーディションを受けに来た人たちだろう。皆、一様に引きつったような顔をしている。椅子は部屋の後ろの壁を背にして、横に3列ほど並べられていた。椅子の列の前には広い空間があり、その前方には審査する人たちの席だろうと思われる机と椅子が、3列の応募者席と向かい合うような形で置かれていた。ぼくたちは後方に並べられた椅子の最前列に、4人並んで腰を降ろした。話ができるような雰囲気ではない。ぼくたちはただ、無言のまま成り行きを見つめているしかなかった。
その後も何組かの人たちが、部屋に入って来ては後ろの席に着いた。オーディションを受けると思われたのは10組ほどだった。そして、沈黙はすぐに破られた。4時を少し過ぎた頃、見るからにそれと分かる人たちが4人現れた。案の定、彼らはぼくたちに向かい合う形で座り、席に着くなり書類に目を通し始めた。「お待たせしました」
4人の中で一番若い、アシスタント・ディレクターらしい人の声が部屋に響いた。
4人は部屋の中を見渡すと、『期待持てないな』 と、いうような顔をした。少なくともぼくには、そう見えた。いや、彼らには、最初から期待なんてものは、なかったのかもしれない。『私はNo.1』
というコーナーは始まったばかりだ。この先、どう転がるかなんて、誰にも分からないし、まだまだ少ない応募者の中に、番組に合うような逸材がいるとは思っていなかったのだろう。「これから
『私はNo.1』 のオーディションを始めます。名前を呼ばれた方は前に出てください」 はっきりとしたよく通る声が幕開けを告げた。
オーディションは挨拶なしでいきなり始まった。会場の緊張はピークに達している。『1番目はどうにか避けたい』 ぼくたちだけではなく、応募した誰もが、そう思っていたに違いない。口火を切る役を任せられたのは、20代中ごろだと思われる女性だった。素朴でおとなしい人に見えた。素人が出演するコーナーとはいえ、テレビに出るようなタイプには見えなかった。『トップだなんて、何だか、生贄のようだな』
ちょっとかわいそうになった。この女性がどんなことをするのか、どんな風にことが運ぶのか、部屋にいたすべての人たちは興味津々で見つめていた。彼女は前に進み出た。
「○○さんですね。新潟からいらしたんですね…。遠いところ、ありがとうございます。25歳、家事手伝い…」 ディレクターだろう。机の真ん中に座った中心人物らしき人が、書類と顔を交互に見比べている。「えーと、○○さんはものまねNo.1ですね。では、やっていただけますか」
アシスタント・ディレクターが声をかけた。『ものまね?人は見かけじゃ分からないな』 ぼくは固唾を飲んで見守った。女性に怯む様子はない。それどころか、びっくりするほどの大きな声で返事をした。「○○です!シジミ売りの真似をします!」
『すごい、この自信は何なんだ…』 ぼくは、彼女の威勢の良さに驚きを隠せなかった。
彼女は、ちょっと腰を落として天秤棒を担(かつ)ぐしぐさをすると、やおら歩き出した。「しじみぃ〜、しじみっ」 「しじみぃ〜、しじみっ、とおってもおいしいしじみだよぉ〜」
「しじみぃ〜、しじみっ」 Fリハ室の中は一瞬にして微妙な空気で溢(あふ)れ返り、その場に居たすべての人の目が点になった。『ええっ、何なんだ、これは…』
『何が始まったんだ?』 皆、どんな顔をしたらいいのかさえ分からない。笑いを堪(こら)えている人もいる。アシスタントらしき人が途中で、遮(さえぎ)った。「はい、分かりました。○○さん、他に何かありますか?」
彼女は間髪を入れずに答える。「次は金魚売りをやります!」 声には更なる自信がみなぎっている。「きんぎょ〜え〜、きんぎょぉ〜」 「きんぎょ〜え〜、きんぎょぉ〜」
張り上げる声は哀しくも虚空に溶けていく…。「……」 「……」 「……」 今度はアシスタントさえ口を挟めずに、全員で演技が終わるのを待った。「ありがとうございました!」
彼女は金魚売りの演技が終わると、満足気に頭を下げて席に戻った。「あ、ありがとうございました…」 机に座る4人が揃って頭をさげた。
「CHILDのみんな、前に来て」 数組後に出番がやってきた。場にも馴染んできている。それまでの応募者もたいしたことはない。ぼくたちは自身を持って進み出た。ぼくは、持参したカセットテープとCHILD
FAN NOTEを手渡して言った。「CHILDです。よろしくお願いします」 堂々と告げたまではよかったが、試練は突然やってきた。「高校生か、千葉から来てくれたんだね。ロックンロールNo.1、バンドか…じゃあ、演ってみて」
ぼくたちは一瞬、耳を疑った。「演るって、何を???」 顔を見合わせて、いぶかしんでいるぼくたちにディレクターは続けた。「だから、演奏してるところを見せてよ」
ぼくたちはバンドだ。そう言われて、すぐに演奏などできる訳がない。ギターやベースさえないのだ。質疑応答をして、録音してきたカセットテープを聴くものとばかり思っていたのだ。「あのう…楽器がないんですけど…」
ぼくたちは訴えた。だが、「そんなのは分かってる。だから様子を見たいんだ」 まったく取り合ってもらえない。半分パニック状態に陥ってしまったぼくたちには、どうしたらいいのかまったく分からない。
「だからさ、歌ってよ。ギターもグイーンとかやってさ…ドラムもジャンジャン演ってよ」 「……」 困った…要求されたことがどんなことかは何となく分かったが、それをどうやって表現しろというのだ。ぼくたちは焦りに焦った。「どうする?」
「どうするったって…」 「やるしかないよ」 「どうやって?」 話はまったくまとまらない。「早くしてくれないと困るなあ…」 ディレクターらしき人は腕時計を見ながらせき立てる。『どうしよう…』
『どうするんだよ…』 何の解決策も見い出せないまま、突然リッカが叫んだ。「じゃ、じゃあ行くぞ!」 「えっ、えええええ〜?」 「ま、待てよ!」
「行くってどこへ…?」 「ワン、ツー、ツリー、フォー」 リッカはカウントを出した。 (つづく)
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