生まれて初めて映画の試写会に行ってきた。映画は大好きなのだが、なかなか劇場には足を運べない。最近は、時間ができた時にケーブルテレビやDVDを観るのが精一杯だった。試写会には、今までにも何度か誘われていたのだが、どうにも時間が合わずに残念な結果となっていた。今回やっと、試写会の日とぼくの仕事の谷間が重なったという訳だ。

  上映されるのは六本木ヒルズにある映画館。六本木ヒルズの隣にあるテレビ朝日には、仕事でしょっちゅう出かけるのだが、六本木ヒルズに行くのは初めてだ。新宿から地下深くを這いまわる大江戸線を使うと、思ったよりも早く着いた。六本木駅からヒルズに向かう途中で、和風のカフェに立ち寄り、抹茶豆乳オーレで一息入れると映画館へと向かった。入り口では関係者と思われる人たちが足早に動き回り、特別に設けられた受付にも気持ちのいい緊張感がみなぎっている。行儀よく並ぶ人たちを待たせまいと、通常の何倍もの人たちがテキパキと行列を捌(さば)く姿は見ていて気持ちがいい。ぼくも高揚した面持ちの人々に混じって、招待券をチケットに交換してもらい、ゆっくり席へと向かった。

  映画には、想像以上に多くの人が携わり、膨大な時間と甚大な費用がかかる。“創造者のエネルギーの結晶”と言うべき芸術、それが映画なのだ。そんな作品のお披露目の日、試写会こそ、まさに晴れの舞台。会場の空気はピンと張り詰め、映画関係者と観客、双方の期待が程よい均衡を保っていた。監督、出演者の挨拶があり、映画は予告もなく始まった。


  映画「誰も守ってくれない」を観ている間、そして、観終わった後もしばらく、心の中であるモヤモヤが蠢(うごめ)いていた。この得体の知れないモヤモヤには覚えがあった。例えるなら、東京タワーの天辺でシーソーに乗せられたような、そんな感覚なのだ。この感覚はいつかどこかで体験したことがある。それはいつだったのか。ぼくは思い出せないままでいた。

  その瞬間は突然やってきた。忘れていたアルバムのタイトルをふと思い出した時のように。映画を観ているときから、ぼくの脳が探し始めていたのは、ある小説を読んでいた時の心のありようだった。その小説とは三浦綾子の名作「氷点」だ。この小説のテーマは重い。善悪とは何か、人の心とは何か…誰もが触れられたくないような心のひだにまで迫ってくる。試写会で感じたモヤモヤは、「氷点」を読んでいた時に心を覆っていた、持って行き場のない不安だったのだ。

  「誰も守ってくれない」は、殺人を犯してしまった未成年の家族の物語を中心に進んでいく。殺人者の母は自殺に追いやられ、中学三年生の妹、沙織(志田未来)は戸惑い、パニックに陥ってしまう。佐藤浩市扮する勝浦刑事は、沙織を執拗に追い回すマスコミや世間の目から守るために彼女を隠そうと、力を尽くす。人の心は常に変化していて、瞬時にして神にも鬼にもなれる。この映画は、なるべくなら平穏でいたい、と願う人々に、そのことを思い起こさせてしまうのだ。観る人は、誰もが『自分は“被害者の家族”にも、“加害者の家族”にも、そして、“人の不幸に纏(まと)わりつく第三者”にもなりうる』という残酷な宣告を受けることになる。観ている間、心は不安定なままだ。心は複雑な情報に狼狽し、迷い続ける。被害者のいたたまれない場面やその家族の嘆き、苦しみは映像化されていなかった。もし、カメラがその場面に少しでも触れていたとしたら、観る人はもっと深く迷い、苦しむことになっただろう。


  主役のふたり以外の役者陣も充実している。松田龍平、柳葉敏郎、佐々木蔵之介、佐野史郎、石田ゆり子、木村佳乃ら実力ある俳優たちが脇を固め、スクリーンにおける適材適所の心地よさを感じることができた。彼らのように顔を見知った役者に混じってひとり、気になる役者がいた。沙織のボーイフレンド役の冨浦智嗣だ。まだ若い冨浦くんには申し訳ないが、俳優としての彼に注目したのではない。ぼくは、彼を沙織のボーイフレンド役に選んだ監督、あるいは演出家の意図に、空恐ろしいほどのメッセージを感じてしまったのだ。彼はまだ声変わりをしていない。いや、もし、していたとしても、そう思わせるような声を持っている。まるで女の子のような声なのだ。登場した瞬間は、親友の女の子だとしか思えないのだが、すぐに沙織のボーイフレンドだということが判明する。この弱々しい少年には何もできないだろうな、と思わせるほど優しげだ。観ている誰もが思わず『殺人者は許せないが、妹に罪はない。君だけは力になってやってくれ』と感じてしまったに違いない。沙織はそんな彼を誰よりも信頼し、危険を投げ打ってまで会いに来てくれた彼と逃亡してしまう。

  だが、彼は彼女を売った。ネット上で晒し者にしてしまったのだ。その所行は、まるで悪魔だ。優しさを振りかざしての裏切りは卑劣きまわりない。そんな彼の声が、ファウストを誘惑するメフィストフェレスを連想させるのだ。悪魔はこんな声だったんじゃないか、と思わせるような妖しさを醸し出す彼の起用は、もし、意図的でなかったとしても、ものすごい効果を生んでいる。不幸の底にいる人を笑顔で欺くような真の残酷さは十分に描かれた。


  被害者、加害者、傍観者をうまく対比させた映画に黒澤明監督の「羅生門」がある。ならず者、役人、その妻、そして、第三者、4人の告白はその都度、観客の気持ちを変化させるが、結局、真実は語られない。観ているものは声の主に感情を向けてしまうから、それぞれの言葉に対して尤もだと頷いてしまうのだ。「誰も守ってくれない」は「氷点」や「羅生門」のように、人の心は簡単には白黒つけられない、そして、人の心の中には天国と地獄が存在する、ということを教えてくれる。


  モントリオール世界映画祭で最優秀脚本賞を受賞した、君塚良一監督の「誰も守ってくれない」は2009年1月24日からロードショー公開される。

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