2月も半ばになると寒い中にも春の兆しがちらほらと見えてくる。2月は如月 (「生更ぎ」の意。草木の更生すること) と言う。如月は衣更着とも書く。寒くて衣服を更に着込むのではなくて、暖かいと思って脱いだ衣を更にまた着込む、という意味だ。三寒四温を繰り返して春になってゆく。この季節のぽかぽかとした昼下がりは本当に気持ちがいい。

  11編目のエッセイとなった。大変だと思うこともあったが、書きあがった瞬間の喜びはかなりのものだ。毎月3度も心地よい達成感を味わっている。今までの10編を読み返してみると数字に関連付けた話がいくつかある。八犬伝を8番目に書いていたら完璧だったのに…とちょっと残念に思うが、その時々に書きたいものを書くというのが初志だからこれはしょうがない。エッセイは “題材” さえ決まってしまえばこっちのもの。半分以上は書けた気分になる。興味のあること、好きなこと、それに仕事を含め今までに経験してきたこと、子供の頃の思い出話等を書く訳だから話題はいくらでもありそうだが、そううまくはいかない。今回はテーマが決まらないまま書き始めてみた。茶飲み話のつもりで読んでほしい。

  自分の自由な時間を過ごす時にしたいと思うこと、それが趣味だ。音楽は仕事にもしてきたがもちろん趣味でもある。音楽以外の趣味もいくつかある。映画を見ること。本を読むこと。スポーツを見ること。散歩…等々。歳を重ねるにつれて自分の好きなことがはっきりしてくる。これは一生やらなくてもいいや、と切り捨てることが怖くなくなるからむしろすっきりするのだ。歳を取って行くのも悪くない。元々酒は飲まないし、煙草は3年半前に止めた。酒を飲み交わす本当の楽しさを知らないのは人生におけるひとつの “損” だと思うが、その分自分の時間が増えたと思えばプラマイゼロだ。いや、ちょっとマイナスかもしれないがそれはそれでいい。煙草は20年以上吸っていたから今でも脳が快感を覚えているらしく、時々ふとマイルドセブンの味を思い出すけれど吸おうとは思わない。手ぶらで家を出る時の持ち物は鍵、財布、煙草、ジッポー、携帯電話だったがふたつ減った。煙草を1日1箱吸ったとして、1年で10万円以上になる。これが形になって目の前にあれば言うことはないのだが。

  これからのエッセイでも趣味の話が再三出てくると思うが勘弁してほしい。興味があることしか書けないということがよく分かったからだ。好きなアーティースト (ミュージシャンだけではなく) の話、CDの話、楽器の話、映画の話…。僕なりに気長に楽しみながら書いて行きたい。いつどんなことを書きたくなるかは自分でも分からないからそれはそれで楽しみにしていてほしい。

  今回は本の話を少々。子供の頃から好きでよく読んではいたけれど本当の意味で読むようになったのは大学受験後。受験時に日本史を選んだことで歴史が好きになった。歴史は繰り返すというが歴史から学ぶことは本当にたくさんある。その頃読んだ本のひとつが七の葉でも書いた三国志。文庫本8巻だからかなり長いが読破する喜びも付いてくる。持ち歩く必要上基本的に文庫本を買う。ある時、どうしても厚い本が読みたくなって本屋に行った。そこで見つけたのが5センチはあろうかという京極夏彦『姑獲鳥の夏』(うぶめのなつ)だった。読んでみるとこれがおもしろい。小学生の頃読んだ 『怪人二十面相』 とか高校生の頃夢中になった 『横溝正史シリーズ』 のようにどんどんと次が読みたくなった。作品が出るのを待って1年に1冊のペースで 『魍魎の匣』 (もうりょうのはこ)、『狂骨の夢』 (きょうこつのゆめ)、『鉄鼠の檻』 (てっそのおり)、『絡新婦の理』 (じょろうぐものことわり)、『塗仏の宴』 (ぬりぼとけのうたげ)、『陰摩羅鬼の瑕」 (おんもらぎのきず) と読んだ。(はははは、すごいタイトルばかりでしょ。その後も何作か出版されたが残念ながら読んではいない。) さすがに 『塗仏の宴』 あたりからちょっとパワーダウンしちゃったけれど1作目から5作目の 『絡新婦の理』 までは本当におもしろい。(おもしろいとしか言えないようじゃ評論家にはなれないな。) その中でも最高傑作だと思うのは2作目の 『魍魎の匣』。お勧め。

  20代中頃、一生のうちでどれくらいの本が読めるだろうかと考えた。仮に、仮にだが1週間に1冊読むとして1年で約50冊。10年で500冊。50年でも2500冊しか読めない。毎年何万冊も出版されているのにそれでは困る。そもそも1年に50冊読むのはかなり大変だ。(歳を取ってからまとめて読めばいいや、なんて思ってもそれも無理な話。眼も悪くなっているだろうし、その時にはその時読みたいものがあるはずだから。) そこで、読む前に選ぶという作業が必要になる。限られた数しかない読める本をどうやって選べばいいか…。ふたつの柱を考えた。ひとつは本屋に行って面白そうな本を選ぶ。当たり前のことだ。知っている作家でも知らない作家でも読んでみたい!と思うものを買う。失敗したら途中で見切るし、数百円だから損害も少ない。つまらないベストセラーが氾濫しているからくれぐれも注意。

  もうひとつの柱は名作を選ぶということ。何10年、何100年という時間の洗礼を受けて残っているものには必ず理由がある。それこそ人類の宝だ。それを読まずに死んでいくのはもったいない。名作だけでもかなりの数がある。ここでもすべて読むのは無理だ。また選ばないといけない…。 部屋の中にはまだ読んでない本が5、60冊は常にある。気になると買わずにはいられなくなるのだ。読みかけの本も20冊ぐらいはある。それでも気分によっては新しい本を読み始めたり、1年前の読みかけの本を持って家を出たり。旅に持っていく本、風呂だけで読む本もある。数百円の本に詰まっているのはそれぞれの感性に訴える無限の感情だ。これからどんなおもしろい (…) 本と出会えるか。どんな気持ちにさせてくれるか。楽しみでならない。

  茶飲み話のつもりがやけに張り切ってしまった。今日も好日であった。
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