年が改まり、1月も、はや3分の2が過ぎた。1年は12ヶ月だから、1年の18分の1が過ぎたことになる。1年を1日に置き換えてみると、ちょうど午前1時20分を過ぎたあたりだ。1月早々、そんな話は勘弁してよ、という声が聞こえてきそうだが、24時間のうちの1時間20分を長いとみるか、短いとみるか…。「まだ始まったばかりだ」 と余裕で構えている人も 「まだ、餅がたくさん余ってる」 と正月気分が抜けない人も、そろそろ気合を入れないとやばいことになる。暮れになって 「今年も、目標の半分も達成できなかった」 なんて泣き言を繰り返すのはかっこわるい。さて、今編では元日に発表した 「Kiseki」 に続いて、再び奇蹟の話を書いてみようと思う。朝原選手の奇蹟とは、まったく違う次元の話だが、再認識してみる価値はある。

  『ぼくたちは星屑だった…』 この一文が今編のテーマだ。一読すると、ちょっとロマンティックな響きが漂っているが、最近ではこのような表現はあまり使われなくなった。古い歌謡曲やフォークの歌詞に出てきそうな一節だ。今回は、この文を詩的にではなく 「我々人間はその昔、星屑だった…」 と、文字通りの意味で考えてみたい。


  生命の流れで考えてみると、どうやら本当のことらしい。ぼくたちは実際に星屑だったというのだ。いきなりこんな結論付けをするのは、ちょっと強引かもしれないが、現代の宇宙物理学では、地球の成り立ちを星屑から説明している。天文学を勉強している人や勉強したことのある人なら、宇宙の成り立ちや地球の誕生などは、知っていて当たり前のことなのだろうが、一般の人たちがどれほど知っているのかは疑わしい。いやいや、実際は中学校や高校で勉強したのかもしれないのが、多くの人は忘れてしまっているはずだ。かく言うぼくも、年末にやっていたテレビの特集番組を見るまでは、地球がどのようにして生まれたのかということ等まったく理解していなかった。それにしても、じっくり考えたことはなかったが、宇宙の誕生まで突き止めてしまった人類、特に歴代の物理学者たちは、本当に素晴らしい!仏教やヒンズー教に輪廻転生の思想があるのは知っている。このような考え方、ぼくは嫌いではないし、なるほどと信じたくなるような話だが、ここでは観念的にではなく、科学的に考えてみようと思う。

  46億年前、宇宙空間に漂う無数の星屑が衝突と合体を繰り返し、少しずつ大きくなっていった。この星屑の塊こそが、現在地球 と呼ばれている星の若き日の姿だ。この誕生して間もない原始地球は、すぐに地球の歴史上、最も重要な時を迎える。原始地球の隣には、ティアというほとんど同じ大きさの兄弟惑星が浮かんでいた。このふたつの星は、同じ軌道上に誕生したため、最悪の運命を受け入れなければならなかった。壊滅的な衝突だ。ふたつの星は、ばらばらになった。しかし、地球のかけらは再び合体し、ティアの一部を取り込んで、より大きくなって生き延びることができた。この大きくなったということが幸運だった。大きくなったことで質量が増し、引力が飛躍的に増大したのだ。引力とは地球上のあらゆるものを中心へと引っ張る力のことだ。もし、引力がなかったら、海も空気も人も宇宙へ放り出されてしまう。この力のおかげで、生命誕生に必要な大気と海を留めておくことが可能になったのだ。ティアとの衝突がなかったら、地球上に生命は誕生していなかったということになる。これを奇蹟と言わずして何というのだろう。

  もうひとつの奇蹟が太陽から地球までの距離だ。これが、まったく絶妙な位置にある。太陽系の中で、地球は、生命に必要な水が液体として存在できる唯一の領域にあるというのだ。地球の外側の軌道を公転している火星の場合を考えてみよう。火星にも水はあるのだが、表面温度はマイナス120℃、水は固体としてしか存在できない。そして、地球より太陽に近い金星の場合はどうだろう。宵の明星、明けの明星として親しまれている金星、その表面温度は460℃にも達している。水は蒸発するしかない。地球は太陽という絶対無二の存在から、まさに奇蹟的な距離に位置しているのだ。地球が誕生したとき、その位置が少しでもずれていたとしたら、命を産み、育んできた海は地球上に存在しなかったということになる。う〜ん、まさに奇蹟!

  天文学は夜空を観察することから始まった。遙か紀元前の時代から、人々は夜空を見続けてきた。そこから占いが生まれ、時の概念が生まれ、暦が生まれた。物理学においては、コペルニクス、ガリレオ、ニュートン、アインシュタイン、…。そして、ホーキングら現代の物理学者に至るまで、すべての研究者が “学問こそバトンだ” と言える程の見事な連携を見せてきた。個人としての競争心や対抗心は、もちろんあっただろうが、結果として “誰が” を誇示することなく、人類共通の財産として研究成果を繋ぎ、極めてきたのだ。地球のような星が生まれる確率は、どのくらいなのだろう。まったく検討がつかないが、何億分の1、いや、何兆分の1と言ってもいいはずだ。地球は “それほどの存在” なのだ。地球が誕生してからの46億年を1日に例えるとしたら、人類の時代は2分にも満たないという。気の遠くなるような長い時間をかけて、地球は我々人類を産み落とした。こんなにも素晴らしい地球に巡り合わせた幸せを、どれくらいの人たちが感じているだろうか。ぼくたちは、今、この時代に生きている幸せをもっともっと噛みしめてもいいのではないだろうか。


  現在、地球上に存在する人は約67億人、19世紀末から人口が急増しているため、現在の人口は過去6000年間に存在したすべての人口のおおよそ5分の1をも占めている。これだけ多くの人と歓びを共感できるはずなのに、実際はどうだろう。悲しいことが多すぎる。誰も彼もが、一片の星屑だったというのに…。「ぼくたちは星屑だった…」 心底こう思えたら、視野がもう少しだけ広くなって、見える景色も変わってくるのではないだろうか。ぼくたち日本人は見晴らしのいい丘の上にいるはずなのだ。寒い日が続くが、時々は夜空を仰いでみようと思う。

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