スペインには17の州がある。スペイン第2の都市バルセロナを州都に持つカタルーニャ州もそのひとつだが、この地方は一種独特の色彩を帯びている。スペインはラテン系を中核とするスペイン人が多数を占めるが、カタルーニャ人やバスク人のように独自の文化や言語を持つ民族も多い。カタルーニャは、古くはカルタゴや古代ローマの植民地だった。バルセロナという名は、カルタゴの名家バルカ家の領土であったことに由来している。中世以降はフランク王国(現在のフランス)のスペイン辺境領のひとつだったが、13世紀から15世紀にかけては地中海帝国を築くほどの隆盛を極めた。この地の人々は、1479年にスペイン王国に組み込まれた後も民族の誇りを胸に王国への協力を拒み続けた。

  彼らは、このような歴史的背景から独立心が強く、現在でもスペイン人としてのアイデンティティを否定する傾向にあるという。凄まじいほどのライバル意識の激突で知られるサッカーのFCバルセロナ VS レアル・マドリッド戦ひとつとっても分かるように、一度(ひとたび)彼らが同じ舞台に立つと、スポーツの枠等ははるかに通り越して、文字通りの“戦”、民族の威信を賭けた代理戦争の様相を呈してしまう。巨人 VS 阪神戦の比ではない。このような感覚、日本人には分かり難い。『大陸に住む人々と我々島国の住民の間には、何か根本的な違いがあるような気がしてならない』 ノリオは朝食のテーブルで、にわか勉強で蓄えたバルセロナの知識を反芻しながら、コーヒーを飲んでいた。「そろそろ行くか!」 ヨウヘイのよく通る声に呼応して仲間たちは皿とコーヒーカップを片し始めた。ノリオもゆっくりと腰を上げた。

  ノリオたちが滞在するホテルはカタルーニャ広場の近くにあった。この広場が出発点だ。それほど広くはないが、戦時には代々の兵士たちが集結した由緒ある場所だ。現在は公園として市民の憩いの場となっている。この日は他のガウディの作品に触れつつサグラダ・ファミリアまで歩こうということになっていた。知らない街を歩くのは人生の喜びのひとつに違いない。ノリオはわくわくする気持ちを抑えることなく歩を進めた。

  さりげない街の景観を楽しみながら歩くと間もなく、前方に多くの人が立ち停まっているのが認められた。何だろうと思いながら進むと奇怪な建物が見えてきた。カサ・バトリョ(Casa Batllò)だ。ガウディの作品のひとつで、何とも言えない不思議な雰囲気が漂っている。『これがガウディか、やっぱり只者ではないな』 ノリオは初めて見る造型に見入った。この建物のテーマは海だった。正面を海面に見立て、内部は海底や海底洞窟をイメージして設計されている。正面の壁は波打ち、貼られた色ガラスは海面に光が乱反射しているかのように輝いている。優しい色使いだ。各部屋から突き出たベランダが海の生物の顔を思わせた。貝の形をした下あごを持つユーモラスな顔だ。『なんて自由なんだ…』 これほどまでに自由に表現された建築物を見たのは初めてだった。ノリオはガウディ作品が世界遺産に登録されている理由の一端を知った気がした。

  カサ・バトリョから10分ぐらい進むとカサ・ミラ(Casa Milà)が現れた。この建物は山がテーマだ。やはり曲線が美しい。灰白色と言ったらいいか、生成りと言ったらいいか。カサ・バトリョとは打って変わって単色が建物の存在感を高めている。屋上の階段の出口や換気塔、煙突等は山の尾根から突き出た峰々を表しているそうだ。やはり、芸術作品としか思えない。ノリオはもっとじっくり眺めていたかったが、仲間たちはサグラダ・ファミリアへと急いでいる。ノリオは彼らを追った。

  道すがら、ノリオはある日本人建築家の名前を思い出していた。安藤忠雄だ。ノリオは彼の作品である“光の教会”をテレビで見て以来、大ファンになった。思わず訪れた大阪府茨木市にある光の教会は、予想に違(たが)わず印象的で美しい建築だった。ノリオは何よりもその発想に感動を覚えた。壁に十字の切込みを入れ、その壁に光りが注ぐと室内に光の十字架が浮かび上がるように設計されているのだ。光の向きをも計算に入れて造られた教会は美の極致だと言ってもいいほどの作品だった。建築も芸術だと気付かせてくれたのが安藤忠雄であり、芸術は自由だということを再認識させてくれたのが、出会ったばかりのガウディの作品たちだった。


  15分ほど歩くとサグラダ・ファミリアの塔が視界に入ってきた。「あれだ!」 誰もがそう思った。足の運びは自然と速くなる。サグラダ・ファミリアは世界でもっとも有名な建築物だと言っていい。日本でもこの聖堂は様々なメディアで何度も取り上げられてきた。1882年に起工式が行われて以来、100年以上経った現在でも建設が続いているというのが理由のひとつだ。1883年、着工からわずか1年で辞任してしまった建築家ビリャールの後を継いで2代目の主任建築家に就任したガウディは、世界でも例を見ない完璧な教会の建設を目指した。彼はキリスト教に関する知識を深め、同時に自身の信仰も深めていった。31歳で主任建築家に就任してから1926年に73歳で亡くなるまでガウディは人生の後半を聖堂の建築に捧げた。彼が才能と情熱を注ぎ込んだサグラダ・ファミリアはいつしかバルセロナのシンボルとなった。建築現場で寝泊まりをし、浮浪者に間違われることもあったという逸話も残っている。ノリオの頭の中にはサグラダ・ファミリアが見たこともないような巨大な造形として息づいていた。想像の中の聖堂は限りなく大きかった。人類が想像しえる最高の作品だというイメージが頭の中を支配していた。

  塔はどんどんと大きくなってきた。目に映る塔の数もぐっと増えた。いよいよ対面だ。胸が高鳴る。『これが、サグラダ・ファミリアだ!』 ノリオは、実際に聖堂の前に立った。奇蹟の創造物を目の前にしている。ノリオはこの場所を訪れたということだけで感動してしまった。すべての塔が、少しずつ少しずつ人の手で積み上げられてきたということを物語っていた。120年という時間は伊達ではない。ノリオは、そのまま塔を見上げながら人波に混じって聖堂を周り始めた。しかし、一周してみると、ノリオの心には別の気持ちが芽生えていた。『素晴らしい…確かに素晴らしいんだけど、何かが違う。この違和感は何だろう』


  残念なことに、本当に残念なことに実物は、ノリオの頭の中の想像を超えることができなかった。過大な情報が、必要以上の前知識が、正常な目で聖堂と相対する機会を失わせてしまったのだ。『芸術作品の善し悪し、いや、善し悪しではない。好き嫌いは、自分の感じ方で決めるべきだ。人の意見に左右されてはならない』 ノリオは常々こう思っていた。だが、サグラダ・ファミリアに関しては世界中の人々の評価によって、見る前から“感じ方”や“心の赴く方向”を決められてしまったような気がしてならなかった。

  世界中から押し寄せる人の多さも一因だった。観光客のあまりの多さに、見世物状態になっている聖堂が哀れにさえ思えてしまったのだ。大事なことは、この教会が信者からの寄進で造られているということ、そして、キリスト教徒にとっての祈りの場所だということだ。ガウディが今の状況を望んでいたとは到底思えない。『素晴らしい建物であること、人類の宝であることは認めるけど、もう少し静かに見守ってあげるべきじゃないかな…』 評判が一人歩きするということはよくあることだけど、これではあまりにもひどい。ノリオはちょっとだけ寂しくなった。張り切っていたヨウヘイも仲間たちも、少なからず同じような感想を抱いたようだ。全員が無言で聖堂を後にした。『さあ、午後から仕事だ。撮影はもう少しだぞ!』 ノリオは改めて気を引き締めた。 (つづく)


※寄付金と入場料だけで建設費を賄っているため、完成までに200年はかかると言われていたサグラダ・ファミリアだが、昨今の観光客増加によって入場料収入が増え、2020年ごろにはすべての作業が終了する見込みである。 

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