BRU(Boso Rockers Union)を旗揚げしてから4年が経った。もう4年なのか、まだ4年なのか…。こう考えると、どちらにも感じられてむずかしいが、やはり、両方だとしか言い様がない。4年も経ったのかという感慨もあれば、4年しか経っていないのかと意外に感じるほどの愛着もあるからだ。当初の目標、目的は達成できたのかと聞かれたら、どう答えよう。目に見える結果がすべてではないから簡単にイエス・ノーでは答えられないが、ぼくは、成果は確実に挙げられていると思っている。BRU
は誰にとっても未知の集いだった。どんなことをするのか、いつまで続くのか、不安に思った人はたくさんいたはずだ。それは通ったことのない夜道を行くのに似ていた。皆、灯りをかざすのに精一杯だった。正直に言うと、ぼくの中にも不安の種はあった。だから、発足時には、いつまでに、何を、どうする、なんて目標は挙げなかったし、メンバーの数を気にしたこともなかった。それでも、漠然とした理想はあった。音楽には力があると信じていたからだ。音は嘘をつかない。音楽という絆で集まったからには、すべてを音楽に委ねればいいと思ったのだ。
BRU の活動の中心はライブだ。ライブがすべてだと言っていい。音楽においてライブほど気持ちを共有できる場はない。BRU の名の下(もと)に行われるライブ・イベントの名は
Boso Rock、このイベントには必ず一組、プロのアーティストにも参加してもらっている。音楽を職業にしている人たちのプレイを自分の目で見ることは大切なことだ。何かしらは勉強になるはずだ。プロとの共演も
Boso Rock の特徴のひとつとなった。4年間で23回の Boso Rock が開催された。単純計算で、1年に6回催されたことになる。これは、驚くべき数字だ。のべ108組(バンド、ユニット、ソロ)が出演した。個人でも出演できるようにと2006年4月から始めたセッション企画の参加者13人も含めると121組になる。これもすごい!運営するスタッフは本当に大変だったと思う。いつも協力してくれる
BRU のメンバーたちにも、この場を借りてお礼を言いたい。本当にありがとう!感謝してます!Boso Rock と銘打ってはいるものの、ロックバンドに限っている訳ではない。フォークでもジャズでもクラシックでもいい。ジャンルは問わないのだ。アカペラグループや演歌や民謡の歌い手にも、参加して欲しいと思う。民謡ならば、ぜひ房総の歌を生で聴いてみたい。BRU
の Boso とは房州、総州への郷土愛を込めた名でもあるのだから。
個人的にうれしいのは仲間が増えたということだ。仲間というのはただの友達ではない。知り合いや顔見知りとも違う。ニュアンスの問題だが、仲間とは同じ旗じるしの下に集まった特別な存在のことだ。年上の先輩には無条件で慕ってしまうし、後輩はみんなかわいい。こんな風に思っているのは、ぼくだけではないはずだ。みんなの心の中には、知らず知らずのうちに
BRU の一員だという意識が芽生え、今や、深く染みついているに違いないのだ。自分が出演する、しないにかかわらず、あるいは楽器が演奏できなくても、ライブの度に顔を出してくれる人がたくさんいる。Boso
Rock はそんな仲間に会える特別な場でもあるのだ。
ぼくを含む BRU メンバーで編成された“Boso Rock のための特別バンド”を Boso Rockers というのだが、ある日、ライブを前にした
Boso Rockers のリハーサルに、一人の女の子が現れた。(※女の子と言っていいんだろうか…)Boso Rockersの“イケメン”ヴォーカリストが、コーラスとして参加しないかと職場の同僚を誘ったのだ。2年半前のことだ。彼女は歌が好きで、バンド活動をしたかったが、どうやってメンバーを集めたらいいのかわからなかった。それを知った“イケメン”ヴォーカリストが声をかけたのだ。「こんなイベントがあるから来てみない?」
そんな誘いに応じての登場だった。「こんにちは…」 初対面の彼女は緊張の面持ちだ。ドキドキしているのがその場にいたみんなにも伝わってきた。4曲、サビにコーラスを付けてもらったのだが、音をしっかりと聴きこみ、よく練習してきていた。このような姿勢はとても大事だ。誰もが好感を持った。
ライブの日がやってきた。彼女にとっては、ロックバンドの一員として歌うのは初めてのことだった。どんな名プレーヤーにでも初ステージはある。それが、どんなに緊張するものであるか…。ステージに一度でも立ったことがある人になら分かるはずだ。プロだろうがアマチュアだろうが関係ない。彼女は4曲を歌い切った。緊張に押しつぶされまいと自分自身と戦っているのが、傍で演奏していたぼくにも伝わってきた。この“勝負”はステージに立つ者にとっては、切っても切れないものだ。勝負にならないほど緊張してしまってはいけないし、勝負ができないほどリラックスしてしまってもいけない。要はステージに向かうには、常に程よい緊張感が必要だということだ。
「さいこーでした!!」 演奏が終わると、頬を真っ赤にして彼女は叫んだ。楽屋全体が、やり切った彼女を祝福しているかのように明るくなった。彼女はステージという禁断の園に(笑)一歩を踏み入れてしまったのだ。その後も、彼女は
Boso Rock の度に会場に足を運ぶようになった。BRU の仲間たちとも、どんどん打ち解けていった。2年前のある日、そんな仲間のひとりから
「一緒にバンドやってみない?」 と声がかかった。「えっ!私でいいんですか?」 と、言ったかどうかは知らないが、たぶん、それらしいことは言ったはずだ(笑)。それからのことは、詳しくは聞いていないが、ふたりは見事に新バンドを結成した。バンドは2年の紆余曲折を経て、2009年2月7日に初ステージを迎えることとなった。そして、お披露目の場として選んだのが
Boso Rock だった。
彼女のバンドが出演したいと応募してきたとき、ぼくは胸が躍った。これだ!この出来事も BRU の大きな成果のひとつだと思ったのだ。BRU に参加して歌うことの歓びを知り、BRU
の仲間たちとバンドを組んだ。そして、初ステージを Boso Rock で迎えたいだなんて…。BRU の理想のひとつが形になったように思えたのだ。1曲目が終わった途端、彼女は言った。「すみません!しゃばだばになっちゃいました。」
『しゃばだばぁ…?』 会場はドッと笑いに包まれた。ぼくも思わず大笑い!彼女は、つぼを得たプレイをするベテランミュージシャンに囲まれて思い切り歌った。体全体から歌うことの歓びオーラが飛び散っていた。心の持ち様は伝わるものだ。それは、テクニック等はるかに凌駕してしまう。当然、お客さんも楽しくなる。客席の反応が良くなる。歌や演奏はますます良くなる。すべてがプラスの方に循環していくのだ。見ていたぼくも心地よい爽快感に包まれた。それにしても、こんな言葉でステージを終えたバンドをぼくは初めて見た。
「しつれーしま〜す!」
…だって(笑)
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