「おっ、市場だ。ちょっと寄ってこうぜ!」 ヨウヘイの声が響いた。南極大陸の氷をギリギリと抉(こ)じ開けながら進む砕氷船のような彼の馬力には底がないようだ。結局は、滞西中も何度となく助けられることになってしまった。彼を見ていると、本人は知ってか知らずか、リーダーシップとは元来備わっている才能のひとつなのだと思えてくる。鰯の群れのように一行は方向を変えた。
サン・ジュセップ市場は、ランブラス通りから20メートルほど奥まったところにあった。市場の入り口は、まるで駅舎を思い起こさせるような佇まいだ。その姿だけでも好奇心を刺激するには十分だった。この市場は地域最大の規模と歴史の古さで知られている。場内の細い路地は、歩く隙間もないほど多くの人であふれかえっていた。入り口から奧へとまっすぐに続く道の両側には、野菜や果物の店がずらりと並んでいる。色鮮やかに積み上げられた林檎やオレンジの美しさはキリキリと食欲を刺激してくる。その時だった。何種類もの林檎の山からノリオの瞳が
FUJI という文字を捉えた。『日本の林檎だ!』 ノリオは思わず誇らしくなった。FUJI もサッカーや野球の日本代表に負けてはいない。スペインの市場で胸をはっている日本生まれの林檎に勇気付けられ、気分の良くなったノリオはその売り場でプラスチックの容器に入ったスイカを買った。スイカは食べやすいようにきれいにカットされていた。フォークで一刺し、ガブッ!口の中が蜜であふれる。もう一刺し、ガブッ!『甘い!』
ノリオは赤いプロックをあっという間に食べ尽くした。
市場には、日本ではめったにお目にかかれない物も並んでいる。食文化の違い、あるいは狩猟民族と農耕民族の違い、と言ってしまえばそれまでだが、一般の日本人ならば、この光景には違和感や嫌悪感を抱いてしまうに違いない。市場には果物屋と同じように魚屋や肉屋も数十軒並んでいた。魚が丸ごと並んでいるのは見慣れていても、羽を抜かれただけの鶏や皮をはがれたウサギ、生後間もない丸裸の子豚が行儀良く並んでいるのには目を背けたくなってしまう。ノリオは一瞥(いちべつ)すると、何も見なかったことにしてその場を離れた。『スペインの人たちは、この光景を見て美味そうだと思うのかな…』
ノリオは習慣の違いを思い知ったような気がした。いや、日本人が特殊なのかもしれない。『日本人が牛や豚、羊などの肉を食べるようになったのは明治維新以降のことだが、現在のように普通に食べるようになったのはたかだか数十年前からだ。100年も経ってはいないだろう』(※明治維新後、1871年に明治政府が肉食を解禁し、翌年には明治天皇が宮中で牛肉を食べている。その後、庶民の間にも肉食が広まり、明治初期にはすでに牛鍋屋が流行するようになった。文明開化の象徴だった。)ノリオはいつしかテレビで見た光景を思い出していた。それは、父親が仕留めたアザラシの血を美味そうに飲み、目を輝かせながら生肉や内臓を頬張るアラスカ・エスキモーの子供の顔だった。
習慣の違いだけではない、とノリオは思った。日本人は、ちょっとでも臭いのするものに蓋をする傾向があるのではないだろうか。『大袈裟だけど…』
ノリオは考え続ける。“生と死”は表裏一体で、例えるならば“昼と夜”だ。日が暮れれば当たり前のように夜になり、夜は必ず朝を迎える。それなのに日本人はいつの間にか“生と死”を切り離し“死”だけを忌むようになってしまった。自宅で死を迎えられない人が増えていると聞いた。背景には、核家族化で家族の介護負担が大きくなったとか、在宅医療の不備といった問題もあるが、マンションやアパートに住んでいるので、近所に迷惑をかけたくないと遠慮するケースもあるようだ。それもわからないではないが、ノリオには何となく寂しい気がするのだった。
ノリオの脳は、更に思いがけないことを引き出してきた。ノリオが死というものを初めて意識したのは小学校6年生の時だった。1年生の時から飼っていた愛犬
KON が死んだ。死の数日前から KON は大きな息をしていた。『何かがおかしい…』 ノリオは心配しながらも何もしてやれなかった。ある朝、起きると
KON は冷たくなっていた。いち早く母が気付いたのだが、ノリオは怖くて近付くことさえできなかった。遠目に KON の白い毛並みに覆われた体が息をしていないのを認めると黙り込んでしまった。泣くことも悲しむこともできずにただ放心していた。もう
KON はいなくなってしまったのだ、という現実だけがジワジワと地から足へと伝わってきた。「山に埋めてきてあげたらどう?」 母のマサヨがつぶやいた。その時だった。父が何も言わずに動いた。古くなった毛布で
KON を包むとサッと抱き上げたのだ。『すごい!おとうさんは死んだ KON に触ってる。怖くないのかな』 ノリオは、息をしていない KON を抱き上げ、歩き出した父の背を尊敬の眼差しで見送るだけだった。父はひとりで山の中に穴を掘り、ささやかな墓を作ってきた。主のいなくなった犬小屋はぽつんと寂しげだ。しばらくすると、ノリオは居ても立ってもいられなくなった。「おとうさん、KON
のお墓に連れてって!」 KON の遺体は近くの山の中にひっそりと埋められていた。ノリオは父の真似をして手を合わせるだけだった。それでも、1分と経たないうちに山から飛び出してしまった。やはり、怖かったのだ。この出来事はノリオに死と向き合うことを教えてくれた。
『KON のことを思い出すなんて…』 ノリオは市場を後にしながら、思いがけないものが思いがけないことを思い起こさせるんだなと思った。一行は港へと向かった。コロンブスの塔が見えてきた。塔は想像していたよりも高い。塔の頂上にはコロンブスの像が立っている。新大陸を指し示すコロンブスはまさに英雄の姿だった。海に浮かぶポルトベイを歩き、巨大なショッピングモールを歩いた。美術館を出てから、かれこれ、2時間近くは歩いたのではないだろうか。ノリオは疲れを感じ、眠たくなってきた。明らかに歩くスピードが落ちていた。スペインでの最後の食事に相応しいレストランはなかなか見つからない。責任を感じているのかヨウヘイはキョロキョロと周りを見渡しながら先へ先へと急いでいる。一行の列はより長く伸びた。ノリオは助監督のタカギさんとふたりで最後方をだらだらと歩いていた。明らかに緊張感がない。もはや、先頭グループは見えない。ちょっと前を美術のスギシタさんがやはりトボトボと歩を進めているだけだ。
ノリオとタカギさんが交差点に差しかかったところで信号は赤になった。ふたりは取り残された。見晴らしのいい交差点だが、皆ははるか先に行ってしまって見えない。『まあいいや、ゆっくり行こう』
ノリオはため息をつくばかりだ。信号は青になった。ノリオたちは渡り始める。そこに、どこからともなくふたりの女が現れた。若いふたりは明らかにジブシーの娘だった。ひとりはバナナを片手に、もうひとりはマントのような、大きなスカーフのような布を持っている。ふたりはおもむろにタカギさん前に立ちはだかった。
「バナナ!」 「バナナ!」 バナナを手にした女が、大きな声で叫びながらバナナをタカギさんの顔の前に掲げている。ノリオは、バナナを売りつけようとしているのだと思った。『バナナなんて誰も買わないよ…』
と漠然と思った。タカギさんは 「いらない!いらない!」 と言うように手を振り回している。それでも、女は執拗に 「バナナ!!」 「バナナ!!」
と繰り返しながら、握ったバナナをタカギさんの眼前で左右に大きく振っている。もうひとりはというと、バナナを持った女の横でマントをひらひらさせながら踊っているではないか。ノリオはふたりのジプシー女に纏(まと)わり付かれたタカギさんを気の毒に思いながらも、助けに行く気はしなかった。それほど重大なことだとは思えなかったし、ふたりの女はすぐにあきらめて退散するだろうと思ったからだ。案の定、ふたりはすぐにタカギさんを解放した。その途端、ノリオは四つの目が自分に向いたのを感じた。冷たく鋭い視線がノリオを射た。その瞬間、ふたりはノリオ目がけて走り寄ってきた。「バナナ!バナナ!」
相も変わらず、ひとりはバナナをノリオの眼前に振りかざして叫び、もうひとりは横で激しく踊っている。ただ、傍らで見ていたのとは大きく違う。何やら殺気のようなものを感じるのだ。タカギさんは
『やれやれ、次は君か』 といった様子で笑っている。ノリオは 『めんどくさいなあ…早く追っ払ってヨウヘイに追いつかなきゃ』 心の中でそうつぶやきながら、ふたりのジプシー娘を追い払おうとした。
(つづく)
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