なんてことだ。娘の昆虫図鑑を見た私は唖然としてしまった。ぶんきちは、かなぶんではなくコガネムシだったのだ。私は、これまでかなぶんとコガネムシの違いなど考えたこともなかった。昆虫図鑑には、似たような昆虫がずらりと並んでいる、。同じような名前だが、それぞれが別個の歴とした種である。カナブン、アオカナブン、アカカナブン、サキシマアオカナブン、コガネムシ、ヒゲコガネムシ、クリイロコガネムシ、ハナムグリ、アオハナムグリ、ドウガネブイブイ…。これでもほんの一部だ。十把一絡げに考えていたのが申し訳ない。私はその微妙な違いに驚き、改めてインターネットで調べてみることにした。

  調べ始めるとすぐに次のような記述に当たった。『かなぶんもコガネムシ科ハナムグリ亜科に属する広義のハナムグリの一種であるが、この名称は金属光沢に富んだコガネムシ科の昆虫の俗称的総称でもある…』 つまり、かなぶんもコガネムシもハナムグリもそれぞれ別の昆虫だが、総称として“かなぶん”という言葉が使われているというのだ。なるほど…。私が持っていたぶんきち達に対するイメージはあながち間違いではなかったことになる。こうなると、ぶんきちという名も悪くはない。そうそう、名で思い出した。どの昆虫も和名は味わい深い。かなぶんは金蚊、コガネムシは黄金虫、または金亀子。ハナムグリは、花にもぐって蜜を吸うところから花潜。


  かなぶんとコガネムシに限っての違いを、申し訳程度だが考証してみようと思う。まずは顔。写真を見比べるとかなぶんの方が顔が長い。体も一回り大きくてスマートな印象だ。比べて、コガネムシぶんきちの顔は丸く、腕時計のリューズのような形をしている。むっくりした体つきだ。特徴は違うがともに愛嬌がある。色はともに光沢の強い緑色だが、かなぶんには銅色がかっているものが多い。赤紫色や黒紫色のものもあり体色の個体差は大きい。コガネムシは日本列島のどこでも見られるが、かなぶんは北海道では生息していない。

  お食事。かなぶんの主食は、カブト虫やクワガタ虫と同じようにクヌギやコナラなどの樹液だ。栄養たっぷり、おいしそうな樹液を見つけてもすぐにありつくことはできない。同じ樹液を好物とするカブト虫やクワガタ虫と戦わなければならないからだ。角や大あごで痛めつけられ体は傷だらけだ。大物たちが腹いっぱいになるまではお預けとなる。だが、彼らの食事が済み、さて、かなぶんの皆さん、ごはんですよとなっても、すんなりいただきます!とはいかない。次は、かなぶん同士のポジション争いだ。ベストポジションを獲得するために頭と頭をぶつけ合う。ガツンガツン!とやる。ボコンボコン!とあたる。押し相撲一筋の力士同士の一番のように。

  次はコガネムシの食についてだが、あるサイトの一文を目にした私はハッとした。『コガネムシはサクラやナラなどの広葉樹の葉を…』 な、なに?サ、サクラ?私はこの事実を知ったとき、あまりの偶然に声も出なかった。コガネムシにとってのサクラの葉は、パンダにとっての竹、コアラにとってのユーカリ、ついでに言えば私にとってのうな重のようなものだった。私は、ぶんきちの魔力に踊らされていただけだったのではないか、と真面目に考えてしまうほどの衝撃を受けた。ぶんきちが稀にみる幸運の持ち主だったのか…。私が天の使いをさせられたのか…。単なる偶然として片付ける訳にはいかない。私にとっては遠い遠い謎となった。

  あの後、ぶんきちはサクラの葉を思う存分堪能したに違いない。喜々として登っていくように見えたと書いたが、気のせいではなかった。ぶんきちは、確かに体全体から歓びのオーラを発していた。繰り返すが、彼に感情があるかないか、なんてことは知る由もない。だが、生きる!という思いが、生きなければ!という一念が、彼を死の崖っぷちから引き戻したという事実は疑いようもない。ぶんきちは、2センチ足らずの体を、これで生きられる!という感動に打ち振るわせたのだ。


  サイトの一文は続く。『コガネムシはサクラやナラなどの広葉樹の葉を食害する害虫…』 食害?害虫?私は、両目がこの言葉を捉(とら)えたときも、その実態をすぐには飲み込めなかった。ぶんきちが害虫?完全にぶんきちサイドに立っていた私は、なんて失礼な!害虫とはなんだ!と憤慨しそうになったが、冷静に考えてみればすぐに理解できることだった。サクラにしてみれば、なんてことをしてくれたんだということになる。コガネムシの幼虫は根を食べる。成虫になれば葉を食べる。食べ散らす。食べ尽くす…。おいおい、待ってくれよ。私は、あのサクラの木にどんなに恨まれても、言い訳すらできない。


  私、ぶんきち、そして、サクラの木。三者の関係は複雑だ。それぞれの視点からは違った景色が広がっている。何かに操られていたかのような何とも不思議な一日が終わろうとしている。空を眺めれば天の川はいつにも増してにぎやかだ。私とぶんきちの七夕が暮れた。 (完)

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