秋の気配が漂い始めた。まだまだ暑さは厳しいが、朝に夕に空気は落ち着いた表情を見せるようになった。春先の清々しい季節と並んで、この国の最も過ごしやすい季節の到来だ。今から楽しみでならない。暑さ寒さも彼岸までという。夏を惜しむのなら今のうちだ。

  今年のお盆はフランスで過ごした。といっても環境がまったく違うからお盆だっという感覚はまったくない。フランスは広い。今回滞在したのは、西フランスのサンパレという大西洋に面した街だ。ボルドー空港から北西へ車で2時間ほどのところにある。夏の間は、ヨーロッパ各地からたくさんの人がヴァカンスを過ごしにやってくる。昨年の5月にも訪れたが、印象はまったく違うものだった。訪れた土地のイメージには季節が大きく関わっていることがよく分かる。

  前回は南フランスのマルセイユから車を使っての移動だったから、ボルドー空港に降り立ったのは初めてだった。空港の施設に入ると高さ3メートルほどのワインボトルが出迎えてくれる。ボルドーがワインの産地として名を馳せていることは日本でも知られている。まったくもって分かりやすいオブジェだ。だが、このストレートさは気持ちがいい。こう、衒(てら)いもなく特産物を誇られると訪れた者としては手を叩いて納得するしかない。

  空港から目的地までは車だ。車は延々と続く葡萄畑を縫って走る。行けども行けども葡萄の木が通り過ぎる。ボルドー地方の葡萄は思いのほか背が低い。栽培方法の違いなのかもしれないが、ほとんどの葡萄は1メートルに満たない。日本で見慣れている葡萄とは違う。1本1本が独立して植えられ、それぞれに添え木がなされている。葡萄はおろか植物の育て方などにはまったく縁がないのだから詳しくは語れないし、ワインを嗜(たしな)む習慣もないのだが、葡萄畑はあまりに見事でついつい見とれてしまった。その広大さは、まさに産地の産地たる所以(ゆえん)を物語っていた。そして、葡萄畑にも、時おり窓の外に現れる町にも、ワインボトルのオブジェがどうだとばかりに置かれていた。

  この“分かりやすさ”が大事なのだと思った。ここまでワインで押すのかと笑ってしまうこともできたが、そうではなくて、誰かに何かを伝える上での根本を再認識させられたような気がした。基本に立ち返ること、真正面から見つめることの大切さを思った。商品にしても作品にしても、自分たちが作り出したものを第三者に伝えるというのはむずかしい。誰も知らない未知のものを発明したというのなら別だが、誰もが知っているもの、たとえば電化製品や食料品、あるいは絵画や本、音楽等の芸術作品などを的確に紹介するのは簡単ではない。


  “分かりやすさ”を本当の意味で武器にできる商品や作品にはひとつの条件がある。それは、“本物であること”だ。何が本物で、何がそうでないかという問題は主観的過ぎて、これまたむずかしいが、本物は厳然と存在している。ボルドーにおけるワインもそのひとつだろう。ボルドー産のワインをおいしく感じるか、そうでないかという話ではない。好きとか嫌いとか好みの問題でもないし、売れているかいないかの問題でもない。古くから葡萄を栽培しワインを造り続けた結果、世界にその名を知らしめ、その地方に住む人々が、自分たちが造るワインは本物だという誇りを持てているという事実こそが、本物だということを証明している。作り手の心の持ちようが重要なのだ。彼らもワイン造りを生活の糧にしているのだから、売れるものを作りたいという気持ちは当然あるだろう。しかし、その前にきちっとしたものを造っているという自負があり、もっと言うと、そんな自負さえも当たり前のこととして意識もせずにただ淡々と造り続けているのではないだろうか。

  本物であることが当然であるのなら、それをアピールする必要はない。そんな境涯で仕事が出来る人は幸せだと思う。それこそ達人だ。世の中に目を向けてみると、一流だからと言って必ずしも売れるかというとそうでもない。二流品や三流品が市場を席巻しているということも多々ある。一流でありたい、評価されたいと願うのは自然な想いだが、自分が信じる道を進み続けることこそが大切だ。ある地点まで到達した人の背中には、シンプルなオブジェが刻み込まれるに違いない。


※オブジェ (objet) : 物体、対象を表すフランス語

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