ある男の話をしたい。オレの同僚であり友の話だ。友と言っても一緒に酒を飲んだり、飯を食ったりする仲ではない。趣味が同じという訳でも、幼なじみという訳でもない。共通点は同期入社ということだけだ。ヤツとは約30年もの長い間同じ会社にいながらにして、ほとんど言葉を交わしたことがなかった。何度かオレの方から話しかけたことはあった。だが、オレが一方的に話かけるだけで、ヤツの口から言葉らしきものが発せられることはなかった。

  “あの時” まで、オレが耳にしたヤツの言葉は 「よろます」 だけだった。入社式で隣に座ったヤツに挨拶をしたときのことだ。ホソダです。よろしく!と気合い十分のオレの声に恐れをなしたのか、ヤツはビクッと体を震わせながら、やっとの思いで声を絞り出した。「よろ・・・ます・・・」 よろしくお願いしますと言いたかったのだろう。オレは蚊の鳴くような声というものを初めて聞いた。それから、見かける度に声をかけるにはかけたのだが、返事はない。ヤツは、もごもごと口ごもり足を速めるだけだった。オレはその都度、何とも言えない情けない気持ちになったが、極端に内向的なのだろうと複雑な思いで見送るしかなかった。そして、そのうち声をかけることもなくなった。


  ヤツの名は “オニヤマジュウゾウ”。恐ろしく強そうな名前だ。名は体を表すというが、オニヤマはオレ以上に名前とのギャップに苦しんだに違いない。オニヤマジュウゾウとくれば、その名のイメージから筋骨隆々の柔道家や恰幅のいい大柄な紳士を想像してしまうだろう。身体的な特徴を言葉にするのは気が引けるが、オニヤマは小柄で線も細い。ホソイ・・・?オレはホソダだが太い・・・。何を言わせるんだ。黙っていろ。オニヤマは小さいころ 『前へ倣(なら)へ』 で両腰に手を当てる役割を担っていたと思われる。その上、伏し目がちで腰を屈(かが)めるようにして歩くから余計に弱々しく見える。入社後、しばらくするとオニヤマの噂が立ち始めた。社交性がまったくない小柄な新入社員は好奇の対象として見られたのだ。口さがない連中は、時には辛らつな言葉を放ったが、それでも、そのおかげでオニヤマの生い立ちやどのような経緯で入社したのかがおぼろげに分かってきた。

  オニヤマは映画館を営む両親の元で育った。難産の末に生まれた未熟児だったそうだ。あまりの弱々しさにオニヤマの父親は強く育って欲しいとごっつい名を付けたのだろう。ヤツにしてみれば、オニヤマという名の家に生まれたことも不幸だった。この点も同情に値する。親は子の名前を付けるに当たり、もう少し、慎重になるべきだ。これ以上、オレやオニヤマのような犠牲者を生み出してはならない。

  虚弱体質で体育も苦手だったオニヤマにとって、物心付いた頃から観続けていた映画は唯一の慰めとなった。ヤツは映画に惹かれ、魅入られ、どんどんとのめり込んでいった。そして、中学生になるころには映画について驚くほどの知識を身につけていたらしい。高校、大学時代には、まだ観ていない古い映画を上映している映画館に通い詰め、ビデオが発売されれば買い付け、映画の関係書を読み漁ったそうだ。そして、ただ単に知識が豊富なだけではなく、作られた背景や込められた想い、また、監督の人間像にまでも踏み込めるような、真の意味での映画探求者となった。映画はオニヤマを救った。世の中に一人取り残されたとしても、黙ってそれを受け入れてしまうような内気な男を、映画が救ったのだ。両親もオニヤマと映画との関わりを温かく見守った。ヤツはこのころすでに、超一流の映画評論家となっていた。


  入社試験では、映画に関する自由テーマのレポートを書かされた。オニヤマのレポートを読んだ担当者は驚いた。“私の映画論” というレポートはすぐに社長に届けられ、社長以下、レポートを読んだ役員たちはその知識の豊富さと深い洞察力に感嘆の声をあげた。そして、面接を待たずにオニヤマの採用は決定した。面接でのヤツの様子は言わずもがなだ。オニヤマは面接の間ずっと泣きそうな顔をして、ただうつむいていたらしい。困った会社側は、結局オニヤマを資料室に配属した。だが、オニヤマにとって資料室での仕事は天職だった。まさに夢のような職場、大好きな映画を観ることが仕事となったのだ。それ以来ずっと、オニヤマは毎月数十本の映画を観続けている。ヤツの映画に関する知識は会社にとっての大きな財産となった。


  会社の40周年記念行事が催されることになり、そこで、オニヤマが表彰されることになった。オニヤマは最後まで辞退したいと言っていたらしいが、「挨拶はいらない。最近の映画についてスライドでも見せながら話してくれ」 という社長の一声で受け入れざるを得なくなった。さすがのオニヤマも、約30年に渡って好きなように仕事をさせてくれた社長直々の頼みを断る訳にはいかなかったのだろう。オレには、当然のように式典を仕切る役目が回ってきた。

  式典でのオニヤマの映像を使った発表は素晴らしいものだった。映像は現代社会における映画産業の役割を、豊富な資料を交え分かりやすく説明し、映画は今後どの方向に進むべきかという大きなテーマを掲げたところで終わっていた。場内は静まりかえり、すぐに大きな拍手が巻き起こった。ただ、残念なことに、映像の声はオニヤマ自身によるものではなかった。やはり人前で話をすることができなかったのだ。ヤツは、前もって制作したドキュメンタリー映像を流す方法を選んだ。結局、オニヤマは映像の脇で佇んでいるだけで、一言も発しなかった。社内きっての “謎” であるオニヤマの声を聞けると意気込んでいた社員たちは足元をすくわれたかっこうとなった。だが、そんなことでオニヤマと映像に対する評価は変わらなかった。社長は、さもあろうと笑っているだけだった。

  式典が終わると、オレとオニヤマは社長室に呼ばれ、労をねぎらわれた。オニヤマはあくまでも黙ったままだ。話の比重は100対0でオレに傾く。オレばかりが冷や汗をかく羽目になった。オレたちは時間を見計らって退室した。そして、エレベーターホールまで無言で歩き、エレベーターを呼ぶボタンを押した。部屋を出た後は沈黙が続いていた。エレベーターは下降したばかりで、上がってくるまでには、まだしばらくの間がある。オレは白々とした空気に我慢ができなくなってきた。ふと、言葉がこぼれ出た。

  「オニヤマ、映像よかったよ」
オレはハナから返事なんてものは期待していない。沈黙が続くものだと思っていた。その時だった。
  「えっ?今、なんと・・・」
オニヤマのか細い声が響いた。その声を耳にしたのは約30年振りだった。
  「・・・・」
今度は、オレの方がびっくりして声を失っていた。
  「ホソダさん、い、今、なんと・・・」
聞き取れる!こいつ、しゃべれるじゃねえか。オレは不思議な感動に包まれた。
  「だから、あの・・・今日の・・・よかったよ」
オレは、柄にもなく照れながら言い直した。
  「えっ?なんと、なんとおっしゃいました?」
なんと?って聞こえねえのかよ。
  「オニヤマ、今日のお前の発表、すごかったじゃねえか」
オレは、はっきりと通る声で言った。オニヤマは目を見開いた。そして、再び口を開いた。
  「えっ??」
  「だから、今日のオニヤマの発表は素晴らしかった、と言ってるんだよ」
  「な、何がですか???」
  「何がって・・・何度も言わせるなよ!今日の発表が素晴らしかったって、よかったって、言ってんだよ」
  「ほう・・・でっ?」
でっ?ってなんだ??? オレはオニヤマの発言に戸惑い始めた。

(つづく)

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