台風一家が、我が物顔で日本列島を駆け抜けた。今回も大親分を中心に一家揃って暴れ回ったようだ。ぼくは、小学校の高学年になっても、台風一過のことを台風一家だと信じて疑わなかった。ただ、「たいふういっかの青空・・・」 となると 『はて、どんな繋がりがあるのだ?』 と合点がいかなかったのを覚えている。ううむ、と頭をひねってはみたが、子供の頭の中では、“一家” の方がしっくりくる。次郎長一家を連想するのか、磯野家を思い描くのかは別として、想像力を大いにかきたてられたものだ。“一過” とは、一度に通過すること、あるいは、さっと通り過ぎるという意味だ。2009年10月8日午後、台風一過の東京の空は弾けるように青かった。

  日本では、台風のことを古くは野分(のわき、のわけ)と言った。野の草を分けるところからそう言われるようになったというが、日本ならではの情緒が感じられる。なんとセンスがいいネーミングだろう。源氏物語にも第二十八帖の巻名として登場する。「野分」 は、激しい野分の翌日、夕霧が父の光源氏と共に、六条院の女性たちの安否を気遣って訪ねる話だ。枕の草子にも野分について書かれている段がある。「野分のまたの日こそ、いみじう哀におかしけれ」 という文章で始まる第二百段だ。清少納言は、草木が野分になぎ倒されて散乱している庭を見て、野分の吹いた翌日の様子はしみじみとして風情があると感じたようだが、台風18号の被害を目の当たりにした後では、とても共感できない。それでも、彼女のこの美意識もまた、日本人特有の感性によるものだろう。

  台風という言葉が登場するのは明治になってからだ。明治後期に、当時の中央気象台長だった岡田武松という人が英語のタイフーン(Typhoon)を颱風と音訳して気象用語として定着させた。ところが、その後制定された当用漢字に 「颱」 が含まれなかったため、「台」 に置き換えられて台風となったそうだ。しかし、タイフーン自体の語源には諸説ある。台湾方面からやってくる大風だから台風と呼ぶという説が知られているが、有力なのは、ギリシャ神話に登場する巨大な怪物テュポン(Typhon)に由来する “Typhonn” からのネーミング説とアラビア語で嵐を意味する “Tufan” からのネーミング説だ。その他にも、中国広東省の大風(タイフン)説や沖縄の久米村の気象学者によるネーミング説等々あって、語源をひとつに断定するのはむずかしそうだ。

  台風は、太平洋や南シナ海 (赤道以北、東経180度以西100度以東)で発生する最大風速が34ノット(17.2 m/s)以上の熱帯低気圧のことだ。同様の気象現象は世界各地にあるが、名称は発生場所によって異なる。大西洋北部、太平洋北東部、北中部で生まれた嵐は “ハリケーン”、インド洋、太平洋南部で誕生した嵐は “サイクロン” と呼ばれる。また、オーストラリア付近のサイクロンは、俗称で “ウィリー・ウィリー” とも呼ばれている。おもしろいことに、それぞれの台風には名前がある。日本では1号、2号と番号で呼ぶのが一般的だが、アメリカでは、人名をつけている。A、B、C順に男女の名前を交互に連ねた命名リストが6セット用意されていて、1年ごとに1セットを使用するそうだ。つまり6年ごとに同じ名前が使われることになる。元々は女性名だけだったが、女性蔑視という声があがり、1979年以降は男女の名が交互に付けられるようになった。いかにもアメリカらしい。2009年のリストは、Ana、Bill、Claudette、Danny・・・となっている。日本でも連合国軍の占領下にあった1947年から1952年までは、アメリカと同様にアルファベット順に女性名が付けられていた。キャスリーン台風が有名だ。


  調べてみると、アジアにも個々の台風に呼び名があった。アジア名と呼ばれるこれらの名前は、台風委員会という台風防災に関する政府間組織 (アジア・太平洋地域の14カ国・地域が加盟) が、国際的に通用する台風の正式名称として2000年に決定したものだ。各加盟国・地域が10個ずつ提案しているため1番の “Damrey” ダムレイ (カンボジア語で象の意) に始まって140番の “Saola” サオラー (ベトナム語でベトナムレイヨー《牛の一種》の意) まで、140ある。台風の発生順にリストの1番目から名前を当てはめていき、最後のSaolaまで行くと1番のDamreyに戻る。現在は2週目に入っていて、数日前に発生した台風18号は92番目の “Melor” メーロー (マレー語でジャスミンの意) という名だ。アジア諸国の言葉が使われているが、太平洋に島を持つアメリカも台風委員会に加盟しているため、例外的に英語名も含まれている。日本語名は “Yagi” “Sasori” “Kujira” 等、星座名から名付けられている。一覧表を見て “Koppu” や “Tokage” という星座があることを知った。ちょっと想像してみたがピンとこない。テレビで 「明朝、台風コップが上陸します!」 とか 「トカゲ台風が猛威を振るっています!」 とか言われても危機感は持てない。やはり、我々には、台風11号や台風16号の方が自然なようだ。


  子供のころは、台風と聞くと恐ろしかった反面、なぜかワクワクした。天気予報で台風が来ることがわかると、両親は準備に取りかかった。父は、風に吹き飛ばされないようにと植木鉢を家に入れ、雨戸には板を打ち付けた。母は、停電用にと大きなろうそくとマッチを用意した。そして、何日か分の食料を確保することも忘れなかった。まだコンビニがない時代だ。当時は、台風が来ると高い確率で停電になった。ろうそくの灯りのみが頼りだ。灯りはゆらゆらと家族の顔を映した。トランジスタラジオで災害放送を聞きながら、家族がひとつところに肩を寄せ合った。親は不安だったろうが、子供だったぼくたちは、なぜか楽しくてならなかった。遊園地に行った時のような、あるいは秘密基地にこもった時のような、そんな興奮に包まれた。親に守られて、弟妹と布団に包(くる)まった。屋根を打ち付ける雨の音や雨戸を叩く風の音が、まるで子守唄のように眠りを誘った。


  日本を救った台風もある。鎌倉時代、大陸から元と高麗の大軍が北九州に侵攻してきた元寇の時に発生した台風だ。2度目の元寇である1281年8月(弘安4年閏7月)の弘安の役では、来襲した元・高麗連合軍の船が暴風雨に襲われて次々に沈没し、兵士14万人のうち、約10万人が溺死したと言われている。当時、日本国内では、日本の神と元の神の戦いだという観念があったらしい。この台風は、侵略軍に壊滅的ダメージを与えて撤退させ結果的に日本を守った。そして、この時に吹いた風は神風と呼ばれるようになった。当時の日本には14万の大軍を防ぐ手立てはなかっただろう。偶然だったと簡単には片付けられない。もしも、台風がこなかったらと考えると、天に感謝したくなるのも当然だ。だが、この出来事は 『日本は神々に守られている国だから負けるはずはない』 という神国思想を日本人に広く浸透させ、後々の日本に好ましからざる影響を与えていくことになる。このことが、太平洋戦争末期の日本軍や国民思想の非合理性に繋がっていったからだ。日本人は、わずか数十年前の戦争でも神風が吹くと本気で信じていたのだ。どうにもこうにも立ち行かなくなった日本軍は、最後の最後に神風という名を冠した特攻隊を編成した。


  2009年の台風18号は少なからず爪跡を残していった。被害にあった方々の思いはいかばかりだろう。テレビは、屋根を吹き飛ばされた家の前で嘆くお年寄りの姿を映し出していた。台風や地震はもちろんのこと、最近は雨までもが大災害を引き起こす。今や、地球上で一番大きな顔をしているのは我々人類だ。科学の進歩のおかげで、災害に対するある程度の予測は可能となった。その結果として、ある程度の備えはできる。だが、自然の猛威をいざ目前にすると、他のすべての生物同様、黙ってやり過ごすしかないというのが現実だ。災害に接する度に、自然に対する畏怖心を失ってはならないということを教えられる。ぼくたちは本当に小さな存在なのだ。台風一家の大親分には、暴れるのはそこそこに、ほどほどにとお願いしたい。大きな目の中心で指揮を取る親分が、それこそ、神様から大目玉を食らわされないように。

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