スポーツがおもしろい。秋だからという訳ではない。この国に住むぼくたちは、幸せなことに一年中スポーツを楽しむことができる。ぼくの場合、自分で体を動かす機会はめっきり減ってしまったが、見ることに限って言うと興味は尽きない。スポーツの持つ
“真剣さ” に惹きつけられるのだ。試合の結果はもちろんのこと、経過や内容、誰がどんなプレイをしたのか、ということまで気になって仕方がない。それだけではない。選手たちのひととなりにも関心があって、そのくちびるからこぼれる直向(ひたむき)な言葉には、注目せずにはいられない。
“スポーツ” は外来語だが、元になった英語の “sport” は、『気晴らし』 『楽しむ』 『遊び』 などを意味する “disport”
が変化した言葉だ。さらに語源を遡ると “disport” は古代フランス語 “desporter” (気晴らしをする) に由来しているとある。日本では、大正時代末から一般的に使われるようになったが、しばらくは野球やテニス等の外来スポーツに限られていた。柔道や空手等の武道も含めてスポーツと呼ばれるようになったのは戦後のことだ。プロのスポーツには
“楽しむ” 部分はあっても “気晴らし” とか “遊び” のニュアンスはない。プロではなくともオリンピックを目指すような選手たちも同様だ。
ぼくは、同年代の男子の多くがそうであるように典型的な野球少年だった。王選手や長島選手にあこがれ、プロ野球選手を夢見たものだ。今年は、幸運なことに何度か球場に足を運ぶことができた。親父とふたりで・・・、弟とふたりで・・・、友だちと・・・。ぼくが、初めて後楽園球場に連れて行ってもらったのは、小学校4年生の時だった。その試合では王選手がホームランを放ち、高橋一三投手が勝ち投手になった。あの時の様子は今でもはっきりと覚えている。楽しかったなあ・・・。本当に夢のようだった。そして、現在の球場にもロマンはあふれていた。楕円形の巨大な空間には、目には見えないが、夢の結晶のようなものが横たわっていて、その中では選手も、観客も、審判も、マスコミも、誰もが平等に幸福を分けてもらえる。
日本シリーズを目前に控えた2009年のプロ野球では、東北楽天ゴールデンイーグルスが注目の的だった。シーズン前から監督問題でもめた我が千葉ロッテマリーンズは早々と優勝争いから脱落してしまった。クライマックスシリーズにも出られそうにない。『よし、来年だ!』とぼくは勝手に区切りを付け、今年はイーグルスを応援することにした。球団創立の経緯を知っている人ならば誰もが今年のイーグルスの躍進に拍手を送ったことだろう。クライマックスシリーズの第2ステージで北海道日本ハムファイターズに敗れたものの、その健闘は絶賛に値する。ペナントレース終盤で3位争いから一気に2位まで登りつめた時の勝負強さは特筆ものだった。第2ステージ、1勝3敗で迎えた第4戦(※ペナントレースの優勝チームに1勝のアドバンテージがあるため、イーグルスの0勝1敗からスタートした。)でイーグルスは負けた。野村克也監督にとっては最後の試合となった。選手たちは、試合に負けたにも関わらず野村監督を胴上げしようとした。その時だった。相手チームであるファイターズの選手が走り寄ってきた。選手だけではない。吉井投手コーチや梨田監督までが胴上げの輪に加わった。そこには勝者も敗者もなかった。両チームの選手、コーチたちが一緒になって、一野球人としての野村監督を讃えたのだ。感動的なできごとだった。試合を超えたスポーツの尊い精神が垣間見えた瞬間だった。
セリーグでも読売ジャイアンツと中日ドラゴンズによる正々堂々の勝負が繰り広げられた。熱戦の最中、セリーグで最多勝を獲得した吉見投手のドーピング疑惑が発覚した。彼が疲労回復に効果があるとされるビタミン剤の点滴を受けていたことが問題になったのだ。NPB(日本プロ野球機構)ではWADA(世界反ドーピング機関)のルールを順守することになっている。静脈内注入は、血液を薄めてドーピングの発覚を回避するために利用されるおそれがあるということから、WADAは緊急医療目的以外の点滴を禁じている。疲れたからとか、調子が悪かったから、という理由での使用はドーピング違反とされてしまう。NPBが調査した結果、吉見投手の点滴は正当な医療行為であり、疲労回復が目的ではなかったことが証明されたが、疑惑発覚直後の新聞には吉見投手や中日球団を非難するような論調が目立った。次の日に登板予定だった吉見投手は複雑な気持ちだっただろう。そんな時、ジャイアンツの原監督は、試合前に選手を集めてこう言った。「この件に関する野次は止めよう。正々堂々と勝負しようじゃないか。」 原監督は、今春のWBC(ワールドベースボールクラシック)で優勝した時と同じように、ここでも男を上げた。何とも清々しいスポーツマン魂。結果以上にグッとくる言葉だった。
アメリカに目を移してみよう。イチロー選手の活躍は言わずもがなだ。9年連続の200本安打は、長いメジャーリーグの歴史でも、誰一人として成し遂げられなかった偉大な記録だ。『かっこいい!』
とため息をつくしかないのだが、そんなイチロー選手でも、9年連続100得点と9年連続30盗塁は達成できなかった。本当は、こんなとんでもない記録に挑戦できるというだけでも特筆ものなのだが、ファンというのは困ったものだ。もっと、もっとと期待してしまう。得点とは、ヒットや四死球、相手のエラー等で塁に出て、後続のバッターのヒットや四死球、犠打等でホームベースに帰ってくることをいう。これは自分の力だけでは達成できない。今シーズンのイチロー選手は、胃潰瘍や太ももの怪我で試合に出られないこともあった。徹底的な準備をして試合に臨むイチロー選手にしてはめずらしいことだった。やはり、WBCの死闘が影響しているのだろう。盗塁は26に終わった。あと4盗塁・・・。彼は、200本安打を達成した次の試合から盗塁に狙いを定めた。だが、直後のヤンキース戦で2度、けん制で刺されてしまった。万事休すだ。彼にはもう余力など残ってはいなかった。他にも、ダルビッシュ投手、松坂投手、青木選手など、WBCで活躍した選手たちの多くが怪我や故障に泣かされた。国を代表しての試合は、それほどまでに過酷だったのだ。
2009年のぼくたちは、自らスポーツに興じ、好きなチームの勝ち負けに一喜一憂している。本当に幸せだ。世界にはスポーツどころか、銃弾から命を守るために走らなければならない子供たちがたくさんいる。実家に帰ると、近くに住む甥っ子が
「サッカーしようよ!」 とボールを抱いて走ってくる。そろそろ、彼ともこんな話をしてみようか。
最後に、74歳にしてユニホームを脱いだ野村監督の著書の一節を紹介しよう。つい先日の夕刊にも掲載されていた味わい深い言葉だ。55年間、野球と真剣に向き合ってきた男の生き様が浮かび上がる。
“人生” という二文字は
「人として生まれる」
「人として生きる」
「人を生かす」
「人を生む」
・・・こう読める
|