第3教場にはオレを含めて20数名の受講者が配された。同年代が多いのかと予想していたが意外に若者や女性の比率が高い。いや、意外にというのはオレの偏見だ。若者に違反や事故が多いのは周知の事実だし、女性だからといって違反をしないということはない。携帯電話を見つめる者、本を読む者、机にうつ伏して寝ている者、ぼうっと宙を見つめている者。それぞれが講習開始をじっと待っている。まな板の上の鯉の心境を味わっているのはオレだけではなさそうだ。開始時間9時まであと10分。窓の向こうは絵に描いたような青空だ。

  違反者講習にはふたつのコースがあって、受講する者がどちらかを選択できるようになっている。この点が停止処分者講習や取消処分者講習とは大きく異なる。やはり優遇されているのだ。講習を受けるために試験場にいるという憂鬱な気分に変わりはないが、免停の人に比べればと思うと心が少し楽になる。おもしろいものだ。だが、逆に、免許の書き換えに来ている人を見ると何となくうらやましく思えてしまう。目くそ鼻くそ的な話だが人間とは本当に不思議だ。いや、人間だけではない。他の動物も、そして、考えようによっては植物も同じだ。どんな境遇で暮らそうが、どんな社会で生きようが、集団と名が付けば、そこには “層” というものができてしまうらしい。ほんの1日、試験場に集まった人たちの間にも不可思議な層が横たわっていた。


  「社会参加活動を含む講習」 と 「社会参加活動を含まない講習」。受講者はこのどちらかを選ぶ。簡単に言うと街中に出て社会奉仕、いわゆるボランティア活動をするか、実車やシミュレーターを使って試験場内で研修を受けるか、どちらかを選べということだ。どんなボランティアをするのか分からないのは不安だし、分かったとしても違反者がやらされているという空気の中で活動するのは恥ずかしい。試験場内で講習を受けたいと思うのが自然だ。ボランティアの内容は都道府県によって違うらしいが、概(おおむ)ねこんなところだ。

◆歩行者の安全通行のための通行補助誘導
◆交通安全の呼び掛け、交通安全チラシを配るなどの広報啓発
◆交通安全チラシ、ポスターの作成
◆カーブミラーの清掃等、道路上の環境整備
◆放置自転車の整理、撤去の補助


  チラシやポスターを作るのなら進んでやってもいい。だが、その他の項目はパスしたいものばかりだ。できることなら参加したくはない。とは言うものの元々反省を促(うなが)すための講習なのだから、これくらいのことはしょうがないとも思えて、やはり複雑な気分になる。オレのいる試験場のボランティア活動は 「交通安全活動体験講習」 と銘打たれ、歩行者の安全通行補助活動と交通安全の広報活動をするらしい。言葉の雰囲気からおおよその内容は分かるものの実際に何をするのかは皆目見当がつかない。どう考えても逃げ出したくなる。もう一方の 「実車による安全運転講習」 は実車による指導、運転シミュレーター操作による指導および考査。断然こっちがいい。


  ただ・・・ただ・・・ただね・・・「ホソダフトシ、実車コースでお願いします!」 とは素直に手を上げられない。ふたつのコースの講習料に差があるからだ。交通安全活動体験コースは10250円、実車による安全運転コースは14250円。これは大問題だ。この4000円をどう考えるか。どう捉(とら)えるか。4000円で恥をかくのを免れることができるのならと考える人もいるだろう。ここに至って、更に4000円も払いたくないと思う人もいるだろう。講習の内容と4000円、絶妙のバランスだ。皆、迷う。この講習を受ける前に、誰もが決して安くはない6点分の反則金を払ってきている。その上、ボランティアコースの方が額は少ないとは言え10250円も払わなくてはならないなんて・・・。どちらにしてもため息は止まらない。この期に及んで、あと4000円出すか出さないか、切実な問題だ。もし、違反していなければ1銭たりとも払わなくて済んでいたものを、というのが身勝手な恨み言だということは分かっているのだが、既に数万円を手放し、新たに最低でも10250円とお別れしなければならないと思うとやりきれない。「あのさ・・・2000円くれないか・・・」 この歳になって女房にこんなことを言うのは忍びない。1000円札を1枚と500円玉をふたつ黙って渡される身にもなってみろ。オレは、金輪際10250円の他には1円も出さない。

  天候が悪いときは試験場内で講習をと考える人もいるらしいが、結果的には多くの人がボランティアを選ぶらしい。当たり前だ。少々恥ずかしい思いをしようが、これ以上はたとえ100円でも余分に払いたくはない。オレは台風が来ようが火山が噴火しようが、ええい、どんな天変地異が襲ってきたとしてもボランティアコースを選・・・、す、すみません!言い過ぎだった。もしも100円の差だったなら、誰もが実車コースを選ぶに決まっている。200円差であってもオレは実車コースに変更する。もし、500円の差だったらどうするだろう。1000円差ならば・・・。2000円の違いだったら、オレはどうしていただろうか。


  第3教場にいるのは 「交通安全活動体験講習」 を選んだ人たちだった。最早覚悟はできている。堂々と行こうではないか。オレたちが選んだ 「交通安全活動体験講習」 は更にふたつのコースに分かれている。予(あらかじ)めボランティア講習を受けた上で別の日に教場で座学を行う 「事前体験コース」 と指定された講習日にボランティアを含めたすべての講習を受ける 「当日体験コース」 だ。こんなことに2日も使う訳にはいかない。ほとんどの人が1日で終わらせたいと思っているに違いない。もちろん、オレもみんなと一緒に 「当日体験こ・お・す!」 それにしても、コース、コースってちょっとしつこくないか。フランス料理や河豚料理を喰う訳じゃない。居酒屋の2時間飲み放題コースでもないんだ。コースが何だ!


  9時5分前になると、ふたりの教官らしき人が入ってきた。見るからに警察のOBと思わせるしっかりとした体つきだ。温厚そうで落ち着いた佇まいがふたりの共通点だ。室内にいた20数名から発せられるマイナスの気の塊(かたまり)なんてものにもまったく動じる様子はない。それどころか何もかもを包んでしまうかのような懐(ふところ)の深さも持ち合わせているようだ。・・・オレは一体何者なんだ?少々生意気ではないか。はたしてオレのこの洞察は正しいのか。

  「皆さん、おはようございます」

  小さなマイクを付けているらしい。はっきりとした声が黒板の左右の小さなスピーカーからも聞こえてくる。

  「窓を開けましょうかねえ・・・」

  その声を聞くか聞かぬかのうちにもうひとりの教官がササーッと窓を開けた。新鮮な空気が一気に第3教場に流れ込んだ。澄んだ青空の名に恥じない凛々(りり)しい風に誰もが顔を上げた。 (つづく)

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