まず最初に映画についての命題をひとつ。『おもしろい映画は好きな映画か・・・好きな映画はいい映画か・・・いい映画はおもしろい映画か・・・』そうとは言えない、と答える人も多いはずだ。“おもしろい”、“好き”、“いい”、この3つの表現は似ているようで違うし、必ずしも一致しない。もしこの3つの感覚をすべて満たす映画があるとしたなら、それはその人にとっての“本当の名作”と言うべきものだろう。他の芸術作品と同様に一般的に“名作”と呼ばれているものはたくさんあるが、それらは映画というものが発明されて現在に至るまでに作られた、数え切れない作品の5%にも満たないはずだ。1〜2%が妥当なところか・・・。ここではその“名作”には触れない。

  映画の“好き・嫌い”にはかなりの個人差がある。アカデミー賞を獲った超ロングラン作品を観て「なんだこりゃ」と思ったことのある人は沢山いるだろう。人から名作だぜ、絶対に観ないとまずいよ、なんて言われて頭から名作だと信じ込んで観たはいいが、あれ?たいしたことはないな、どこが名作なんだ!?と心の中では思いながら、「よかった〜!」なんて取り繕う人もいる。単館でしか上映されなかった作品に感動の涙を流した人もいるだろうし、最悪!と言われる映画から何かを得た、という人もいる。実際に、僕も「俺の一番好きな映画だから観てみて」と言われて、観始めたはいいが30分もしたら我慢ができなくなって止めてしまったことがある。物語の本質に触れる前に特有の感情表現の過剰な演出にいらいらしてしまったからだ。だから、あくまでもここに書いていることはまったくの個人的意見でありこの人はこう思うのだな、というような気持ちで読んでほしい。音楽にも言えることだが自分の持った印象をもっと大事にすれば本当の意味での多様性が見えてくるし、CD等の売上げの比率ももう少し正常な状態で推移するはずだ。

  “おもしろい”という言葉には“おかしい”とか“笑っちゃう”という軽めの意味の他に“興味を持つ”とか“深みがある”というような情緒的な意味もある。“好き”には感覚的あるいは感情的な雰囲気が漂い、“いい”には多分に感動を伝えるニュアンスが込められ“おもしろい”や“好き”の要素も含まれる。気が重いときに底抜けに明るいコメディーを観て一気に元気を取り戻した、なんて人は「ああ、おもしろかった〜!」「気分爽快!!」というところか。ストーリーや映像、音楽、すべてが気に入って「好い作品に出会えたなあ・・・」「これ好き!」と思えることもあるし、気になるテーマを掘り下げた作品や琴線に触れる物語に出会った時は「いい映画だった・・・」「言葉がでない・・・」としばし呆然とする。

  僕が考えるいい映画の条件のひとつに「時間が経っても覚えている映画」というのがある。観終わった時には「今まで観た中で10本の指に入るな」と思うほど感動した作品でもしばらくすると内容をまったく覚えていないということがある。観た時はおもしろいと感じてもその後、印象に残らなかったとしたら本当の“名作”とは言えない。

  僕にとって不思議な映画がある。『バクダッド・カフェ』という西ドイツの映画でパーシー・アドロンという女流監督の87年の作品だ。最初観た時は「なかなかよかったな」程度の印象しかなかったし、あまり好きなタイプでもなかった。ところが、すぐに「もう一度観たい」となり、しばらくしたらまた観ていた。知らないうちに好きになっていた。全編を貫くじわじわとした黄色がどこかをそっと刺激してくるような、乾いた砂が重要なメタファーとなって心の渇きが次第に潤されるような、一風変わった感覚を味わうことができる。そして最後には一人の想いは世界を変える力があるんだと信じさせてくれる、そんな映画だ。何より主役のジャスミンが本当に美しく思える。映画そのものよりも主題歌の『コーリング・ユー』の方が有名かもしれないし、『ぴあシネマクラブ』でも★5つ満点で2つ半という、きわめて普通の評価だったが、僕の心の中のまだ“表に出ていなかった”部分を開拓してくれた作品だった。今でも1年に1度はこの心地よさを味わっている。

  繰り返して観る映画があとふたつある。そのうちのひとつは『ある日どこかで』(Somewhere in time)というアメリカ映画、80年に作られたヤノット・シュワルツ監督の作品だ。この映画はノスタルジックなファンタジーにタイムトラベル等のSF的要素を巧みに織り交ぜた極上のラブストーリーだ。何とも言えぬハッピーエンドがいい。(こう思う人は何%ぐらいいるだろうか・・・)今は亡きスーパーマン役のクリストファー・リーブとジェーン・シーモアが本当に美しい。細かな映像や美術も素晴らしく、音楽、特にラフマニノフの名曲・パガニーニの主題による狂詩曲(第18変奏)がこれでもかというほど感動的だ。

  さて、繰り返し観るもう一つの映画だが、これは次回のお楽しみということにさせていただきたい。敬愛する彼と彼の作品の話は残りの紙面では到底書けないので。
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