昼休みに、地下の食堂でラーメンとカレーライスを平らげたオレは、意気揚々と第3教場に戻った。午前中の講義で、違反者講習を前向きに考えるようになっていたオレには、最早、憂鬱な気分などひとかけらもなかった。周りの受講者はというと、やはり大きな変化が見て取れた。一様に、イライラした表情から落ち着いた顔付きに変わっている。教場内の空気は明らかに和んでいた。マイナスを帯びた空気は一掃され、プラスの “気” が漂い始めたと言っていい。時計が13時を告げると教官が口を開いた。

「交通安全活動体験講習は2ヶ所で行います。1番から12番までの方を A班、13番から24番までの方を B班とします。A班は○○市○○神社前交差点、B班は○○市○○交差点に移動してもらいます。」

  オレは、受付番号12番だ。A班に配された。続いて、教官から一人ひとりに襷(たすき)、腕章、軍手が、何人かに手旗が渡された。その他、12番のオレと24番のご婦人にはポケットティッシュが入った黄色いバッグが手渡された。以下、詳細。

◆ 襷・・・幅10センチほどの黄色い襷。布でできている。黒文字で大きく 『交通安全』 と書かれている 。
◆ 腕章・・・白のビニール地、縁取りは濃い目の緑色。やはり、黒文字で 『交通安全』 と印刷されてい
  る。安全ピンで留める。
◆ 軍手・・・「軍手はお持ち帰りください」 唯一、これだけが支給された。
◆ 手旗・・・ビニールの黄色い旗。緑の字で 「横断中」 と書かれている。
◆ ティッシュ・・・警察のキャラクター、ピーポ君が印刷されている。

「では、これから1階に降りてバスに乗ってください。」
受講者たちは一斉に席を立った。

  いよいよ交通安全活動が始まる。『さあ、出動だ!』 オレは、まるで科学特捜隊の隊員になった気分だった。決して大袈裟な表現ではない。任務、いや、活動が待ちきれない。『“科学特捜隊” とは何だ?』 という声が漏れ聞こえてくるが、オレたちの世代の男子で知らぬ者はあるまい。蛇足になるかもしれないが、念のために記しておこう。科学特捜隊とは、1966年7月17日から1967年4月9日まで、テレビで放映された 『ウルトラマン』 に出てくる国際科学警察機構の下部組織のことで、怪獣や異星人の侵略から地球を守ることが重要な任務のひとつだった。正式名称は科学特別捜査隊という。この組織にはウルトラマンに変身するハヤタ隊員をはじめ、ムラマツキャップ、アラシ隊員、イデ隊員、紅一点のフジ隊員の5人が所属していた。他に、ホシノ少年という小学生が特別隊員として出演していたが、羨ましくてならなかったのはオレだけではあるまい。ウルトラマンはオレたちの世代のヒーローだった。バルタン星人、レッドキング、ダダ、ウー、ジャミラ、ピグモン、シーボーズ、ゴモラ、ゼットン・・・。40年以上経っているのに伝説の怪獣たちが目に浮かんでくる。このウルトラマン、オレにとっては1970年代に浴びたロックの洗礼と同等の価値がある。昭和30年代生まれの男たちの正義感は、ウルトラマンや手塚アニメの鉄腕アトムによって培(つちか)われたと言っても過言ではない。オレの好きなバンドに 『M78』 という名曲がある。ウルトラマンの故郷M78星雲から名付けられたに違いない。

  オレは日除けにボストン・レッドソックスのキャップを持参していた。襷を肩にかけ、腕章を左腕にしっかりと付け、キャップを被(かぶ)ると否が応にも気分が高揚してきた。階段で1階に降りると、マイクロバスが用意されていた。オレは、一瞬の隙を突いてマイクロバスの反対側に回り込み、携帯電話のカメラで自分撮りした。受講中は撮影禁止だったが、この機会を逃す訳にはいかない。『カシャ!』 オレは右手で堂々と敬礼し、左手で自分に向けてシャッターを切った。


  オレは、第3教場の仲間たちと共に○○市○○神社交差点行きのマイクロバスに乗り込んだ。目的地までは15分ほどかかるのだが、のん気に景色など見てはいられない。この短い時間さえも講習の一環なのだ。車内のテレビモニターで短編のドキュメンタリー映像が流された。実際の交通事故をモデルにした映像だ。なぜ、事故は起こったのか・・・。どうすれば回避できたのか・・・。事故原因が検証され、解明されていく。そのうちに、亡くなった被害者の家族が映し出され、その嘆きや哀しみをリアルに伝えてくる。遺族の悲痛な姿に胸打たれないものはいない。家族を持つ身であれば尚のことだ。更に辛いのが、加害者であるドライバーの苦悩だ。どんなに謝っても亡くなった人は帰ってこない。亡くなった方の墓前で泣こうが土下座しようが許してはもらえない。当然だろう。遺族にとってみれば、加害者は大切な家族を奪った張本人であり、殺人者であるからだ。映像は、そんな事実だけを刻々と伝えていた。

  交通事故は、被害者にとっても加害者にとっても残酷なものだ。重大な事故を起こしてしまったら、残りの人生を贖罪(しょくざい)だけに捧げなければならない。悔恨の日々が待っているのだ。もし、映像の中の加害者が自分だったら・・・。想像するだけでも辛い。映像を見た誰もが、加害者にも被害者にもなってはならない、と誓いを新たにするだろう。車を運転するということは、それほどまでに重い責任を持つということなのだ。いや、運転する時だけではない。歩行者である時にも最新の注意を払わねばならない。事故は決して他人事ではないのだ。


  映像が終わるか終わらぬうちに車が停まり、教官の声が沈黙を破った。

「着きました。荷物を持って降りてください」

  オレたちは、我に返ったようにごそごそと動き出した。『あの加害者に比べたら、違反者講習なんてどれ程のものか・・・』 皆、胸をなで下ろしているかのように見えた。事実、このドキュメント映像のおかげでこれから始まる交通安全活動に、より真剣に向き合えそうな気がした。オレは、映像の力のすごさを改めて実感した。

  交差点は、神社前の大きなT字路だった。オレたちはは6組に分けられ、そのうちの5組が横断歩道の端に配された。歩行者用の信号が青になったら黄色の手旗をあげるのだ。旗に書いてある 「横断中」 という文字がドライバーに見えるようにしっかりと掲(かか)げたい。オレはというと、最初はティッシュ配りだ。駅や繁華街でよく見かけるが、まさか自分がやろうとは夢にも思わなかった。教官には、通行者に配ってくださいと指示されただけだ。通りにはたくさんの人が行き交っている。最初は戸惑うかと思ったが、オレには恥ずかしいなんて気持ちは更々なかった。むしろ、義務感の方が勝(まさ)っていた。悲惨な交通事故を失くすための運動だ。しっかりやらないといけない。オレは、左手に黄色の袋を持ち、右手でティッシュを掴むと前を見据えた。ターゲットはすぐに決まった。オレの目の前を通り過ぎようとする主婦らしき人だ。オレは頭を下げながら、おもむろにティッシュを差し出して言った。

「交通安全お願いします!」

自然と腹の底から声が出てきた。  (つづく)

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