暑い日々が続いている。夏が暑いのは当たり前なのに、どうしても “暑い” という言葉が口をついて出てくる。それにしても、今年の太陽は遠慮というものを知らない。これでもかと熱波を叩きつけてくる。屋外に出るだけでも大変だ。ノリオは、地下鉄の駅から地上に出ると、シアトル・マリナーズのキャップのつばを傾けて恨めしそうに太陽を見た。お日様は、まだまだ序の口だと言わんばかりに余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)だ。午前9時を過ぎたばかりだというのに気温は35℃を超えている。地下鉄の駅から、徒歩わずか7、8分の会社までの道のりがやけに遠く感じられた。今日もひどい暑さになりそうだ。そして、おせっかいにも 『この時期に外で仕事をする人たちは気の毒だ』 なんて想いが自然に浮かんでくる。そういえば・・・。ノリオは2日前の出来事を思い出した。“出来事” というほどのことではなかったが、その場面はノリオの心の片隅になんとなく引っ掛かっていたのだった。

  昼休みにたまたま通りかかったコンビニの前でのことだ。そこには、中型ボックスタイプの宅配便の車が停まっていた。20歳ぐらいの女の子と40代後半のおとなしそうな中年男性のふたりが、後ろのドアを開けて荷物の整理をしていた。女の子は、アルバイトか新入社員だろう。男性は教育係の上司に違いない。ふたりが作業していたと書いたが、厳密に言うと、荷物を整理していたのはひとりだ。黙々と働く上司の横で、女の子は息をハアハアさせて立ち尽くしていた。そして、息を吐く度にひとつの言葉が何度も何度もこぼれ出た。

「あつい・・・」 「あつい・・・」

女の子の半開きの口からは、まるで鳥の鳴き声のように “あつい” が繰り返されていた。上司は黙って聞いていたが、ついに堪忍袋の緒が切れたのだろう。重い口を開いた。

「あつい、あつい、言わない!もっと、暑くなります!」

声は大きいが、言葉尻は優しい。果たして女の子に伝わるか・・・。

「ぁ っ ぃ ・・・」 「ぁ っ ぃ ・・・」

それでも、女の子の “あつい” は止まらない。声が小さくはなったものの形を変えただけだ。「ぁ っ ぃ ・・・」 は宙に溶け続けていた。

「なんのこれしき!」

上司は、女の子を叱咤すると同時に、自分にも言い聞かせるかのように腹の底から声を出した。

が、

それでも・・・。

「ぁ っ ぃ ・・・」 「ぁ っ ぃ ・・・」

吐く息と共に 「ぁ っ ぃ ・・・」 は漏れ続けていた。上司の言葉など聞こえていないかのようだ。ちなみに、“これしき” は、此れ式、是式と書く。『これと指し示すものごとの程度・価値などが問題にならないことを表す。わずかこればかり。これっぽっち。』 (大辞林)

  上司に小言を言われてもめげずに “あつい” を繰り返す女の子が大物なのか。それっきり口を閉ざした上司が大物なのか。兎にも角にも、上司は再びひとりで仕事を始め、女の子はひたすらに 「・・・ ぁ っ ぃ」 「・・・ ぁ っ ぃ」 と唱え続けていた。


  ノリオは思い出しながら女の子の真似をしてみた。肩で思い切り息をしながら、吐き出すごとに 「あつい・・・」 と続けてみると・・・。『はははは・・・何だか、少しすっきりするぞ』 暑さに対する何かしらの効用があるように思われた。それでも、汗は流れ出る。ノリオは、鞄に手を入れ、“手ぬぐい” を取り出した。そう、この手ぬぐいこそが、ノリオの新アイテムだ。1年前にふとしたことから手に入れた手ぬぐいに、これほどまでに心を奪われるとはノリオにも予想すらできなかった。

  手ぬぐいは、約90センチ×約33センチの布だ。日本人なら知らない人はいないだろう。ノリオにとって手ぬぐいは、あばあちゃんたちの時代のもの、タオルが日常品となる前に使われていたもの、歌舞伎や落語家の小道具、ぐらいの認識しかなかった。だが、使ってみるとその価値は計り知れない。こんなに万能な “道具” だったとは・・・。ノリオはその存在に感動さえしたのだった。

  手ぬぐいとは、本来、日本古来のものを示すが、明治時代に西洋から渡ってきたタオル地のものと区別するために “日本手ぬぐい” と呼ばれることもある。寸法がまちまちなのは、規格が曖昧だからだ。この曖昧さも手ぬぐいの大きな魅力のひとつと言える。手ぬぐいの起源は古く奈良時代に遡(さかのぼ)る。手を拭(ぬぐ)うための布として天皇に献上された麻の生地が、手ぬぐいのはじまりだと言われている。平安時代には、神事の際の装身具や儀礼や日除けなどにおいての被り物として使われ、鎌倉時代から庶民にも普及した。当時の布は、麻や絹でできた平織物だった。庶民が麻を、絹は主に貴族が用いていたそうだ。江戸時代になると綿が大々的に栽培されるようになり、木綿の手ぬぐいが大流行するのだが、その用途は数知れない。

  手ぬぐいの大きな特徴が、“端が縫われていない” ということだ。切りっぱなしの “端” は水切れがいいので衛生的だ。端を縫っていないからこそ乾きが早く雑菌がたまることもないため、清潔に長く使えるというのだ。意図的であったかのかは疑わしいが、素晴らしい効果を生んだ。もちろん、切りっぱなしだから糸がほつれる。そのほつれは、洗濯するたびにハサミで切ればいい。飛び出した糸を切るときにワクワクするのはノリオだけではないはずだ。それでも、2、3回洗濯すると落ち着いてくる。卸したては色落ちしやすいから、水でさっと手洗いすればいい。こちらも2、3回洗えば色落ちしなくなるので、その後は普通に洗っても大丈夫だ。いや、大丈夫どころではない。洗うごとに風合いが増し、使うごとに味が出てくるのが手ぬぐいの最大の魅力なのだ。洗う時の注意をひとつ。手ぬぐいは洗剤やお湯を使わずにたっぷりの水で手洗いするのが良い。風合いを長く保てるそうだ。

  さて、手ぬぐいにはどんな用途があるのか。ざっと紹介しよう。まず、軽くて持ち運びに便利だ。拭く、拭(ぬぐ)うというタオルやハンカチの役目は当然として、台所では、野菜や豆腐の水切りなどキッチンペーパーに劣らぬ働きをする。食卓ではランチョンマット、テーブルクロス、お手ふき、箸置きとして使え、古くなったら布巾(ふきん)、雑巾(ぞうきん)としても使える。メイク時のヘアバンド、髪留め(同じか?)、ヘアキャップ、ケープ、スカーフ、バンダナ、ベルト、腹巻、日除け、帽子の役割を果し、寒い時には、イヤーカバーやマスクとしても使える。そのほか、日本酒やワイン、弁当を包んでもいいし、ペットボトルホルダーやティッシュカバーにしてもいい。センスのいいデザインのものも多く、インテリアとしても贈り物としても喜ばれるまさに万能の布なのだ。

  更に、ノリオは、手ぬぐいがケガや病気のときも役に立つということを知り、その万能振りにますます感心した。細く切り裂いて包帯にしたり (端を縫っていないので手で切り裂ける) 発熱したおでこを冷やしたり (ビニール袋に氷を入れた氷嚢をのせてもよい)。骨折したときは添え木をして三角巾になり、悪寒がするときはカイロを包んで巻きつけてもいい。

  ノリオは、お気に入りの藍染めの手ぬぐいで汗を拭うと歩を早めた。なぜか太陽がそれほど眩しくは見えなかった。  (了)

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