つい先日、九州から東京までの1000キロを車で移動した。地図を見てみると日本列島の約半分を走破したことになる。気が遠くなるような距離だったが、助手席に飛び込んでくる景色は素晴らしく、眺めているだけで心洗われた。
九州から本州に入ると、中国道を進む。この高速道路は山間部を縫って走る。この山々がいい。日本は森林の国だったんだ、と小学校の社会科の授業で習ったことを思い出した。日本の国土面積は3779万ヘクタール。そのうちの2512万ヘクタールが森林だ。日本は国土の66%、約3分の2を森林が占めている。国土面積に占める森林面積の割合を森林率というそうだが、森林率がほぼ7割を占める日本は、先進国の中では、フィンランドに続いて2番目という森林大国だ。
山々だけではない。山間(やまあい)に佇む集落が、また何とも言えない。舗装されていない道が家々を繋いでいる。絵に描いたような光景だ。日本の原風景とも言えるこのような景色に憧れを抱くのは、ぼくだけではないだろう。日本昔話の世界が、実際に目の前に広がっているのだ。決して大げさではない。さすがに藁葺(わらぶ)き屋根の家こそ見えないが、瓦屋根が見事に山々に溶け込んでいる。煉瓦色(れんがいろ)や灰色といったように、集落ごとに色に特色があるのもおもしろい。また、集落には必ずと言ってもいいほど墓がある。墓があるのは別に不思議でも何でもないのだが、その
“在り方” が、都市部とはまったく違う。都市部では、墓は寺や霊園にあるのが当たり前になっていて日常的に目にすることはないし、今ではそこに行くことすら特別なことになってしまっている。だが、集落では墓も家々に負けないぐらいの存在感を示していた。朝ドラで話題の漫画家、水木しげるさんは、墓に行くのが趣味だと言っていた。趣味とは程遠いが、ぼくも墓は嫌いではない。墓石に刻まれた名字や家紋を見ているだけでもおもしろい。
ぼくが生まれ育ったのは関東平野の一部である九十九里平野だ。関東平野は一都六県にまたがる日本最大の平野として知られている。ぼくの町は海まで見渡す限り平地だった。もちろん、木々はいたるところにあったが、林と呼ぶのが精一杯で、見上げるような山を自分の目で見たのは、日光へ行った小学校の修学旅行が初めてだったように思う。高校卒業後も30年以上東京で暮らしているから、普段の生活の中で山を感じることはなかった。森林とはまったく縁のない生活をしてきたことになる。だからなのか、山に憧れるのだ。憧れるといっても、登山にはまったく興味がない。山の風に吹かれたいだけなのだ。富士山が視界の7割を占める場所に行ったことがある。富士山の存在感は別格だ。不思議な安心感に抱(いだ)かれると、呼吸していることにさえ感謝したくなる。
山間の集落を見ていると、なぜか子供の頃の記憶がよみがえってきた。“おじいちゃんち” での思い出だ。おじいちゃんちは、ぼくの実家から車で5分ほどの所にあった。正確に言うと
“あった” ではなく “ある” だ。だが、おじいちゃんが去り、おばあちゃんも旅立ってしまうと “おじいちゃんち” とも “おばあちゃんち” とも言えなくなってしまった。おじいちゃんは、役場勤めをしながら農業も営んでいた。おばあちゃんと母の妹
(ぼくからするとおばちゃん) が住んでいた。ぼくは、おじいちゃんちに行くのが大好きだった。庭では、季節ごとに様々な果物が実った。柿の木は30本もあった。無花果(イチジク)や葡萄、温州ミカンを取って食べた。夏みかんも枇杷(びわ)もあった。他にも、グミ、スイカ、イチゴ、キンコウ瓜・・・。パッと思いつくだけでもこれだけの果物があった。今思えば夢のような庭だ。グミは小さなサクランボぐらいの大きさの紅い実で、ちょっと酸っぱかった。裏庭の扉の前にあった。扉を開ける前にまずひとつまみ、パクリとやった。キンコウ瓜は、言わばメロンのような果物で色は黄色。さっぱりしていて美味かった。同年代以上ならご存知の方も多いだろう。春が過ぎて夏が起き出す頃には、松葉牡丹が庭一面を覆った。白、黄、赤、オレンジ、ピンク・・・。あざやかに咲き誇り、庭はそれこそ虹のような色彩にあふれた。あれほど見事な花園を、ぼくは未だ見たことがない。
ゴールデンウイークには田植えがあった。家族総出で作業だ。何人か手伝いの人もいた。畦道(あぜみち)を耕運機で行く。おじいちゃんがガタガタと運転する。ぼくはいつも隣に乗せてもらっていた。子供には、この耕運機がかっこよかった。自動車とは違う魅力があった。“コーウンキ”
という名の響きもよかった。角を曲がる時が見せ場だ。おじいちゃんは、立ち上がり身体をひねるとハンドルを切った。大きなハンドルが傾くと同時にコーウンキは反転した。『ぼくも大人になったら絶対に運転するぞ!』
と胸を膨らませていたのだが、残念ながら、この夢はまだ実現していない。
9月になると稲刈りだ。大人たちは鎌を持っての作業だ。手作業は大変だったに違いない。ぼくたち兄弟はというと、畦道で遊ぶ。畦道の脇の水路には大きなスイカが冷やしてあった。休憩時間になるとスイカの出番だ。おじいちゃんが鎌で豪快にスイカを割った。これもかっこ良かった。ぼくたちは、歪(いびつ)な形に割られたスイカにむしゃぶりついた。ひんやりと程よく冷えたスイカは本当に美味かった。
おじいちゃんの田んぼからは、何枚もの田んぼが連なっていた。コーウンキが通れる唯一の畦道を挟んで向かいも田んぼだ。ぼくは、その畦道の端に立った。目の前にはどこまでも真っ直ぐに続く道がある。『道は真っ直ぐだ。目を瞑(つぶ)って走っても大丈夫だ。どこまで行けるか、やってみよう』
ぼくは、思い切り目を閉じると 「それっ!」 とばかりに走り出した。全速力だ。だが、風を切っていたのは、ほんの一瞬だった。『アッ!』 と思ったときには、ぼくは頭からずぶ濡れになっていた。足の向きが左に逸れて、水路に真っ逆さまに落ちたのだ。パニックになって水から頭を上げたぼくは、やっとのことで目を開いた。しばらくの間、何が起きたのか分からなかった。 (了)
|