小学校3年生ごろを境に目の前の世界は一気に広がる。世間というものがぼんやりと見えてくるのだ。もちろん、個人差があり、時期の早い遅いはあるだろう。だが、誰もがこの門をくぐらねばならない。自分の置かれている環境や立場が少しずつ理解できるようになり、体力や知力が他人と比べてどのくらいなのかがおぼろげに分かってくる。簡単に言うと、現実を知るということなのだが、それはまた、自分自身に対し、残酷な宣告をしなければならない場合もあるということだ。
子供たちは、皆、“なりたいもの” になれると思っている。サッカー小僧たちは、日本代表の10番を付けるのは自分だと信じて疑わないし、野球少年たちは、例外なくプロチームのエースや4番バッターになれると思い込んでいる。男の子と比べ、現実を知るのが早い女の子にしても同様だ。水泳教室に通う子たちは、オリンピックで表彰台に立つ自分を思い浮かべながら、豆バレリーナたちは、プリマとして踊る自分の姿を思い描きながら、日々レッスンに励んでいる。オレも同じような道を歩いてきた。だから、身に沁みて分かるのだ。オレは、子供の頃、悪魔くんにだって、金田正太郎にだってなれると思っていた。金田とは誰か?聞くか。では、答えよう。鉄人28号をリモコンで操っていたあの少年のことだ。どうして、金田少年だけが、と悔しくてならなかったのはオレだけではあるまい。金田少年どころではない。宇宙人であるウルトラマンにだって、ロボットのアトムにだってなれると本気で信じていた。
このような時期を過ごせるか過ごせないかで、人生は変わってくるのだと思う。子供の頃の思いを遂げられるのは、一握りの人間だけだ。だが、たとえ自分の実力を知り、サッカーや水泳の日本代表にはなれないと悟ったとしても、道が閉ざされてしまう訳ではない。一層の努力を重ねて一流へと道を切り開く人もいる。置かれた状況の中ですべてを尽くそうとする人もいる。また、裏方やスタッフとして携わっていく人もいるだろう。他の道
(自分に向いている道であれば最高だが) に進み情熱を燃やす人もいる。どんな道であれ、一途(いちず)に夢を追い続けたことがある人ならば、また、何かに真剣に打ち込んだことがある人ならば、その道において
“真” を突き詰めることができるに違いない。だからこそ、幼い頃に 『自分は無敵だ』 と思える時期を持つことが、人生を豊かにするための栄養になると思えてならないのだ。少なくとも要素のひとつであることは疑いない。
果たして、世界の何パーセントの人が、このような時期を持てるのだろう。物心つくと、すぐに兵士として育てられる少年たちがいる。飲み水にさえ事欠き、泥をすすって生きている少女たちがいる。この子たちは、『何にでもなれる』
という子供だけに与えられた特権さえ持つことを許されないのだ。そして、残念ながら、この国では、そうした現実を現実として受けとめる土壌が、極めて希薄になってしまった。多くの人がテレビの中の出来事だと眺めているだけだ。では、どうすればいいのか・・・。どうやって知らしめればいいのか・・・。その一役を担うのが映画だ!とオレは自負している。人間を知り抜いた監督たちによって紡ぎ出された物語が、映像が、オレたちの心を動かし、まだ知らぬ世界へと向わせてくれるのだ。映画監督には、それだけの覚悟を求めたい。オレは、そんな映画界の一員だということに誇りを持っている。
ビー玉遊びが一段落すると、オレは急に眠くなった。睡魔に襲われ、目を開けているのさえやっとだ。タローと遊ぶには体力、気力、そして、休養が必要だ。いつもなら・・・こう続く。
「タロー、おもしろい遊びやろう」 (神妙な顔付きで提案する)
「えっ、なになに??」 (おもしろい遊びという言葉に食いついてくる)
「競争だ!むずかしいけどね」 (思わせぶりをする)
「なに?なに?なんの競争?」 (タローの目は期待感でいっぱいだ)
「横になって、どっちが早く眠れるか競争しよう!」 (万が一にも乗ってこないかと願いを込める)
「・・・・・・」 (タローは、ちょっと考えて・・・)
「ダメ!!!ふざけんじゃぁねぇ〜」 (今にもパンチが飛んで来そうだ)
当然、休ませてなんてもらえない。だが、この時、オレは本当に眠かった。ダメもとで素直に切り出してみた。
「タロー、エーガ眠くなってきちゃったんだけど、1時間寝てもいい?」
タローはオレの目をじっと見て・・・続けた。
「1時間?1時間ならいいよ」
「えっ!!」
信じられない言葉が返ってきた。思いがけない言葉に戸惑いながらも、オレは畳み掛ける。
「いいのか?」
「うん、いいよ。1時間経ったら起こすからね。」
オレは、タローの好意を素直に受けた。頭をふたつ折りにした座布団に乗せ、目を黒いタオルで覆った。そして、あっという間に眠ってしまった。
・・・
「エーガ、エーガ起きて!1時間経ったよ。」
オレには数10分にしか思えなかったが、時計を見るとちょうど1時間が経っていた。熟睡していたらしい。小学校3年生にとって、1時間がどのくらい長いのか、昔の小学校3年生にもよく分かる。
「タローは何してたんだ?」
「ここで遊んでたよ、見て見て!」
タローが指さした先には、積み木のロボットが屹立していた。
後で、お袋に聞いた話だが、タローは寝ているオレの側から一時(いっとき)も離れずに、ひとり遊びをしていたそうだ。積み木で巨大ロボットを作り、出来上がるとオレの横に寝そべったままカードを見たり、模型のロケットを戦わせたりしていたというのだ。『偉かったなあ〜』
オレは、少し胸が熱くなった。1時間は寝かせてやろうという精一杯の心遣いがうれしかった。約束を守った潔さも男として誇らしい。オレは、頼もしくなったタローの横顔を見つめながらゆっくりと起き上がった。 (つづく)
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