“地下室の会” と聞いて、皆さんはどんな “会” を思い浮かべるだろうか。『ピンとこない』 という人が多数ではないだろうか。あれこれ頭を巡らせて無理やり考えれば、例えば、白人至上主義団体KKK(クー・クラックス・クラン)や悪魔崇拝組織のような秘密結社の会合を (今どき?)、あるいは、隠れキリシタンのような弾圧された宗教組織の集会を (まじ?)、はたまた、仮面を付けた紳士淑女が繰りひろげる淫靡な世界を (ほんとかぁ?)、思い浮かべるのが精一杯というところだろう。そして、十中八九 『地下室の会ってなに?』 という問いが続く。

  確かに、“地下室” という響きには、“薄暗い”、“湿った”、“ジメジメした” といったWetなイメージがある。映画や小説で地下室と言えば、牢獄、拷問、監禁、殺人事件等の言葉が踊る舞台となる。人間は本能的に閉じ込められることが嫌いだ。地下室は地面を掘って作られた部屋だから、ほとんどの場合、出入り口がひとつしかない。密室なのだ。

  地下室のイメージの話はこの辺にしておいて本題に戻ろう。“地下室の会” とは、ぼくが副会長を務めるプロベーシストの会のことだ。プロのベーシストの会がなぜ、“地下室” なのか。理由は簡単だ。当初、“地下” の居酒屋に集まって飲んでいたということがひとつ。ベース(Bass)と地下室の英語であるベースメント(Basement)をかけたというのがひとつ。英語では、“Bassment Party” と表記している。Wetどころか、明るく前向きな会だ。知的でさえある。地下室の会というネーミングもユーモアとして捉えてほしい。ベースに命をかけた芸術家集団であり職人集団でもあるのだ。この会が始まったのが1998年だから、かれこれ13年間も存続しているということになる。ベーシスト4人で始まった飲み会が、まさか、こんなにも長く続くとは思わなかった。


  ぼくは、1996年冬、沢田研二さんのバンドに参加した。ぼくの前任のベーシストが富倉安生さんだったのだが、10年先輩の富倉さんは輝かしいキャリアを持つだけではなく懐(ふところ)の深い人だった。富倉さんに人間的魅力を感じたぼくは、ギブソンSGベースで独特のプレイをする佐藤研二(元マルコシアス・バンプ)とスタジオミュージシャン、サポートミュージシャンとして活躍していたスティング宮本のふたりに 『富倉さんを囲んで飲もう』 と誘った。この飲み会がきっかけとなった。最初は、富倉さんを囲んで話ができたらと思っていたのだが、ベーシスト同士話が弾む弾む。音楽談話は尽きない。ベースに関して普段考えていることや感じていたことを、同じ立場で同じ経験をしている人に語るのだから通じない訳がない。細かいニュアンスや機微までが伝わるのだ。あの夜は4人が4人とも興奮していた。誰もが1回だけで終わりにしてしまうのはもったいないと感じていた。

  「また、集まりましょう!」 ということになった。次は、知り合いのベーシストを誘ってこようという楽しみな宿題までが付いた。回を重ねて行った。すると、出てくるは出てくるは、芋づる式にベーシストが顔を出してくる。あっという間にベーシストの輪が広まっていった。


  地下室の会のメンバーは2011年1月の時点で173名。そうそうたる顔ぶれが名を連ねている。有名無名は問題ではない。1960年代後半から日本の音楽界を支えてきた先輩たちを始めとし、若手人気バンドのベーシスト、スタジオミュージシャン等、ベースを弾くことを生業(なりわい)としている人たちの集まりだ。集まりと言っても会費等はない。決まった集会がある訳でもない。組合ではないから政治的な意味合いもまったくない。アメリカではミュージシャンの世界にも大きなユニオンがあって、加入していないとプロのミュージシャンとして仕事ができない。組合員の資格はアメリカ人ミュージシャンの権利を守るライセンスのようなものだ。(※音楽家ユニオンは日本を含め多くの国にあるが、音楽界全体で機能している国は少ないようだ。) この制度は、良いところも悪いところもあると思うが、音楽のような感覚的な分野において、はっきりと線引きをするのには無理があるように思われてならない。そう考えると、地下室の会はかわいいものだ。折りに触れて飲み会をしたり、ライブを主催したりする。

  地下室の会はベーシストにとって貴重な “場” だ。レコーディングスタジオやコンサート会場等、演奏する場でベーシストがふたりいるということは、まずあり得ない。楽器の性格上、ベースという楽器は常にひとりで十分だからだ。ギターやキーボードが複数というのはよくある編成だ。ドラムがふたりというのもめずらしいが、ツインドラムがないことはない。つまり、ベーシスト同士は同業者でありながら、音楽制作の現場では決して顔を合わすことのない存在なのだ。複数のバンドが出演するライブやフェスティバル、あるいはテレビ番組では、顔を合わすことがあっても一緒に音楽を作りあげるということはない。

「弦は何使ってる?」
飲み会で誰かが問う。

「ニッケルとステンレスどっちが多いのかな。ニッケルの人〜?」
半数が手を挙げる。

「ええ〜っ、ステンレスでしょう?ステンレスの人〜?」
すぐに声が出る。

「はい!」
「オレも!」
こちらも半数だ。

「あれ、オレどっちだろ?」
「オレもわかんねえ・・・」
こういうタイプの人もいるからおもしろい。ベーシストだけが集まってこんな話を延々と続けるのだ。

(つづく)

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