楽器と性格についてもう少し考えてみたい。バンドの花形といえばやはり、ギタリストだ。文句なくかっこいい。まず、ギターは存在自体が美しい(もちろんベースも!)。改めて言うまでもなく歴とした芸術品だ。美しい曲線を湛(たた)えたシルエット、ネックの肌ざわり、それぞれの色に染めあげられたボディ。花と見まがうばかりだ。女性のボディラインをイメージして作られたという話もまんざら嘘ではないと思える。ヘッド(頭)、ネック(首)、ボディ(胴)。人間の身体と同じではないか。

  フェンダー社の “ストラトキャスター” とギブソン社の “レスポール” が、エレキギターの2大巨頭だ。それぞれ、レオ・フェンダーさんとレス・ポールさんの作品。レオ・フェンダーはフェンダー社の創業者であり、ギブソン社を起こしたのがオーヴィル・ヘンリー・ギブソンだ。スズキ・バイオリンの鈴木さんやヤイリ・ギターの矢入さんと同様、人名がそのままメーカー名となっている。その点は、車のホンダやトヨタに似ている。そして、商品の素晴らしさは、会社やそのロゴを輝かせる。今や、『Fender』 や 『Gibson』 は名器の証だ。光を放ベンツやポルシェのエンブレムのように存在感を漂わせている。ぼくなどは、ベースやギターのヘッドで微笑む 『F』 や 『G』 の字体を見るだけでつい興奮してしまう。そのときめきは一向に衰えない。定年退職してから、フェンダーやギブソンのギター、ベースを手に入れる人たちの気持ちが良く分かる。70年代の日本では、グレコ社やトーカイ社がストラト (ストラトキャスターの略) やレスポールのコピーを作り、廉価で販売していた。ロゴまで笑えるほどそっくりに似せてあった。そのセンスたるや見事としか言いようがない。正真正銘の本物ではなかったが、それでも、本物に手の届かなかった当時の少年たちに夢を与えてくれた。驚いたことに、その頃のグレコやトーカイのストラト、レスポールは今や、名器として世界で評価されている。日本の職人魂が感じられる。

  今では、ストラトはエレキギターのスタンダードな仕様のひとつとされているが、正式には1954年にフェンダー社が発表し、商標登録された商品だ。だから、他のメーカーのストラトは、正式にはストラトキャスターではない。あくまでもストラトキャスター“タイプ”のギターであって本家本元のストラトは、フェンダー社だけのものなのだ。ストラトは、ギターの王様だ。プロ、アマを問わずに、多くのミュージシャンがストラトタイプを使っている。皆、便宜上、ストラトタイプであれば一様にストラトと言っているが、ストラトの名誉にかけて、この点だけははっきりさせておきたい。(レスポールやジャズベース、プレシジョンベースにおいてもまったく同じことが言える。)

  ところで、ストラトキャスターの意味は何なのだろう。やっぱり気になる。当時、ストラトビジョン (stratovision) という造語があった。成層圏 (stratosphere) とテレビ (television) を合わせた言葉で成層圏中継放送という意味だ。ベース (bass) と地下室 (bassement) を合わせた造語 “地下室の会” (bassment party) と発想が同じではないか (笑)。ストラトの兄貴分であるブロードキャスターやテレキャスターのように、当時の最先端機器だった “テレビジョン” や “衛星放送” をイメージしたネーミングだったようだ。当時としては、宇宙時代の先取り的な意識があったのだろう。確かに、新時代の楽器エレキギターにはふさわしい名だ。

  ストラトは、カントリーミュージックに使用することを想定して設計されたと言われている。なるほど、バディー・ホリーが持っていた真っ赤なストラトが印象的だ。当時、ストラトの人気はかんばしくなく、一時期は生産中止にまで追い込まれそうになったらしい。そんなストラトを世界一の名器に押し上げたのが、ジミ・ヘンドリックスだ。ジミヘン (ジミ・ヘンドリックスの略) は、ストラトとマーシャルアンプで、強烈なディストーションサウンドを引き出した。また、トレモロをいかした変幻自在の演奏も相まって、ストラトが持つロックギターとしての潜在能力の高さを見せつけた。まさに、ロック界、ギタリスト界最大の功労者だ。50年経ってもその魅力は衰えない。いやいや、衰えないどころか輝きを増す一方だ。まだ聴いたことがないという方は、ぜひCDを買って、う〜ん・・・映像の方が分かりやすいかな。ぜひぜひDVDをご覧あれ。魂の叫びを音にした男を知っておくのも悪くないと思う。ストラト遣いとしては、ジミヘンの後にエリック・クラプトン、ジェフ・ベック、リッチー・ブラックモア等が続いた。ぼくの近くにも稀代のストラト遣いがいる。彼ほど見事に弾きこなすギタリストはそうはいない。ストラト本来の音を間近で聞けるのは、プレイヤーとしてうれしい限りだ。

  地下室の会というタイトルのエッセイであるにもかかわらず、ギターの話が続くが、もうしばらくお付き合い願いたい。エレキギターなくしてロックは語れないのだ。


  バンドにおけるギタリストの役割はどのようなものか。ギタリストにはボーカルを兼ねる人が多い。ジミヘンやエリック・クラプトンがそうだ。名実ともにバンドの顔として他のメンバーたちを引っ張っていく。ギターは、歌う人には打ってつけの楽器だ。コード楽器であるからハーモニーが付けやすく伴奏に適しているのだ。それに比べて、ベースを弾きながら歌うとなると難易度はかなり上がる。単音楽器であるだけなく、ギターやピアノに比べ音域が低いからだ。音域が低いと音程をつかみづらくなる。代表的なベースボーカルといえば、ビートルズのポール・マッカートニー、ポリスのスティング、キング・クリムゾンのグレッグ・レイク、ジョン・ウェットン等だ。皆一様に歌がうまい。ベースラインを刻みながら歌うには並以上の歌唱力が必要だということだ。と同時に、頭の中で歌とベース、二つのラインを奏でるというある意味特殊な能力も必要とされる。ぼくもベースを持ったときからそんな彼らを目指してはいるのだが、どこまで近づけたか。まだまだこれからだ。インストルメンタルの場合は、ベース1本で歌の分まで “歌おう” という意識が働く。楽器でも “歌える” のだ。


  ピンのボーカリストがいるバンドでは、ギタリストは、2番手の存在となることが多い。レッド・ツェッペリンのジミー・ペイジやディープ・パープルのリッチー・ブラックモア、ローリング・ストーンズのキース・リチャーズやエアロスミスのジョー・ペリー等がそうだ。RCサクセションのチャボさん等もこのタイプ。一歩下がったところにいながらにして、ときには、ボーカリスト以上の人気者となることがある。2番手のかっこよさは、前出の軍師的役割にも通ずるが、ベーシストとはまた違う。ベーシストは別次元の存在なのだ。  

(つづく)

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