いつ頃だったか興味深い話を聞いた。「お袋の味とはどういうものか」という話だ。人間は(他の多くの動物もそうだが)ある程度の年齢になるまでは食べ物を自分で選ぶことができない。手に入れることもできないし、目の前にあったとしても自力では口にさえ運べない。生まれてからしばらくは100%他人の手によらなければ食べられない、すなわち生きていけないのだ。食べさせてもらうために「生き死にはあなた次第だ」といわんばかりの愛くるしい無防備さが必要となる。この世に生を受けてどうにか自分で食べられるようになるまでは自分自身のありのまますべて、何もかも隠さずにさらけ出さなくてはならない。そしてその裏返しの愛らしさ、かわいらしさが命を繋いで行く。生まれたばかりの子は母でなくとも愛(いと)おしく思える。キリストや釈迦だけではなく生まれたばかりのすべての子供たちが光輝いているのだ。犬や猫はもちろんのこと、牛や馬、豚だって子供はかわいい。ゴリラだってサイだってアザラシだって思わず微笑んでしまう。生き抜く本能がそうさせるのだ。蛇やトカゲにしても生まれたばかりの子蛇、子トカゲなら頑張って生き抜いてくれよ、という気持ちになってしまう。人間は自意識が芽生えてくるとかわいらしさの過剰や甘えも目立ってくるが、そのころにはコミュニケーションが取れるようになっているから押し引きでどうにか生き延びることができる。近頃は母親の母性喪失によってこの法則(?)が通用しなくなり簡単に生を放棄させられる子供たちがいる。何がどうなってしまったのか、忌むべき問題だ。 赤ん坊は与えられさえすれば毒をも喜んで飲み込む。食べ物を運んでくれる人に対しては「死をも厭わない」とまでは言わないが、それに近い想いで臨んでいるのだ。なんとこの気持ちがお袋の味へと繋がって行く。自分の命を守ってくれている「信頼すべき人」が口に入れてくれるものならば何でも受け入れ、その結果として生きてこられたという安心が、転じてその人に与えられたものならば何でも美味しいと感じるようになる、と言うのである。なるほどと相槌を打ちたくなる。たいていの人は物心がついてから大人になって家を出るまでずっと食べ続けていた“慣れた味”がお袋の味だ、と漠然と思っているはずだ。僕もそう思っていた。当然それもある。だが、お袋の味にはその感覚をはるかに超えた味わいがあったのだ。まさに“安心感の極致の味”と言えるだろう。この場合の無意識はユングの八層の意識の中でも最も底深い“生物的無意識”に属するのではないだろうか。誰もが認める「美味しいもの」を食べるのとはまた違う美味しさがお袋の味にはある。その人にしか分からない至極の味なのだ。 僕にとってのお袋の味をひとつ選べと言われたら・・・う〜ん、かなり迷うが卵焼きと答える。卵焼きは家庭料理の代表だ。これほど個性の出やすい料理はない。我が家の卵焼きは甘い。何もつけずに食べる。出来上がりにはプルンとしたツヤがあり、黄色と焦げかけた黒のコントラストは交流戦の阪神タイガースのキャップを思わせ見事に食欲をそそる。ここで思い出すのは絵本※『ちびくろサンボ』だ。物語の最後、虎は木の周りをぐるぐる回って美味しそうなバターになる。そのバターで作ったホットケーキをサンボのお母さんブラック・マンボは27枚、お父さんブラック・ジャンボは55枚、そしてちびくろサンボはなんと169枚もたいらげるのだが、そのホットケーキのイメージなのだ。 家庭料理で個性の出やすいもの、といえばお弁当がある。特におにぎりだ。(どのくらいの範囲で使われているかは分からないが旧光町辺りではおにぎりのことを「やんき」と言う)運動会でのお弁当ほど楽しみで美味しかったものはない。校庭のあちらこちらで広げられたお弁当は60年代日本の平和の象徴であるかのようだった。(ははは、ちょっと大袈裟かな)今はというともちろんほとんどのお母さんは子供のために知恵を働かせたりネットを利用したりして愛情のこもったお弁当を作っている。しかし、コンビニの弁当を買って持たせたり、お金だけ渡したりするというようなお母さんもいるらしい。それはちょっと悲しい。お母さん方、どんなに時間がなくても、手を抜いてもいいからお弁当は作ってあげてください。お父さんでも、おばあちゃんでも、おねえちゃんでも、おにいちゃんでもいい、手作りの味というのはかけがえのないものなのですよ。 全国の超手抜きお母さんにメッセージを送ったところで今回は終わり。5月は緑の美しい季節だ。今度横芝光町に帰ったらやんきと卵焼きを持って散歩だ。 ※イギリス人ヘレン・バナーマンがインド滞在中に子供たちのために書いた絵本。1899年にイギリスの出版社より初版本が刊行され、その後世界各国で出版された。アメリカでは黒人差別の問題で70年代に書店や図書館から姿を消し、日本でも88年に絶版となったが、2005年に復刻版が発売され話題となった。子供の頃に読んだ時はホットケーキのイメージが強烈で食べてみたいと心から思った。約40年ぶりに読んでみたがカラフルでイメージのわきやすい絵本だ。 |
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