寒さもそろそろ帰り支度をしようかという弥生のある日、我らが愛するこの国で大変なことが起きた。東日本大震災だ。その時、オレはというと、午後一の打ち合わせを終え、電車で会社に戻ろうと徒歩で新宿駅に向かっているところだった。目の前の電信柱がぐらぐらっと揺れた。地震だ!だが、いつもとは様子が違う。“揺れ” が尋常ではない。『並みの地震じゃねえ』 オレは直感的に察知した。ビルが、木々が巨人の手で揺(ゆ)り動かされているかのようにしなっている。立っていることもできなかった。『どうなっちまうんだ。これじゃまるで日本沈没じゃねえか・・・』 見上げると空までもが異様な色をしている。喉元に底知れぬ恐怖がこみあげてきた。どのくらい揺れていたのだろうか。数分がとてつもなく長い時間に感じた。ようやく揺れが収まった。道には、建物から出てきた人たちが青い顔で立ち尽くしていた。人込みの中、駅に行ってみたが、電車が動くはずもなく道路も大混雑だ。唯一の通信手段である携帯電話も繋がらない。結局、誰とも連絡がつかずに歩いて帰るはめになったのだが、そんなことを被害とは言ってはいけないような厳しい現実がオレたちを待っていた。

  その後の混乱と惨状は、今更オレが書くこともないだろう。東日本大震災と名付けられたその地震は、歴史に刻まれる大災害となった。亡くなられた方々や被害に遭われた方々のために祈らずにはいられない。少しでも早くいい方向へと向かってほしいのだが、如何せんそうはいかない。政府や東京電力の措置は後手を踏むばかりだ。何をやってんだ!とオレなんぞは俗人だからついつい文句がこぼれてしまうが、誰もが精一杯やっているんだと自分自身を納得させるしかない。

  大地震というと、1923年(大正12年)に起こった関東大震災を連想する。昼飯時を襲ったこの地震によって10万人以上の人が亡くなった。その多くは火事による犠牲者だったそうだ。今回は “火” ではなく “水” で多くの人が犠牲になってしまったが、地震は “その後” こそが恐ろしいということをまたしても教えてくれた。現代では死語だが、怖いものの例えに 『地震・雷・火事・親父』 がある。言うまでもなく世の中の怖いものを順に挙げた日本の古い言葉だ。ここでも最初に来るのが地震だ。日本人は過去の体験から、地震ほど恐ろしいものはないということを知っていた。ちなみに、4番目の親父は大山風(おおやまじ)(台風のこと)がなまったらしい。現代の親父には似つかわしくない。早く元に戻した方がいい。

  日本は地震大国と言われるほど地震が多い。この国は、4枚のプレートがせめぎ合っている危険な場所に乗っかっているらしい。運、不運で言うならば不運としか言いようがない。それでも、世界地図の右端に載っている小さな島国は、世界の誰もがうらやむような美しい国だ。美しいのは、四季や景色だけではない。日本人の心の美しさも広く知られている。そして、仕草や佇まいまでもが美しいと世界の尊敬を集めている国なのだ。この国の先人たちは、世界中の困っている国々に手を差し延べ続けてきた。そのことを誇りに思うが、先輩方が助けてきた国の人々がそのことを忘れずにいてくれたこともうれしい。世界の多くの国が、貧しさにあえぐ国までもが、大震災に襲われた日本を救おうと支援をしてくれているのだ。『がんばれ日本!』 という言葉が世界中で叫ばれている。この言葉が、今ほど心にしみることはない。


  久しぶりに停電を体験した。“計画停電” と言うが、どう考えても当初は “無計画停電” だった。“予告停電” とか “かもしれない停電” に変えた方がいいと思ったのはオレだけではないはずだ。停電と聞き、懐中電灯でも用意するかと思ったときにはすでに売り切れだった。どこを探してもない。仕方なくもらい物のろうそくを並べてみた。仏壇に置くようなろうそくではない。飾り用のものだ。煙草を止めたときに未練になるからとライターはほとんど捨ててしまったが、愛用のジッポーだけはひとつだけ残してあった。オイルもある。久しぶりにオイルを入れ、火をつけてみた。懐かしい香りが立ち上る。さて、とジッポーをろうそくの芯に近づけるのだが、ろうそくが太過ぎてなかなかうまくいかない。ジッポーは、横向きに火を点けるのには向かないのだ。その点では、100円ライターの方が勝手がいい。火事になっては元も子もないと思い、オレは100円ライターを買いに走った。

  夕方、停電はズバッと来た。瞬時に静けさが横たわった。電池で動く時計の秒針のみがカチカチと音を立てている。電気がないとこんなにも静かだったのか、と新鮮な思いも心を過(よ)ぎるから不思議だ。水道の蛇口をひねってみた。水は出る。ガスは・・・点いた、これもだいじょうぶだ。さて、何をしようか、と考えてビデオでも見るかと一瞬でも思ってしまった自分が恥ずかしい。とりあえずは、湯を沸かしてインスタントコーヒーを飲んだ。本を読むにもろうそくの火では心もとない。この状況で何ができるかと考えた挙句、思いついたのはアイポッドで音楽を聴くことだけだった。しかし、それもなぜか乗り気がしない。結局、オレには何もすることがなかった。いつも生活している場で沈黙と対峙することが、これほどまでにむずかしいことだったのかと唖然とするだけだった。人里離れた山の中や避暑地にいるときに感じる静寂とはまったく異質のものだ。オレたちの生活は、電気によって守られているのだと改めて弱点を思い知らされたような気がした。

  寝るか!こんなときには寝るに限る。オレは、布団に滑り込んだ。どのくらい経っただろう。眼を開けるとテレビの左下に赤い点が灯っていた。ジィーッと聞こえるのは冷蔵庫の音か。停電は終わっていた。

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