今編はベースのススメ第3弾!書き始める前にベースのススメ(一)<百二の葉>と(二)<百四十九の葉>を読み返してみた。紙面を費やした割にはベースのことにはあまり触れていない。(一)では、バンドにおける基本的な楽器の紹介、アンサンブルの中でのベース音の役割、ベーシストの立場、ぼくが最初にベースに魅せられたフレーズ等について書いたが、ギターやドラムについてもかなりスペースを割(さ)いている。(二)では、師匠と弟子の話に終始し、ベースに関しては基本的なフォームの話だけで終わっている。これでも、ベースのススメと言えるのかと自問してみたが、すぐに 「これでいいのだ」 という結論を得た。この言葉は、ご存知、赤塚不二夫の名作 『天才バカボン』 のバカボンのパパの決まり文句だ。今までは気になどしていなかったが、声に出してみると、なんて含蓄のある言葉なのだろう。老子の言葉を想像してしまう。金子みずずの 「みんなちがって、みんないい」 にも、相田みつをの 「そのままでいいがな」 にも通ずるではないか。ぼくは、前から “いい” という言葉が好きだ。前向きなニュアンスで響きも “いい”。漢字では “善い” “好い” と書く。中国語の一(いち)は “イー”、仮面ライダーに出てくるショッカーの戦闘員の掛け声も “イー” だ。

  あ〜・・・またしても脇道に、それも大きく逸れてしまったが致し方ない。書き出すまでは、バカボンについて書こうなどとは夢にも思わなかった。よし、脱線ついでにもう少しバカボンに突っ込んでみるとする。バカボンとはインドの古語サンスクリット語の 「薄伽梵」 (ばぎゃぼん)から来ているという説がある。名の由来には他にいくつかの説があるが、赤塚不二夫とその作品には、そうなのかもと思わせてしまうような魅力がある。ちなみに、薄伽梵とは “煩悩を超越した徳のある人” もしくは “釈迦” 自身のことを表す。それにしても、明らかに脇役であるバカボンの名がタイトルになっているということが昔から不思議でならなかった。

  当初はバカボン本人を主役にと考えて連載が始まったが、次第にバカボンのパパにフォーカスが移っていったというのが通説だ。だが、単純にそうですかとは言えない何かが、赤塚不二夫自身にはある。結果として、『天才バカボン』 は、意味深で、裏の裏があるのではと興味をそそられる絶妙のネーミングとなった。赤塚不二夫の生き方も作品も、パッと見では、どこまでが本気でどこまでがお遊びなのか分からない、と思わせるような雰囲気がある。掴みどころがないという意味だ。しかし、ぼくには、彼自身の生き方も作品も、すべてが本気も本気 “必死” “全力” “真剣” の結果だとしか思えない。のた打ち回って作品を世に送り続けた男の凄まじい努力が垣間見えてならないのだ。手塚治虫、石ノ森章太郎、さいとうたかを、水木しげる、白戸三平・・・綺羅星のごとく輝いた昭和の漫画家たち。彼らを例えるとしたら、モネ、セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャン、ルノワール等の印象派の画家たちの名を挙げるしかない。


  ベースのススメというタイトルらしからぬ長く大きな脇道となってしまったが、、脇道や道草が大切なのは今や常識と言ってもいい。ただ、この常識には理想論的な側面があるのは否定できないし、目標へまっしぐらというのも美徳のひとつであることに変わりはない。さて、ここをどう考える。

  脇道のことを考えていたら、大学受験での日本史の試験を思い出した。ポイントは “視界” だ。教科書に太字で書かれている出来事や人名については直接そのことを問われれば誰もが容易に答えられる。重要事項とし暗記しているからだ。この場合、視界は小さな点でしかない。受験者は皆真剣に勉強している人ばかりだから、こんなところで点差がつくことはない。試験の合否は1点で決まる。この1点をどう取るかが問題なのだが、鍵を握るのは意外にも教科書の欄外に小さな文字で書かれている注釈であったり、写真や資料の説明文であったりする。視界が広ければ広いほど見える範囲は大きくなる。当たり前のことだが、見える範囲が大きければ、より多くのことが見えるということだ。

  ベースのススメ(二)では、『10本の指で球体を作りそのままの形で手を離し、左手はネックに、右手はピックアップの上辺りに持っていくといい』 ということを書いた。かなり重要なポイントだ。これができていないベーシストがどれほどいることか。(三)では、その次にどうするのかを記そう。いよいよ、今編の核心部分だ。大事なのは運指だ。運指とは文字通り、指の運び方のこと。指を自由自在に動かすための訓練だ。自分の指であるにも関わらず、なかなか言うことを聞いてくれない。思い通りに操れるようになるには相当の時間が必要だ。

  人差し指と中指は他の2本に比べて力が強いから、この2本の指だけですべての弦を押さえようとする人がいる。2本だけでまかなえないこともないが、それでは先に行ってから途方もない苦労をすることになる。見栄えもよくない。初めてベースを手にした人の4本の指の力の合計を100としたら、人差し指が45、中指が40、薬指と小指はそれぞれ10と5ぐらいだろう。長年の経験からはじき出した数字だが、まず、間違いはないと思う。10と5しか力の入らない指をせめて25ぐらいに持っていくための訓練が運指なのだ。10と5の指を鍛錬で30と25にしたとしよう。人差し指と中指はもともと45と40だから、合計140の力で弦を押さえることができるようになる。

  左手の4本の指は指板に対して垂直に降ろす。球体を作った形のままだ。できるだけ大きな圧力でしっかりと弦を押し留める。4弦ベースの場合、人差し指を4弦(一番太い弦)の 5フレット(A音)に置き、右手の人差し指で4弦を弾く。このとき、力の方向はボディーに対し平行ではない。意外に思われるかもしれないが、ボディーに対して垂直方向だと考えて間違いない。指の力を下に落すようなイメージで弦を下方向に弾(はじ)く。人差し指をそのまま固定して、次に中指を隣の 6フレット(Aシャープ音、あるいはBフラット音)に、同じように薬指を 7フレット(B音)、小指を 8フレット(C音)に置いていく。このとき、指は必要最小限しか動かさないようにする。4弦の次は3弦だ。2弦、1弦と続ける。1弦の 8フレットに小指が収まったら、今度は同じことを1弦から繰り返す。4弦まで戻ると、ここまでで、計32の音を出したことになる。32の音の大きさと粒をそろえ、同じようなニュアンスで弾けるようにすることが大切だ。

  大工さんならばノコギリ引きが、空手ならば正拳突きがすべてであるように、ベースの場合もまた正確な運指と右手のタッチがすべてだ。「え〜っ、それだけ?身も蓋もないじゃないか」 という声も聞こえてくるが、正確な運指ができるようになるには数10年が必要とされる。運指の練習はベースを弾く限り永遠に続けなくてはならない修行なのだ。“指が動く範囲” でしか音を表現できないということを自覚しなくてはならない。さて、これは、真理なのか、戯言(たわごと)なのか。こんなとき、バカボンのパパならこう言うだろう。

「さんせいのはんたい はんたいのさんせいなのだ」

(了)

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