2005年11月10日に 『壱の葉』 を発表してから丸6年が経った。10日ごとに月3編のエッセイを書き続け、今編で196を数える。国内、海外を問わず、ツアーで東京にいないときは休ませてもらったし、今年の5月からは、月2編に変更したので、6年を通してきっちり月3編という訳にはいかなかったが、順調に行くと今年最後に199編目を発表し、来年の一発目が200編目となる。6周年、200編、どちらにしてもある種の達成感や満足感がある。実に、気持ちがいい。

  6年前、思いがけずエッセイを書くことになった。タイトルは 「千葉」 → 「千の葉」 から 「Thousand Leaves」 とし、千編が目標だと謳(うた)った。もちろん “千” は、語呂合わせであり言葉の綾だ。本気で千編も書けると思った訳ではない。読んでくださる皆さんも、まさか、本気で千編を目指している、なんて思った人はいなかっただろう。当然だ。歌詞を書いたことはあったものの、散文は学生時代の作文以来だった。それでも、もし、万が一にも “千” まで行けたらすごいとの願いが込められたタイトルとなった。県名からの発想だが、偶然にしては夢がある。エッセイを書くようになって分かったことだが、言葉での表現も、音楽のそれとよく似ている部分がある。同じ内容を伝えるのでも、人によって使う言葉はそれぞれだ。例えば、角を曲がったら大きなビルがあったとしよう。

「足を止めた私の前に大きなビルがそびえていた。」
「足を止めると、巨大なビルが私を待ち構えていた。」
「足が止まると同時に、私の目が馬鹿でかいビルを捉えた。」

  このように、ひとつのことを伝えるにも、幾通りもの表現がある。書く人によってそれぞれのリズムがあり、メロディーがあるのだ。時には、ハーモニーさえも感じられることがある。これらは、音楽の基本3要素と同じだ。ベースの場合で考えてみよう。同じ 「G」 の音を鳴らすのでも、どの弦のどのフレットを押さえるのか、どのくらいの強さで弾くか、4拍のうち何拍弾くか、瞬間瞬間のこうしたチョイスが、その人なりのフレーズを生んでいく。また、指定されたフレーズであっても “歌い方” は、十人十色だ。的を射た表現ができるようになるには “経験” が必要だ。バンドでもセッションでも、数多くのアンサンブルの中に身を置くことがものをいう。うまくいったことよりも、失敗から学ぶことの方が多いのは知れたことだ。どんな道においても地道な経験を重ねていく以外に上達する術はない。

  エッセイの題材は様々だ。日々の生活の中で自分が感じたことが主だが、本や映画、テレビからヒントを得てキーを打つこともある。時には、テーマが何も浮かばないままパソコンに向かうこともあった。また、予想外に楽しいのが、自分が辿ってきた道を振り返ることだ。初めてレコードを買ったときのこと、楽器を手にしたときのこと、書かなかったら思い出さなかったであろうことも多々あった。近々、九十九ボーイの第2部にとりかかる予定だ。大学に入ってから、プロとしてデビューするあたりまでを書いてみようと思う。

  思ってもみなかった結果を生んだこともあった。自分の言葉では書きづらいと悩んだ末に登場したのが 「ノリオ」 だった。第三者の口を借りることによってバリエーションが増え、視野を広く持てるようになった。そして、寡黙なノリオに語らせることで、期せずして小説という形となった。文章表現の新たなおもしろさに気付き始めたのも、このころからだったろうか。ノリオの会社には 「フトシ」 がいた。フトシは、ぼくが考えていたよりもはるかに大きな円の中で走り始めた。今では、ぼくの良き相棒と言ってもいい。フトシに、ぼくのあこがれや理想が反映されていることは、皆さんもすでにお気付きだろう。これからも、時には、ノリオやフトシの力を借りて、自分の周りで起こる当たり前の日常に潜むおもしろさやおかしさを物語にしていきたいと思っている。

  “千” という数字は、200編に到達しようかという今でもはるか遠い。現在のペースで行くと、1年に24編だから、200編書くのに8年と4ヶ月かかる計算だ。千に到達するには、これを4回繰り返すことになるので、あと33年と4ヶ月が必要となる。その時、ぼくは83歳になっている。はははは(笑)。さて、これをどう考えるかだ。ただ、千という数字に達するために書くのでは意味がない。言えるのは、“千” を目指して書いているのではないということだ。千は、はるか彼方にある一応の希望的目標とすればいい。向かい合うその1編1編に、1葉1葉に、真剣に向き合えたのなら納得できる。ここで、ふと、思い浮かんだのが、スティーブ・ジョブズ氏の言葉だ。

  アップルの創業者ジョブズ氏が旅立ってから、彼の言葉を読んだり聞いたりする機会が何度かあった。スタンフォード大学での伝説的なスピーチは、彼がいかに真剣に生きてきたかを伝えていた。彼の言葉には、聞くものを熱くさせる煌(きらめ)きがあるようだ。伝記本は、世界中でベストセラーを記録している。興味深かったのは、彼が禅の教えに深く感動し、実践していたという点だ。製品やホームページ、すべてに言えることだが、アップルを貫くシンプルな発想はそこから来ているという。彼は、毎朝、鏡に向かって「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを私は本当にやりたいだろうか?」と自問したという。本当に実践したのだろう。そうでなくては、世界中の人々をこれほどまでに喜ばせる道具を開発できる訳がない。

  ただ、やはり、彼は特別だと、ぼくには思えてならない。毎日毎日をそこまで張りつめて生きられる人なんて、そうはいないと思うからだ。経験上、普通の人間にはメリハリが必要だ。ぼうっとした日があってもいいし、情けない日があってもいい。限りある時間を有効に使おうというジョブズ氏の言葉は納得できるし、若者には参考にしてほしいけれど、人生には熟成期間も必要だという考え方もあることを伝えたい。無駄だと思った時間が無駄ではなかったと思えることもあるのだ。“節目” は自信を呼び起こし、“区切り” は挑戦へと導いてくれる。これからも、目の前の一歩を、目の前の一編を大切にしながら書き続けていきたい。皆さんにはのんびりと大きな心でお付き合い願いたい。

  心からの感謝を込めて。

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