AMPの仮の部屋は、階段を上がって正面にあった。地図は、2階に並ぶ五つの部屋の真ん中を示していた。エイチは、サッと左右の部屋を確認した。間違いはないだろう。仮の部屋らしく入り口は、簡素なサッシ戸だった。殺風景で張り紙ひとつ貼ってない。念のために、両隣の部屋の入り口にも視線を移してみたが、看板らしきものはどこにもない。仮の部屋とはこいうものなのだろう。『ここか・・・よし!』 エイチは、ためらうことなくガラガラとサッシを引いた。その瞬間、中にいたふたりが同時に振り向いた。

  部屋には、大きな机と椅子だけが置かれていた。楽器らしきものはおろか、音響機材のかけらもポスターの1枚もない。ロック研の部室だと推測できたのは、そこにいたふたりの様子からだった。エイチの左側にいたのは、黒縁の眼鏡をかけた細身の男だ。髪は肩まで伸びている。人懐っこそうな目が黙ってこちらを覗いている。穿き古したジーンズと黒いコンバースが印象的だ。右側にいた男は、一瞥してただものではないことが分かった。胸まで伸びた金髪、真っ赤なパンツ、ピンクのジャンパー、スニーカーまで赤ときている。この派手を絵に描いたような男は、お前らなんぞ眼中にはないぞ、と言わんばかりにうつろな瞳で一点を見つめていた。

   『ふたりともロック研のメンバーに違いない。先輩なのか、同じ1年生なのか』 判断するには材料が乏しすぎた。ただ、金髪の男は、髪の長さから考えて先輩だろうと推測できた。最近まで高校生だったとはとても思えない。それに・・・エイチは、ふたりの間に微妙な距離があることに気付いていた。近しい人同士ならば、決して存在しないような空間がふたりの間にはあった。『どちらかは新入生だ』 エイチはそう判断した。

  ふたりには大きな共通点があった。姿勢だ。部屋には、立派な椅子があるにも関わらず、ふたりとも、それを使わずに壁にもたれ足を抱えるようにして座っていた。いわゆる体育座りだ。人は、得体の知れないものから自分の身を守ろうとするとき、無意識のうちにこのような体勢をとることがある。しかも、相手に対して、警戒などしてはいないのだよと、しっかりアピールできているかのような錯覚を自分自身に起こさせる。極めて曖昧な姿勢なのだ。この形は、リラックスしているように見えるが、いつ襲われても瞬時に攻勢に移れる体勢であり、攻撃的な側面をも持ち合わせている。

  エイチにしても同じようなものだった。サッシを開けてからわずか1、2秒の間に場の空気は読んだものの、心中は臨戦態勢のままだ。それでも、散歩の途中、道に迷ったような顔付きでいなければならなかった。エイチは 『ええい、ままよ!』 とばかりに、声をあげた。あくまでも顔は涼しげに。

「ここは、ロック研の部室ですよね」
エイチの明るい声は、重たい空気を振り払うには十分だった。明るい声と言うようりはC調だ。生意気な口調と言った方がいい。ただ、度胸だけは認めてもいい。学生は相手にしないと言っているだけのことはある。

「そう!」
待ってましたとばかりに黒眼鏡の男が応えた。そして、続けた。

「どっから来たん?」
いきなり、それ?

「あっ、千葉です。千葉の九十九里」

「ほう、それで?」
それで?って、この場合、何と答えればいいんだ?それにしてもすっとぼけている。こっちは、入会希望で来た訳じゃない。ちょっと様子を見に来ただけなんだと頭の中で屁理屈をこねながらも、気を取り直して聞き返した。

「どこ出身なんですか?」
エイチの言葉が終わるか終わらないかのうちに声が返ってきた。

「広島じゃ!」
黒眼鏡の男はそれを言いたかったらしい。その口調からは広島に対する誇りと愛情が感じられた。黒眼鏡は、それから何年経っても広島弁を直そうとはしなかった。いつでも堂々と 『ほうじゃのう〜!』 と言い、がはははと笑った。後日、エイチは、広島弁をネイティブに近い発音で話すことができるようになる。『はたして、この人は先輩なんだろうか』 そこんところをクリアにしないと、いつまでたっても敬語を使わなければならない。

「あのぉ、何年生ですか?」
ここも丁重に伺う。

「あっ、わし?わしは1年!」
わしって、若い人でも言うんだ。

「なんだ、同級生か」
エイチは、初めての広島弁に戸惑いながらもホッとした気持ちを抑えられなかった。

「ぎたあ?」
黒眼鏡は矢継ぎ早に質問を浴びせた。

「ベース」

「ほう、どんなんやってん?」
どんな音楽をやっているかということだろう。この質問に一言で答えるのはむずかしい。

「う〜ん、ビートルズみたいな感じかな・・・」

「バンドやってん?」

「今はやってない。高校時代はやってたけど」

「ほう、それで?」
だから、それで?って、質問になってないじゃないか。だから、学生はダメなんだ。そこに持っていくエイチもエイチだ。学生であるかないかは、この場合まったく関係がない。『このままのリズムでは分が悪い。黒眼鏡の間合いに引き込まれているじゃないか』 エイチは、なんとか話題を変えようとした。それを知ってか知らぬか、黒眼鏡は会話に入ってこようともしないもうひとりの男の方を向いた。そして、声をかけようと息を吸った瞬間、金髪男が突然話し出した。

「オレ、イサム。ボーカルやってる。宇都宮出身。一浪で今年から法学部1年」
びっくりするような太い声だ。しかも、1行に収まってしまうぐらい簡潔な発言だ。二の句の継ぎようがない。黒眼鏡は、もう聞くことはないとばかりに下を向いてしまった・・・ように見えた。エイチは、黒眼鏡がちょっと気の毒になった。生来の気を使う性格がむくむくと頭をもたげてきた。

「ねえねえ、そこの・・・」
なんて呼べばいいんだ。まだ、名前も聞いてないじゃないか。君でもない。あなたでもない。おまえでもない。え、え〜い、そこの大将!ってか将軍!

「はっ?なにか?」
黒眼鏡の男は、何もなかったかのようにエイチに顔を向けた。まるで風呂あがりのようなすっきりしとした顔をしている。心配して損をしたとエイチは呆れたが、そんなショーグンのリズムが心地よくもあった。この瞬間を持って、広島出身の黒眼鏡は、ショーグンと呼ばれるようになる。  (つづく)

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