満腹になったぼくたち4人は、名瀬へと向かった。名瀬は 『なせ』 ではなく 『なぜ』 と読む。奄美群島の政治・経済・教育・文化の中心地だ。なるほど、街からは落ち着いた雰囲気が漂ってくる。ぼくたちは、3日間名瀬に滞在する。ここで、28日のスケジュールを説明しておこう。
■17:45〜18:00 ラジオ打ち合わせ
■18:00〜19:00 ラジオ出演 生放送
■19:00〜21:30 ライブハウス ASIVI にてリハーサル
■22:00〜エンドレス 近くの居酒屋にてミーティング&前夜祭
ラジオ局とASIVIは同じビルにある。『BB-43』 のラジオ生出演も下田さんとパー子さんが仕掛けた。到着してからの流れを考え合わせると、ふたりがどれだけ準備に時間をかけてくれたのかが分かる。それなのに、ふたりとも自然体で、特別なことをしているという気負いは感じられない。当たり前のように、ただ普段通りにことを進めているのがよく分かる。それが心地いい。人は、特別なことをしようとするとどこかに力が入る。力みは心と体のバランスを崩し、歪みとなって現れる。
普段通り・・・言葉にするのは簡単だが、なかなかできるものではない。仕事においてもそうだ。そもそも“普段通り” とはどういうことか。目の前の事柄に対し、心や体が自然に反応することだ。当たり前のように対応できるようにするには、時間が必要とされる。何より大切なのが、“経験”
だ。同じことを繰り返す中で、心や体は、そのことに自然に対応できるように形作られて行く。“失敗” もまた大事な要素だ。失敗は“栄養” であり、その次へと導いてくれる
“道標” だと言ってもいい。
特別な気持ちで事にあたることは、決して悪いことではない。ただ、ひとつの心構えとして、普段を大事にしているかどうかが問題だということだ。ありきたりの毎日をどう過ごすかで
“特別” の意味も変わってくる。“ただの特別” と “本当の特別” は違う。もうすぐ、クリスマスがやってくる。このような年に一度の特別な日は、パートナーや友だちに対して、親や同僚に対して、普段、どのような思いで接しているか、それぞれの日常が問われる日だ。クリスマスや誕生日に奮発して高価な物や豪華な食事をプレゼントするのもいい。ぼくだってプレゼントをもらうのはうれしい。家族や友人とささやかに祝うのもいい。それでも、年に1日2日の特別な日と、残りの363日の日常とでは、その重みは比べようもないことを再認識したい。
下田さんの車は、ホテル・ビッグマリン奄美に着いた。17:45のラジオ打ち合わせまで1時間半ほどある。藤田さんは、下田さん、パー子さんとともにASIVIに行って打ち合わせをするという。藤田さんの気合いの入り具合も半端ではない。ぼくにしてもそうだ。下田さんやパー子さん、共演するバンドの皆さんの気持ちに応えたいという思いがある。リハーサル、そして、29日のライブを大成功させたい。藤田さんは、ふたりと車に乗り込んだ。ぼくは、部屋で準備をしてから合流することにした。
部屋に入って窓を開けるとそこは港だった。目の前に海が広がっている。いい眺めだ。ぼくは、ホテルの部屋に入るとまずすることがある。机の上にある広告や案内書を机の中にしまい、湯飲みやポットは目に付かないところに隠してしまう。なるべく、自分の部屋に近付けたいとの思いからだ。机の上がすっきりしたところで、譜面を並べた。ぼくと藤田さんは
『BB-43』 での演奏以外に、下田さんとパー子さんのバンド 『カノウプス』 とセッションすることになっていた。ライブのテーマは70年代の名曲。井上陽水さんや吉田拓郎さん、サイモンとガーファンクル等の曲を歌う。
譜面に目を通していても、景色はチラチラと目に入る。それにしても、塩の匂いがしない。ぼくは故郷の町を思い出した。九十九里平野では海に近付くと海の匂い、塩の匂いが漂ってくる。海から1キロほどのところでもかなり強い塩の匂いが鼻をつく。嫌な匂いではない。ぼくたちは、塩の香りで海が近いことを知る。砂を巻き上げ、波しぶきをまき散らしながら打ちつける九十九里の海は、海風に塩を乗せるのだろう。さらさらとサンゴ礁の紺碧をなでるようにたゆたう奄美の海は、まったく違うものに見えた。
17時半ごろ、ぼくはタクシーでASIVIへと向かった。台風の影響か、時々強い雨が車の窓を打ちつける。ASIVIは思っていたよりも広く、感じのいいライブハウスだった。木のテーブルやイスは手作りだそうだ。ライブスケジュールを見ると、そうそうたるミュージシャンがプレーしているのが分かる。東京、大阪でのコンサートの後、ASIVIでライブをして帰る海外アーティストもたくさんいた。島、イコールほのぼのとした小さなライブハウスなんていう発想は、ぼくの乏しい先入観でしかなかった。音響や照明の機材もしっかりしている。本州でも数少ないイス席200人規模のしっかりした小屋だった。
通常、ライブハウスは、イス席だと100席、立ち見で200人ぐらいまでの小ぶりの小屋が多い。その次の規模となると500人クラスとなり、その中間の大きさの小屋が極端に少ない。神戸のチキンジョージや博多のGate'7等のように、着席で200〜300人がゆっくりと見られるような小屋の需要はもっとあると思うのだが、都会では適した場所がないのか、店を維持するのが大変なのか、東京でもパッと思いつくのは六本木のスイートベイジルぐらいしかない。たとえ、広さがあっても天井の高さが足りないとか、機材が充実していないとか、きちっとした楽屋がないとか、なんらかの欠点をかかえていて、出演者を満足させてくれる小屋は少ない。演奏者の小屋を見る目が厳しいのは、いい環境で、いい状況の中でお客さんに音を楽しんでほしいという願いがあるからだ。東京ドームでのコンサートを考えてみてほしい。演奏者との距離があり過ぎて、同じ空間を共有しているとは思えない。演奏を楽しみに行くというよりは、お祭に参加するのに近い感覚ではないかと想像してしまう。
これからは、本当の意味でのライブの時代が来る。CDはデータに取って変わられ、録音機器の高性能化により、音楽を知らない人でもパソコンの力を借りて
“おんがく” を作れるようになった。今では、録音した歌の音程さえも簡単に変えられる。これからもテクノロジーは “おんがく” を更に簡単なものにしていくだろう。となると、信じられるものはライブしかない。目の前で繰り広げられる演奏や歌にのみ真実はあるということになってしまう。ただ、コンサートでも、CDを流し、あて振り(演奏しているふりをすること)口ぱく(歌っているふりをすること)が公然とまかり通っているから、見る側の成熟度も問われる。人によって求めるものは様々だから、音楽にもいろいろな形があっていい。だから、一方的にダメだとは言えないが、演奏する側も、見る側も、これからは、“選ぶ”
という自発的行動がより必要とされるだろう。
ASIVIの隣の入り口を上がると 『あまみエフエム ディ!ウェイブ77.7MHZ』 があった。活気のあるフロアでは、7、8人が忙しそうに仕事をしている。打ち合わせもてきぱきとしていて、いい意味でのプロ意識が感じられた。『BB-43』
は、渡陽子さんという元気な女の子がパーソナリティを務める 『D-WAVE』 という番組に出演した。藤田さんがTACOMAを手に口ずさみ、ベースのおもしろさやベースがどんな楽器かを説明した。このラジオを聞いてどのくらいの人が来てくれるか。29日のライブが本当に楽しみだ。ラジオの生放送が終わりASIVIに戻ると、バンドのメンバーが揃っていた。挨拶を済ますとリハーサルが始まった。1曲1曲確認しながらの作業が続く。サイモンとガーファンクルの
「スカボロ・フェアー」 のメロディラインが思ったよりやっかいだ。ライブの構成も決めていく。あとは本番を思い切ってやるだけだ。お疲れさまでした!の声が響くと食事だ。ぼくたちは、近くの居酒屋
『鳥舗』 へと移動した。ここでも地鶏料理が美味かったのなんの。地鶏だけではない。新鮮な野菜も海藻も美味い。そして、何よりも料理に使っている “塩”
が違う。どんな塩を使っているのだろうと聞いてみると、案の定、奄美の海水から作っている塩だった。お土産は決まったも同然だ。ぼくは、ウーロン茶で乾杯してから、サトウキビの焼酎のお湯割りを頼んだ。あっという間に酔っぱらって、あえなくダウン。ぼくは中座させてもらったが、ライブに向けての前夜祭は未明まで続いたらしい。 (つづく)
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