食事が終わると、ぼくは、買い物がてら街を散策することにした。サウンドチェックが終わってから本番までの間、近くをぶらぶらするのは30年来の習慣だが、どんな場所であってもわくわく感は変わらない。気の向くまま足の向くまま歩いてみる。時には、思いがけないものに出くわすこともあるけれど、そんなことよりも、その土地土地の何気ない景色の中に身を置くことが何とも心地いい。どこにでもある定番のお土産屋さんにも足を踏み入れてみる。郵便局やスーパー、駄菓子屋、手当たり次第だ。
ぼくが暮らしている本州も歴とした島だが、島で暮らしているという実感はない。だが、奄美は違う。飛行機の窓から見えたのは明らかに島だった。奄美大島というその名前や、地図上の姿から、“島”
だと思い込んでいるということもあるだろうが、奄美を通り過ぎる風は純度が違う。海は生命の源だ。命は海から生まれ、ぼくたちもまた母の胎内にある羊水という海の中で命を育んだ。そんな海が四方にあり、海の
“気” が島を覆っている。気は、エネルギーと言い換えてもいい。島に暮らす人たちにとってはこれが当たり前の空気だろうから、「ほんとぉ?」 「おいおい、考え過ぎだろう」
と笑われるかもしれない。それでも、ぼくにはそう感じられて仕方がなかった。最近、月の満ち欠けが地震に影響を及ぼしているということが分かった。『目に見えないものにこそ真実はある』
と金子みすずや星の王子さまが言っている。この国においては、誰の言葉を信じるかは自由だ。
“あまみ” という言葉が文献上最初に現れたのは日本書紀で、657年に 『海見嶋』、682年に 『阿麻弥人』 と記されている。そして、714年の続日本紀で初めて
『奄美』 という字が使われた。そう、奄美は “海を見る嶋” なのだ。ミネラル成分たっぷりの空気を吸って、黒砂糖と海水からできた奄美の塩を使った食事をしていたら、病気になんぞになるはずがない。海の塩が使われた味噌や醤油を使った料理だったらなおさらだ。見直さなければならない本当に大切なことは、日常の中にこそある。
名瀬の街には笑顔があった。島の人間であるという誇りと、島外の人を快く迎えたいという気持ちがあふれた笑顔だ。誰もが 『奄美っていいところでしょ!』
と胸を張る。生まれた町を愛す、育った街を誇る、これもまた心の自然な働きで、ぼくは、そんな思いを持つ人たちが好きだ。ぼく自身も生まれ育った東総が、千葉が愛おしくてならない。地味ながらも
Boso Rockers Union を続けている最大の理由がこれだ。
駄菓子屋で買った黒糖とピーナッツのお菓子を頬張りながら楽屋に戻ると、開演1分前だった。最初の出演者 『カッペラーズ』 の皆さんがスタンバイしていた。簡単なあいさつを交わす。音楽を愛する者同士、すぐに打ち解けられるから多くの言葉はいらない。そして、その態度から、ぼくたちを心から歓迎してくれているという気持ちが伝わってきた。長く音楽をやっているとこんなことがうれしい。ぼくも、音楽の世界を引っ張ってきてくれた先輩たちへの感謝の気持ちは、大切にしたいと思っている。共演者たちを競争相手と感じるのは20代の頃だけで、以後は、同業者としての連帯感の方が強くなる。
別の職業を持ちながら、音楽を続けている人たちがいる。一般的に、アマチュアミュージシャンと呼ばれるが、ぼくは、この言葉が、いや、日本で使われているこの言葉の意味が好きではない。日本では、プロを玄人(くろうと)
、アマチュアを素人(しろうと)と訳すのが普通になってしまっているが、これは勘違いを通り越して大きな間違いだ。声を大にして正さなければならない。アマチュアとは
『ひとつのことを長く続けている人』 という意味で、決して素人のことではない。好きなことを続けるというのは、物事を突き詰めるということだ。金銭のやり取りがない分、純粋だとも言える。プロと称してお金をもらっていながら満足に演奏できない人もいるのだから、まったくもって、言葉はむずかしい。ここでは、便宜上使わせてもらうが、同じステージに立つ以上、“アマチュア”
だから、“プロ” だからという区別はない。また、勝ち負けもない。プロならプロらしく人生をかけた音で自分と勝負するまでだ。
カッペラーズはその名の通り、アカペラのグループだ。歌だけで聴かせるのは想像以上にむずかしい。音程も大事だが、自分の声を全体になじませることができるかどうかが重要なポイントだ。中心となる人の声にいかに添えるかということが大事なのだ。
Aの音だからAの音を出すという絶対的な音程よりも、他人の声に合わせる相対的な音程の方がはるかに大切で、少々シャープしようが、フラットしようが、全体で流れるのなら問題はない。リズムしかり。多少揺れようが、そのことが音楽の良し悪しを決めることはない。要は、メンバーの声がひとつになっているか、バンドの音がひとつになっているか、だ。また、技術的に声がひとつにならなくとも、ひとつにしようという懸命さが伝わってくる歌もいい。カッペラーズは、気持ちよくハモっていた。迷いのない歌声からは、キャリアに裏付けされた自信が伝わってきた。歌は嘘をつかない。各パートの振り分けも絶妙で素晴らしい歌声だった。
カッペラーズが終わると、下田さんとパー子さん率いるカノウプスの登場だ。昭和の名曲が、70年代のスタンダードが、次々と披露される。楽器演奏もさることながら皆さん、歌がうまい。味のある声の持ち主ばかりだ。自分たちが好きな曲を歌い、演奏し、本当に楽しそうだ。ここにはバンドの原点がある。後半、ぼくと藤田さんがゲストとしてステージにあがり、数曲一緒に歌わせてもらった。サイモンとガーファンクルの
『スカボロ・フェア』 は、意外にも歌ってみるとむすかしい。吉田拓郎さんの 『人間なんて』、ビートルズの 『ヘイ・ジュード』、名曲の奥深さを改めて教えてもらった。
さて、いよいよ、BB-43の番だ。アコースティック・ベース2本のグループなんてそうはない。黒糖焼酎が入っていい気分のお客さんの前でどんなパフォーマンスができるか。『カム・トゥゲザー』
からだ。藤田さんがイントロを弾き始めた。 (つづく) |