立秋が過ぎて暦の上では秋の始まりとなった。だが、『いやあ、秋ですね』 などと言う人はいない。当然だ。この無遠慮な暑さと、秋という言葉が結びつくはずもないからだ。それでも、季節のあいさつは 「暑中見舞い」 から 「残暑見舞い」 に切り替わり、熱風の中にも秋の気配がちらほらと混じり始める。暑さは今がたけなわだが、季節は少しずつ、しかし確実に移り変わっている。変化とはそういうものだ。勉強やスポーツ、楽器の上達に似ている。日々の積み重ねが大切だというのは言うまでもないが、物事に真剣に取り組んでいる人は、目に見えない部分で少しずつ変化し、いつのまにか数段飛び越えている、というようなことがよくある。傍からは、突然変ったように見えるかもしれないが、決してそうではない。目に見えない“芯”の部分が、少しずつだが確実に進歩しているのだ。

  8月9日、エッセイに取りかかろうとパソコンに向かったのだが、予定とは違った方向に足を踏み入れてしまった。書くことは山ほどある。最近の連載では、ぼくと空手との出会いを綴った 『セイッ!』 や書との関わりを記した 『風人日記』 がある。更に遡れば、『九十九ボーイ第2部・欅物語』 や館山でのライブイベントの記録 『安房狂想曲』、野菜作り奮闘篇の 『土と記憶』 も続きが待っている。それでも、今日はどうしてか心がやけに落ち着いていて、その落ち着きをそのままに書くしかないという心境なのだ。今までにも予想外のことを書くことがあった。そんなときは 『日々是好日』 と題し、その時々の心の動きを写した。しかし、今回はそれとも違う。『日々是好日』を書くときのエネルギーとはまた違った、言わば、静のエネルギーのようなものが、体と脳を支配していて、朝からずっと気持ちがいいのだ。心当たりがあるとすれば、ここ数か月の必死の日々から解放され、一息つけたということだろうか。これから3日ほど、お盆休みで実家に帰ることになっている。そんなことも影響しているのかもしれない。

  ここのところ、休みらしい休みを取っていなかった。丸一日、何の予定もなく過ごせたのはいつだっただろうかと、手帳を遡ってみると、7月、6月、5月と過ぎて4月まで戻ってしまった。4月7日が休みとなっている。しかも、台風並みの春の嵐で予定が中止になったと書いてある。その前の空白は4月3日、更にその前は3月2日だ。ついでに2月と1月も確認してみたら1月4日に実家から帰って来た日がかろうじて休みだったと言える。なんだ?今年のぼくは、朝から何も用事がなかったのは、3月2日、4月3日、4月7日の3日だけじゃないか。未読の本は山積みとなり、映画館にもここ数年行けていない。畠は見るも無残な状態になってしまっている。先週、自転車を飛ばして様子を見に行ったのだが、目を覆ってしまった。雑草が畠を覆いつくし、作物は、鳥や虫の格好のご馳走となっていた。キュウリなどは、大きく育ち過ぎてしまって、もはやキュウリという名では呼べないものに変わり果てていた。食べられたものではない。雑草には手も付けられず、食べられそうなシシトウ、ピーマン、ナス、インゲンを持てるだけ持ってその場を後にするしかなかった。作物には申し訳ないが、君たちのための時間を作れなかった。『すまぬ。本当にごめんなさい!』周りの方々にも迷惑をかけているだろう。近いうちに意を決して向かわねばならぬ。

  それでも、逆に言うと、それだけ充実した2013年を送っているということでもある。ライブがあり、レコーディングがあった。ロック道場があり、個展があった。これだけおもしろい毎日を過ごしているのだから、休みなどはなくてもいいとは思うのだが、やはり、休むことも必要だ。10月にはヨーロッパツアーと神戸チキンジョージでのプログ・フェスが待ち構えている。12月12日は、渋谷マウント・レイニアホールでのワンマンだ。9月はライブや主催イベントが目白押しだから、この8月の過ごし方が2013年の後半のカギを握ると言ってもいい。心を更に落ち着けて、プラスのエネルギーで心と体を満たしたい。そして、いくぞ!まだまだやる!おもしろいことをやり続ける覚悟はできている。

  リラックスついでに、最近のできごとをひとつ。皆さんは、どう思われるか。3日ほど前のことだ。いつものように駅からの道を歩いて帰ってきた。そして、何気なく駐車場に目をやると、『んん?』 自転車がない。駐車場には、車と2台の自転車を置いているから、正確に言うと、2台あるはずの自転車が1台しかない。『とうとう盗まれたか』 まだ新しい折り畳み式の自転車には、きちっと鍵をかけていたが、10数年乗っている自転車には、習慣的に鍵をつけていなかった。盗まれたのは、鍵の付いていない古い自転車だ。 『古い方でよかった。でも、やっぱり、もったいなかったな、愛着あったのにな。一応、警察には届けた方がいいか』 などと考えながら家に入ったが、釈然としない。『いや、待てよ。最後に自転車を使ったのはいつだ?』 最近は、終わったら次へ、また次へ、という生活を送っていたせいか、一昨日や昨日のことが思い出せない。スケジュール帳を見ながら、朝起きてからの行動を振り返ってみる。『まずは、昨日だ』 一日、スタジオに籠りっぱなしだった。自転車は使っていないし触れてもいない。では、一昨日はどうだ。うむ、確かにスタジオまでの道を自転車で行った。『帰りはどうしたんだっけ?』 間違いなく自転車で帰って来た。で、焼鳥・・・そうだ、開店したばかりの焼鳥屋で焼鳥を買ったんだった。店で酒を飲む習慣はないから、焼いてもらって持ち帰るのだが、基本的には焼鳥屋に入ることも稀だ。近所にできたというよしみで、立ち寄ったのだが、そのまま自転車で帰ってきて食べて・・・。と、ここまで考えても分からない。確かに自転車で帰って来たよな、いや、どうやって帰ってきたんだっけ?焼鳥屋を出て、家に帰り着くまでのことがまったく思い出せない。そのうちに焼鳥が焼けるのを外で待っている間に、何ヵ所も蚊にくわれて痒かったのを思い出した。『座ってお待ちください』 くらい言ってほしかったな、などと考えているうちにふと気になった。もしかして・・・。とりあえず、店に行ってみることにした。駐輪場には・・・ない。『やっぱり、違うか』 と思い店の反対側に目をやると、あるではないか。我が愛車が1台だけぽつんと離れた場所に置かれていた。『 BARAKA』 『依知川伸一』 と書かれたシールが貼ってある。店の人も動かすに動かせなかったのだろう。それにしても、ぼくの記憶力はだいじょうぶなのか?もう少し、せめてもう少し早く気付こうよ。原因は、加齢のせいなのか。疲れのせいなのか。それとも、認知症等病気の症状なのか。様子を見る必要がある。それにしても、もし、帰り際、駐車場に目をやらなかったら、愛車がないことにさえ気付いていなかっただろう。次に乗るときまで自転車のことなど考えもしなかったに違いない。正直に言うと、最近は似たような忘れ物ばかりだ。おかげで細かいことまでメモするようになってしまった。しかし、これでは困る。自分のことながら、あまりの忘れっぷりに天晴れと言いたいところだが、とにかくもう少し、頭を休めることにしよう。ひとやすみ、ひとやすみ。 (了)

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