壱の葉を発表した2005年11月10日から8年が経った。8年間も書き続けてきたのかと思うと感慨深い。小学1年生から中学2年生までの “日々変化の8年” や、高校を卒業してからの “激動の8年” とは、同じ次元で比べることはできないが、重さを感じる年月であることに変わりはない。2011年までは、10日毎に書いていたのだが、残念ながら、2年前からは20日毎の発表となってしまった。時間が許されるのなら、以前のように10日毎に書きたいのだが、今の生活のリズムからすると考えられない。228編の中には、すらすらとあふれるようにして湧いてくる文章を書き綴ったものもあれば、生みの苦しみを味わったものもある。それでも、書き始めると例外なく楽しかった。達成感の大きさも半端ではない。書くことによってたくさんのことを学び、どんなテーマであっても深く考えるようになった。つくづく幸せな時間を重ねてきたんだなと思う。また、自分以外の人に読んでもらえるという喜びも知った。

  文章を書くようになったのとほぼ同じくして、空手を始め、書の道に入ったことを考え合わせると、ぼくにとっての40代後半は自分の世界が豊かに広がっていった時期だった。いつか必ず人生の曲がり角だったと思えるときが来るに違いない。文章を書くこと、空手、書、これらは、ぼくにとって仕事以外の生活の大切な一部分となった。人生において使える時間は限られている。何を選び、何を捨てるか。この点を明快にすることによって視界は断然良くなる。何を選ぶべきかの基準は年齢とともに変わっていく。30代と今とを比べて、生活の中でどのような変化があったのか。大きな点は以下の3点だ。

◆映画を観ていない。
◆本を読んでいない。
◆散歩する回数が減った。

  これらに費やす時間が減った分、文章を書くこと、空手、書、に時間を割いているのかというと、決してそうではない。時間に換算するとそれほどの時間をかけているとは思えない。では何か。仕事だ。今、ぼくは、人生の柱とも言うべき音楽に時間を費やしているのだ。音楽の時間を割いてまで他のことをするというのは考えられないから、まさに本望、願ったり叶ったりだ。望んでいたことだから何の文句もないのだが、いい機会だから過去をちょっとだけ振り返ってみようと思う。

  10代、20代は無我夢中だった。拙(つたな)かった点も多いが、その時々、自分自身で判断し道を選んできた。ああだったら、こうだったらという思いはあるが、あって当然、後悔はない。無謀さも若さの特権だ。30代になると少しずつだが生きる意味を考えるようになった。思い返せば、30代のころはたくさんの映画を観た。本もたくさん読めたし、印象派を中心に絵もよく見た。

  手元には 『読書ノート』 と 『映画ノート』 がある。読書ノートには、1991年から2008年までに読んだ本と作家の名が記され、『映画ノート』 には、1992年から2003年までに観た映画の作品名、監督名、製作国、製作年、そして、「A」やら「B」やら自分なりの評価が書いてある。本の数はそれほどでもないが、映画はよく観た。もちろん、ビデオも含めてだが、30代の10年間は、1年に100本から150本観ている。40歳になると50本ほどになり、2003年6月1日以降に観た作品は記されなくなった。極端に観る回数が減ったからだ。この頃、ぼくは、アーティストのバックで演奏するサポートミュージシャンを辞め、バンド活動に専念するようになった。生活を支えるためにベースを教えることも始めた。このノートに書かれた1344本の映画のうち、ぼくの評価で「A」や「A’」と記されている作品は70本ぐらいしかない。年間に200本、300本観るという人も少なくないから、ぼくが観た作品は決して多いとは言えないが、映画を通して“ものを作る” “表現する” ということの本質を学んでいたような気がする。BARAKAというバンド名も映画のタイトルからのネーミングだし、感動やときめきがバンドの曲や詩に反映されたこともある。

  せっかくだから、ぼくの「A」作品を何点か紹介しよう。まずは、黒澤明監督作品から。ぼくにとってのナンバー1が 『七人の侍』 だということは折にふれて言っているが、黒沢作品30作はある意味別格だ。『七人の侍』 はブルーレイ版も購入した。ソ連で撮影された 『デルス・ウザーラ』 も素晴らしい。主人公である猟師デルスがとにかく愛おしい。『生きる』 『赤ひげ』 『天国と地獄』 『どん底』 もいい。黒澤作品独特の間や緊張感がたまらない。『用心棒』 『隠し砦の三悪人』 『椿三十郎』 『蜘蛛巣城』 等の時代劇シリーズも痛快だ。ぼくの「A」以上の作品70のうち約10作が黒澤明監督の作品だ。彼は、ジョン・コルトレーン、手塚治虫と並んで、依知川伸一・憧れの人ベスト3のひとりだ。

  黒澤明監督と共に尊敬しているのがチャーリー・チャップリンだ。チャップリンの作品からも多くのものを学んだ。『ライムライト』 『キッド』 『街の灯』 が秀逸だが、『ニューヨークの王様』 『殺人狂時代』 『独裁者』や 『サーカス』 『サニーサイド』 『巴里の女性』 等の小品までほとんどの作品がおもしろい。ジョージ・キューカー監督 『ガス燈』、マルセル・カルネ監督 『天井桟敷の人々』、デビッド・リーン監督 『ドクトル・ジバゴ』 『アラビアのロレンス』、キャロル・リード監督 『第三の男』、エドマンド・グールディング監督 『グランドホテル』 ルネ・クレール監督 『悪魔の美しさ』 アルフレッド・ヒッチコック監督 『北北西に進路を取れ』 等の古典的名作も「A」となっている。

  比較的新しめの作品からは、マイケル・ラドフォード監督 『イル・ポスティーノ』、ロベルト・ベリーニ監督 『ライフ・イズ・ビューティフル』 メル・ギブソン監督 『ブレイブハート』、パーシー・アドロン監督 『バグダッド・カフェ』、ジョン・アブネット監督 『8月のメモワール』、フランク・ダラボン監督 『ショーシャンクの空に』 ベルナール・ラップ監督 『私家版』、アキ・カウリスマキ監督 『浮き雲』、ジャコ・ヴァン・ドルマル監督 『八日目』、マイケル・チミノ監督 『心の指紋』、スティーヴン・ヘレク監督 『陽のあたる教室』、ジェームズ・アイボリー監督 『日の名残り』、スティーブン・スピルバーグ監督 『シンドラーのリスト』 等が「A」。アジアの監督では、韓国のイム・グォンテク監督 『ジバジ』、台湾のホウ・シャオシェン監督 『恋恋風塵』、中国チャン・イーモウ監督 『菊豆(チュイトウ)』 等の作品がある。

  なんだか個人的に感動した映画の羅列になってしまったが、こうして書いているだけでも心が躍る。次編からは9年目に突入する。これからも自分の時間とうまく付き合いながら日々感じたこと、新たに経験したことを伝えて行けたらと思う。どんな作品が生まれるか、誰より自分自身が楽しみでならない。

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