2014年3月1日正午、ぼくは、生まれ故郷である千葉県横芝光町のギャラリー笑虎(しょうこ)でこの原稿を書いている。さっきまでポツポツと降っていた雨もあがったようだ。大きな1枚ガラスの向こうに広がる庭園も、曇り空の下ちょっと寂しげだがこんな日もまた乙なものだ。時折、遠くにジェットの音が聞こえる。成田空港までは車で30分ほどだ。上空では飛び立ったばかりの飛行機や着陸態勢の飛行機が行き交う。横芝光町は九十九里海岸に面しているが、ぼくの家も笑虎も海からは5キロほど離れているから塩の匂いは届かない。地域一帯は、山らしい山のない平地で一面美しい田園が広がっている。
2月22日から3月9日までの間、ここ笑虎で第2回目の風人展を開催することとなった。今日は土曜日、個展2週目の週末をパソコンを前にゆったりと過ごしている。笑虎は建物自体が美術品のようだ。年季の入った木造建築は、江戸時代末期の長屋門を千葉の若松町から移築したものだそうだ。“相”
のいい木材がぜいたくに使われており、増築された部分の建材にも十分気が配られている。門には左右ふたつの部屋が付いている。「部屋付きの門?」 日本語としておかしいのではと突っ込まれそうだが、それこそが長屋門の特徴だ。ひとつの屋根の下に出入り口とふたつの部屋があるのだから他に言いようがない。ふたつの部屋を含めた大きな門は、どこかの庄屋さんの門だったらしいが、このような豪奢な門を持つ屋敷がどれほど大きかったのか想像するだけでも愉快だ。
門を入って左側の部屋が第1展示室となっており、部屋の四方が展示スペースだ。この部屋には25点ほどの作品を置いた。どの作品をどこに飾ろうか、そんなことを考えながら展示していくのも楽しい。東側の面には
『花』 と言う文字を1点のみ飾った。カラフルな和紙を貼ったパネルとサッと書いた文字が季節にぴったりだと思うが、どうだろう。天井からの距離や作品と作品の間隔を、パネル作りを受け持ってくれている弟とふたりで相談しながら決めて行く。もうちょっと上、もうちょっと右、幸せな時間だ。今回は、書をテーマ別に分けて展示した。音楽に関する作品のコーナーには
『John Coltrane』 や 『Miles Davis』 のアルファベット作品の他に 『音符』 や 『休符』、『ベース』 等の作品も展示した。
第一展示室と向かい合っている門の右側の部屋は展示スペース及び、カフェとなっている。こちらは増築してあり、スペースは更に広い。カラカラと引き戸を開けると左側に縦2メートル・横4メートルの1枚ガラスがあり総の国らしい庭を映しだしている。笑虎の個性を際立たせる大きな一枚ガラスからの採光を大切にしているのだろう。店内の照明は敢えて抑えめにしてある。天井の高い空間には、50年代、60年代のジャズがさり気ない音量で流れている。アンティーク調のイギリスの家具や美術品、板を敷き詰めた床、だるまストーブ等々・・・昭和の男にはたまらない。こんな大人の隠れ家が実家の近くにあったなんてちょっと前までは知らなかった。随分ともったいないことをしたものだ。
引き戸の正面には壁があり、ここには朱子の七言絶句を書いた作品を飾った。七言絶句の下には 『心』 シリーズ5点を置き、その右側のスペースには墨で遊んだ抽象作品を並べた。更にその右側には
『歩』シリーズを3点、厠への扉の脇には 『今日』 というタイトルの作品(『昨日の明日・明日の昨日』)を吊るした。右奥がメインの展示スペースで、そこに今回の大きなテーマである
『無』 を3作展示した。一番大きいものは隷書体で書いた。人が両手に鳥の羽を持ち、神に対して「我に与えたまえ」と踊った姿を象って作られた文字だ。何もないから神様ください!と踊ったところから
『無』 という言葉が生まれたなんて微笑ましい。鳥の羽を持って踊る人を想像しながら大胆に書いた。もちろん、一発勝負だ。ちなみに、『舞』 という字は無から発展したそうだ。この作品の左右に対(つい)の
『無』 を書いた。こちらはオリジナルの発想だ。なかなかいいアイデアだと思うのだがどうか。その他の4点の 『無』 も自由な発想の賜物だ。見てくださった方にぜひ感想を聞いてみたい。
おもしろい話もある。笑虎の組み立てと増築を担当したのは、Hあんちゃんという大工さん。これほど大工魂をそそる仕事なんてそうはないだろう。Hあんちゃん、大工の名に懸けてと張り切ったに違いない。実はこのHあんちゃん、母の何歳か年上の親戚で、母にとっては、まさにあんちゃんという存在だ。約30年前、ぼくの実家は家を新築することになり、母は当然親戚のHあんちゃんに仕事を依頼した。その頃、ぼくは既に東京で暮らしていたから荷物の整理も引っ越しも何も手伝えなかった。いや、手伝わなかった。なんてことだ。今となってはすみませんでしたと謝るしかない。しかし、ぼくも若かった。自分のことで精一杯だった。
Hあんちゃんは、ぼくの実家ともう一軒の建築を同時進行で進めていた。家に来るはずの日に来ない。来てもすぐに帰ってしまう。母は、業を煮やして問い詰めた。Hあんちゃん、苦しい。「う~ん・・・」
新居完成までの仮住まいをいつまでも続ける訳にはいかないから母も必死だ。ある時、母はHあんちゃんがどこに行っているのか聞き付けた。もう黙ってはいられないと、怒鳴り込みに向かった先がここ笑虎だった。初日、作品を見に来てくれた母は、建物を観てしみじみと言った。「こんなに素敵な建物、大工さんだったら夢中になって当たり前ね」
なんという縁だろう。笑虎とぼくの実家は、兄弟建築だったのだ。まったくの同時期に同じ大工さんによって建てられ、あるいは組み立てられたものだった。もしかしたら、我が家のどこかに笑虎の影響を受けている場所があるかもしれない。30年経った今でも木の家の良さは変わらない。 (つづく) |