S氏とのベースセッションでは、70年代の名曲を3曲演奏した。CREAMの 『Sunshine of your love』、Derek and
the Dominosの 『Layla』、Doobie Brothersの 『Long Train Running』 だ。3曲ともロックのスタンダードで、ベースラインに特徴がある。
S氏は、この3曲のベースラインをほぼ完璧にコピーしていた。どの曲も以前やったことがあると言っていたが、曲目を決めてから数日のうちに改めて聴き直してくれていた。彼は会社でも重要なポジションにいる。このように何気ない責任感が同僚や部下に、そして、会社にどれほどの安心を、あるいは利益を、もたらしているか。セッションが始まる前の様子からも彼の日常が垣間見えた。
ぼくは、『Sunshine of your love』 を歌い、他の2曲は歌のメロディをベースで弾いた。ベースはリズム楽器であると同時にメロディ楽器でもあるのだが、ギターやピアノのように主旋律を担当する機会は決して多くはない。しかし、ベースで歌うメロディもまんざらではない。それどころか、ベースでしか味わえないような趣さえある。・・・ということを多くの人に知ってほしい。メロディーラインをたどるだけでも心地良く感じられるのは、ベースの音自体に人の心を感動させる何かがあるからだと思う。ふくよかな低音を醸し出している周波数帯の波が心のどこかで響いているのだろう。もちろん、きちんと楽器を鳴らすことができ、楽器本来の音を引き出すことができるベーシストが奏でた場合、に限られるのは言うまでもない。いい音を出しているときのベーシストの表情をよく見てもらいたい。まるで菩薩か如来かというような顔をしている。もちろん、ベースに限らず、すべての楽器においても同じことが言える。楽器と人が一体になったとき、音は宇宙と共鳴する。
メロディを弾くとき、多くはベースのハイポジションでプレイする。ベースラインと同じ音域になるのを防ぐためだ。ハイポジションとは、ベースの中でも高い音程を出せるネックの一部分のことで、通常はネックの12フレット~20フレット辺りのことを言う。フレットというのは正しい音程を表すためにネック上に埋められた棒状の金属のことで、高さや幅、形状は様々だ。また、ハイポジションに行くほどフレットの間隔は狭くなっている。ベースやギターは、開放弦の音と12フレットを押さえて弾く音がちょうど1オクターブの関係だ。4弦ベースの場合、一番太い弦の開放の音は
『E』、ドレミでいうところの 『ミ』 の音だ。1フレットを押さえて弦を鳴らすと 『F』(ファ)、2フレットだと 『F♯あるいはG♭』(ファのシャープ、あるいはソのフラット)、3フレットから順に
『G』 『G♯・A♭』 『A』 『A♯・B♭』 『B』 『C』 『C♯・D♭』 『D』 『D♯・E♭』、ときて12フレット目が 『E』 となる。西洋音楽の12音階がギターやベースのフレット上に、まさに、目に見える形であるということだ。ちなみに、13フレットは
『F』 で、その後も順次 『F♯・G♭』 『G』 ・・・と続いて行く。ギターやベースには、なるほどと思える仕掛けが少なからずあり、それらを頭と指に覚え込ませることも大切だ。
せっかくだからもう少し話を進めてみようと思う。“開放弦を弾く” とはどのフレットも押さえずに弦をはじくことで、ボディに響いていい音がするが、逆に音量のコントロールがむずかしくなる。特に、ベースの場合は、音を鳴らさないようにすることも重要なので、弦の振動を抑えるためのミュートというテクニックが必要となる。このミュートがむずかしい。キャリアを積めば積むほどむずかしくなることのひとつがこれだ。ベースは小節の中で音を出している
“時間” と休んでいる “時間” の意味や重要度が平等でなければならない。敢えて、時間という言葉を用いたが、“ブン” と弾いて音を出している間と、“フッ”
と弦に触れて音を止めている間が等しく大切だということだ。例えば、1小節に、8分音符、8分休符、付点8分休符、16分音符、2分休符、というビートがあるとする。この場合、1小節の中で音を出しているのは16分の3だけだ。8分音符ひとつと16分音符ひとつだけでかっこいいビートを刻まなければならない。逆に言うと、16分の13もある
“間” をどれだけかっこよく聴かせることができるか、ということに繋がる。このような考えに到ると、また違った次元で楽器や音楽と対峙できるようになる。進めば進むほど深い世界が待っているということだ。
ベースで音を出すということは、白い紙に墨を落とす時に良く似ている。墨の部分が音符で紙の白い部分が休符だ。バランスひとつで世界が変わる。音符と休符のバランスに対する意識を持つだけでも違うと思う。“休符を弾いている”
というイメージを持って弾いてみるといい。それだけでノリやグルーブが違ってくる、とぼくは思う。いや、そう確信している。
S氏とのセッションが終わった後で、Hあんちゃんの登場だ。セッションと言いながら、ぼくとS氏は、ただHあんちゃんの音色に聴きほれていた。80年、楽器とふれ合うとどのようになるのか。ハーモニカを吹く姿がすべてを物語っていた。その姿は、まさに自然体だった。当たり前のものがそこにそのままあるだけとでもいうように、音が空気に溶け込んでいく。意識を消しているのでは、と思えるぐらいに本人の意思は伝わってこない。音が空気と調和しているようにも思えた。頭でどうこうしようと考える前に、唇と指が勝手にハーモニカとダンスを踊っているかのようだ。一体になるとはこのようなことを言うのだろう。ぼくは、本日4月20日をもって53歳になる。初めてベースを手にしたのが16歳だから、たかだか37年のベース歴だ。40数年後には、風と一体になって空気の中を泳ぐような音を出せるようになっているだろうか。
終戦直前、Hあんちゃんは、鹿児島の空軍基地にいた。「H、 ○○がハーモニカを吹いてほしいそうだ」 と、毎晩のように誰かが呼びに来た。行ってみると、そこには出撃を控えた特攻隊員が待っていた。誰もが背中に戒名を認(
したた)めていたそうだ。Hあんちゃんは、請われるままに故郷や母を偲ぶ曲を吹いた。若い兵士たちは、そこでは気持ちを押し殺したりはしなかった。苦しさ、悲しさ、儚さを思い切り吐き出した。Hあんちゃんは目の置き場に困り、毎晩、梁(はり)や天井を見つめながらハーモニカを奏でていたそうだ。Hあんちゃんは、目を閉じてハーモニカを吹きながら、懐かしい戦友たちと会話を交わしているようにも見えた。 (つづく)
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