「KEN」 「JUN」 に続いて今回は 「TARO」 (呼び捨てお許しください) の話。ここ数ヶ月、日本テレビにチャンネルを合わせると “Be TARO” という子供の掛け声がこだましている。ご存知、我が国が誇る芸術家、岡本太郎の作品展示に合わせてのキャンペーンの一環である。その作品というのは37年前に行方不明となり3年前にメキシコシティ郊外で発見された 『明日の神話』 という長さ30メートル、高さ5.5メートルにも及ぶ壁画である。この作品は 『太陽の塔』 と対をなし岡本芸術の最高峰として脚光を浴びるはずだった。

  1967年夏、太郎はメキシコシティ中心部のある公園にいた。1968年に開催されるメキシコオリンピックに合わせて建設が予定されていた超高層ホテル 「オテル・デ・メヒコ」 のロビーに掲げる壁画の構想を練っていたのだ。当時、太郎は1970年開催の日本万国博覧会 (大阪万博) のテーマプロデューサーとして 『太陽の塔』 をはじめとするテーマ館の準備で多忙を極めていた。そんな中、日本との間を何度も往復しながら制作を進めていった。交通手段も現在ほど発達していなかったはずだから並大抵の精神力ではない。1969年、ついに壁画は完成するが肝心のホテルはオリンピックが終わっても完成しない。資金難のためにホテルの建設は中止され壁画は各地を転々とするうちに行方がわからなくなってしまった。そして2003年、資材置場に傷だらけになって放置されているのが発見されたのだ。資材置場と共に壁画自体が取り壊される寸前だったそうだから約30年振りの発見は太郎の執念の力としか言いようがない。まるで壁画が生きているかのようだ。この “幻の作品” は東京・汐留の日本テレビ・ゼロスタ広場で2006年7月8日から8月31日まで公開されている。

  『明日の神話』 の縮小版は見たことがあった。縮小版と言っても美術館の壁一面に描かれていたのだからかなり大きい。200号のキャンバスを四つか五つ並べたくらいの大きさだ。数年間から何度も足を運んでいる川崎市岡本太郎美術館にそれは置かれていた。この美術館は居心地がいい。建物は森の中にひっそりと、しかし堂々と佇んでいる。他の多くの美術館とは違いいたる所に遊び心があり空間が贅沢に使われている。太郎との対話にはもってこいだ。ショップは充実しているしカフェのクラブハウスサンドも美味しい。

  日本テレビには雨の中出かけてみた。午後3時、残念ながら壁画はカーテンに覆われていた。雨のため公開できないのである。大きさだけは確かめられるからまあいいかとすぐ前にあるタリーズカフェでコーヒーとシナモンロールを前に壁を見上げていたら雨脚が遠のき、そろそろとカーテンが開き始めた。 「ジャジャジャーン」 と序幕のような形で見ることができたのは逆にラッキーだった。絵としては見知っていたからか印象としては思ったほどではなかった。大きさもテレビで見たほどのインパクトはない。屋外だし隣にあるのは日本テレビの壮大な新社屋だ。置く場所を間違えたか・・・。ピカソの 『ゲルニカ』 に例える人がいるが違う。この壁画は絵画として見ても見事だが僕には彼の最高傑作とは思えない。太郎は大きさはともかくとして、もっと印象的な作品をたくさん残している。素晴らしいのはテーマだ。『明日の神話』 は原爆が炸裂する瞬間を描いている。凶悪なきのこ雲。焼き尽くす炎、空を覆う黒煙、逃げ惑う人、動物、魚、虫。絵の中心で骸骨が静かに燃えている。太郎のパートナーだった岡本敏子さんは 「あの凶々しい破壊の力が炸裂した瞬間に、それと拮抗する激しさ、力強さで人間の誇り、純粋な憤りが燃え上がる。」 「その瞬間は死と破壊と不毛だけを撒き散らしたのではない。残酷な悲劇を内包しながらその瞬間、誇らかに 『明日の神話』 が生まれるのだ。」 と語っている。滅亡の中からでも生まれる一縷の希望のようなもの、次の時代へのメッセージのような何かを神話という名に託したのだろうか。地表のすぐ下でくすぶり続けている核の種は今も時々燃え上がろうとする。今も世界のあちこちでロケット弾が飛び交っている。SF映画の話ではない。現実なのだ。人類には知恵も勇気もある。なのになぜか正反対の力が同じくらいの大きさで働いて我々を逆方向へと向かわせる。嘆くしかない状況が続くのはいつまでなのだろう。

  岡本太郎と聞いてまず何を思い浮かべるだろう。「太陽の塔」、「芸術は爆発だ」、「近鉄バッファローズのキャップのロゴマーク」、「狂人、奇人のような目つき」 等、挙げれば限 (きり) がない。第一に画家としての太郎、もちろん一流だ。『傷(いた)ましき腕』、『夜』、『森の掟』、『マラソン』、好きな作品はたくさんある。彼の絵はある特定の枠に囚われていないところがいい。抽象表現にしても、シュールレアルズムにしても、アバンギャルドにしても、すべてが太郎流になってしまう。ユーモア感覚にも溢れているし、書や呪術的要素もおもしろいように取り入れている。版画やドローイングでも優れた作品をたくさん残している。『風』 や 『夢』 は一度見たら忘れられない。そして彫刻、この分野は超一流だ。僕は絵画よりむしろ彫刻の方に心惹かれる。彫刻でのオリジナリティはピカイチだ。『顔』、『動物』、『誇り』、『梵鐘・歓喜』、『ノン』、『午後の目』、素晴らしいものは数え切れない。そして 『太陽の塔』 ・・・。実物はまだ見たとはないが、今でも大阪の万博記念公演で睨みを利かせているはずだから近い将来出かけてみたい。彼の才能は絵画のみには留まらない。陶芸やレリーフ、コイン等のデザインも卓越している。オリンピックのメダルや70年代にウイスキーのおまけに付いていた 『顔のグラス』 にも何とも言えない味がある。微笑ましい家具も作ったし、生きているような時計も作った。まだまだある。彼の撮った写真のエネルギーのほとばしりには一瞬息が止まる。文章だって超一流だ。飾りではない生々しい “生命” の言葉で溢れている。書くことも好きだったのだろう、かなりの著作が残っている。太郎の言葉は今でもあらゆるジャンルのアーティストたちに影響を与え続けている。

  太郎の書いた 「文字」 を見るとあの眼光からは想像もつかない繊細さが伝わってくる。爆発の裏側には限りない穏やかさがあったのではないだろうか。あの目つきにしても本当だったのかどうか疑わしい。仮面の下で舌を出して笑っていたとしてもおかしくはない。いや、そうしているうちに段々と仮面と一体化して最後には “本当” になってしまったのかもしれない。

  そもそも今になって太郎、太郎と騒ぐのはおかしな話だ。もし太郎がヨーロッパ人だったら・・・。まさに国の宝として子供からお年寄りまでみんなに愛されているに違いない。もっともっと世界に誇っていいはずだ。確かに日本でも有名には違いないが太郎を “変なおじさん” ではなく “真の芸術家” として見ている人はどのくらいいるだろうか。「Be TARO」 (糸井重里氏のコピー、さすがだ。) はもちろん 「太郎になろう!」 でも 「TAROのようになろう!」 でもない。 「信念を貫こう!」 とか 「自分の感性を信じよう!」、「クリエイティブであろう!」 とかいう意味だ。町中の人があの目つきで歩いていたら怖いが日本人が陥りやすい没個性の風潮に少しでも変化が生じるならうれしい。

  太郎は自分だけのために魂の作品を残せばいいなんてこれっぽっちも思っていなかった。自分に対する評価になんて全く興味がなかった。そんなことには目もくれていない。「おい、日本人よ。これでも見て目を覚ませ!」 とでも言わんばかりに観る人の心に直接訴えかける作品ばかりを生み出し続けた。そこが並の芸術家とは違うところだ。常に外へ外へ。自分のエネルギーを外の世界と一体化させようとした。太郎はまさに太陽だった。僕の部屋では10cmの 『太陽の塔』 がそびえている。
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