ぼくの場合、弦を変えるのは決まって風呂から出た後だ。沐浴か?と笑われそうだが、まさしく沐浴で、この習慣はベースとの付き合いの中から自然と生まれた。洗いざらしの作務衣に着替え、ニッパとクロスを用意し、真新しい弦をそばに置く。 日本刀の手入れをする侍のように、バットの手入れをするイチロー選手のように、心静かに向き合いたい。一番太い弦をはずし始めるとあっという間に雑念が消える。あとは、いつもの手順にしたがって淡々と作業を進めていくだけだ。これらの行為は修業とはまた違う。“儀式”という言葉こそが似つかわしい。

  すべての弦を一緒にはずすなんてことはしない。“1本はずして1本張る”を繰り返す。ネックに余計な“開放感”を与えないために、だ。ベースの弦には、ものすごい張力がかかっている。4本ないし、5本の弦が一度にはずされたとしたらどうなるか。ネックにかかっている強力なテンションが一気に緩み、ネック自体にマイナスの負荷を与えてしまうことになる。この緩みがネックに良くないと考えるからこそ、弦を1本ずつ代えるという発想が生まれた。

  5弦や4弦等、重く質量のあるものから順に張って行く。一番太い弦をはずしたら、ヘッド、ナット、ネック、ボディ、ブリッジをクロスでサッと拭き、すぐさま新しい弦を張る。5弦ベースの場合、5弦を張り終えたら4弦に移る。以下、3弦2弦1弦と続く。弦を1本ずつ張り替えるか、すべての弦をはずしてから張り替えるか、どちらの方法をとるかはベーシストの性格や考え方による。ぼくのような張り方をしているベーシストが何人いるかは分からないが、(試しに今度聞いてみようかな)少数派だということに間違いはないと思う。そういえば、中にはこういう人もいた。あるライブハウスでその光景を見かけた時は思わず叫んでしまった。Rは、プロのベーシストの中でも名が通っている実力派で、ぼくも一目置いている。サウンドチェックが終わると、彼はベースを肩からおろしテーブルに乗せた。そして、バッグから取り出したニッパでおもむろに、ズバッ!ズバッ!と弦を切り始めた。“切る”というよりは“切断した”という感じだ。『ええええ~っ?』それを見たぼくは、ビックリ仰天!

「ええッ!?そうやっていきなり切っちゃうの?」
「はい!」
「ネックに良くないでしょ?」
「いやぁ、甘えさせたくないんで!」
「・・・・・」

なるほど、彼は敢えてベースにテンションの締緩(ていかん)を強いていた。『厳しいなあ・・・』ぼくは、“昇竜”(Musicman Stingray5 2010 Limited)や“ブラックジャック”(YAMAHABB-2025X)に対してそんな仕打ちはできない(笑)。しかし、これも、ベーシストの個性のひとつだ。 Rは思い切りのいいプレイをする。スカッとした切れ味鋭いプレイが持ち味なのだ。そんな彼の大胆さを物語る話だ。かと思えば、ローディーやスタッフに『弦、替えといて』と任せきりのプレイヤーもいる。このケースは、全幅の信頼がなせる業で、頼まれたスタッフは、プレイヤーにとって、それほどまでに優秀な人材ということになる。

  はずした弦はきちっと丸めておく。そして、燃えないゴミ用の袋へと言いたいところだが、そうではない。決して捨ててはならない。はずしたての弦には、“予備”としての役割が待っているからだ。ベースの弦が切れるのは稀だが、それでも万が一に備えて、常に予備の弦を用意しておかなければならない。新品の弦を携帯しているという人もいるだろう。だが、ステージで弦が切れた時などは新品よりも一度使った弦の方がいい。新品の弦は、音が安定するまでに一定の時間がかかる。それに比べて、使ってある弦だと馴染みが早いから即戦力として働いてくれる。

  予備の弦を持っていると思わぬところで人助けできることがある。ぼくは、使い古した予備の弦で、二度ほど対バンのベーシストの危機を救った。あるライブで対バン演奏中、ベースの弦が切れた。ベース弦はめったに切れることがないから予備を持ち歩かないベーシストは多い。そのベーシストの顔はみるみるうちに青ざめた。当然だ。楽器店までは2駅ほどある。ぼくは、すぐにステージに駆け寄った。『何弦?』『2弦です!』すぐさまひとつ前に使っていた弦の中から選んで2弦を差しだした。『これ使って!』このようなケースでは、ゲージやメーカー等にこだわってはいられない。結局は、ほんの数分MCで繋いでもらうだけで事なきを得た。もし、その予備の弦がなかったとしたら、誰かにベース自体を借りなければならなかっただろう。同じタイプのベースならまだしも、使い慣れていないベースだったとしたら冷や汗ものだ。

  実家に帰った時のことだ。リンゴや柿、ミカンの皮が廊下に干してあった。網に入れて天井からつりさげてあるものもある。ぼくは母に聞いた。

「これ、何に使うの?」
「あっ、それ?沢庵漬けるときに一緒にいれるのよ」

なるほど、果物の皮でもこんな使い方があるのか。おふくろが漬ける沢庵の美味さはこのような手間から来ていた。心から納得できた。どんなものにでも役割があるということを認識し直さずにはいられなかった。 (つづく)

Copyright(C)2014 SHINICHI ICHIKAWA
Home Page Top Essay Top