「また、写真集を作ってくれない?」

  母が言った。ぼくにはすぐにピンと来た。母が“また”と言った写真集とは、2年前の2013年に、父の傘寿のお祝いとしてぼくがプレゼントしたものだ。写真集といっても大袈裟なものではない。縦15センチ、横10.5センチ、葉書程度の大きさのもので、厚さは約5ミリ、薄い文庫本のような写真集だ。スマートフォンのアプリで簡単に注文できる。スマートフォンの中にある写真を選んで、順番を決めさえすればいい。コストパフォーマンスにも優れている。気軽に注文できる値段だが、紙もしっかりしていて決して安っぽくはない。表紙と裏表紙の他に30枚の紙が使われていて、写真は60枚ほど印刷できる。写真集としても十分な枚数だ。表紙の図柄は数十種類の中から選べ、タイトルや副題を入れることもできる。更に、この点がとりわけ気に入っているのだが、写真が足りない場合、空白のページに言葉を置くことができる。言葉を自由に使えるから詩集や詩画集としても成立する。

  母からの注文は、高校時代からの友人たちとの“60年の歴史を綴った”写真集を作ってほしいというものだった。母は、高校時代の写真をアルバムにきちっと整理していた。どの写真にもそれぞれコメントが添えられている。さらっとした美しい字だ。母には、特に仲がいい友だちが5人いて、写真の多くは、母を含めたこの6人が中心だ。どの写真も笑顔がはじけている。そこには、16歳から18歳までの、まさに青春真っただ中の母たちがいた。

  母の母校は千葉県立松尾高等学校。旧松尾町は母が住んでいた旧横芝町の隣にあった。現在、松尾町は山武市となり、横芝町は横芝光町となった。松尾駅は横芝駅の隣駅で、電車で10分ほどかかる。松尾高校は平成20年に100周年を迎えた。現在は共学だが、平成18年までは女子高だった。ちなみに、ぼくの妹も松尾高校の卒業生だ。母の時代も妹の時代も松尾高校の制服はセーラー服と決まっていた。ぼくが高校生のころも松尾高校のセーラー服は人気があった。残念ながら、現在は姿を消してしまったそうだ。

  卒業後も6人は度々顔を合わせた。子育ての時期だけは、毎年とはいかなかったようだが、それでも、数年に一度は会って食事をしたそうだ。子育てが落ち着くとみんなで旅行をするようになった。当然、その時の写真もある。だが、母に聞いてもいつどこに行ったのかが分からない。場所はそれほど重要ではないということだ。(※ぼくが持っている70年代の写真には西暦が印刷してあるものがあるが、気が利いていたなと思う。時期が分かるだけでもうれしい。)すごいのは、この関係が今でも続いているということだ。昨年は、みんな77歳、元気で喜寿を迎えた。ひとり、体調をくずして来られなかったそうだが、5人は浅草で一泊してスカイツリーに上ってきたという。さあ、ぼくがプロデュースした写真集をざっと紹介しよう。まずは、タイトルだ。

『永遠の友情!私たち喜寿を迎えました。
松尾高等学校昭和31年度卒業生 青春の記録 17歳から77歳。
嗚呼、素晴らしき人生!』

  60年の友情・・・。言葉にすると簡単だが、人生においてこれほど貴重なものはない。ぼくと母との関係は53年だ。ぼくからすると、母は生まれてからずっと目の前にいる人だが、母は、ぼくに出会う前にすでに24年もの歳月を生きている。その間にはたくさんの出会いがあったはずだ。特に、多感な青春期を一緒に過ごした仲間たちの存在は別格だろう。その関係の前には、ぼくなどは出る幕もなくて、おとなしくしている他はない。そんな思いを抱きつつ、母たちの60年に敬意を持っての作業となった。

  太陽光の下(もと)に写真を置き、スマートフォンで写す。ジャストサイズではなく元の写真を少し小さめに写すのがコツだ。その写真をスマートフォン上で拡大してシャッターを切ると、元の写真に近いものになる。写真は50数枚だ。コメントも入れられる。

  1ページ目はスカイツリーからの遠景だ。そして、その遠景をバックに77歳になった元女子高生たちのショットが数枚続く。次のページには松尾高等学校の校舎の写真を置いた。校章と英文が印刷されているものもある。
『A great task can be achieved through strenuous efforts instead of power』
女子高にしては、力強い言葉が並んでいるように思えるが、明治時代の名残だろう。日々の努力が大切だということだ。

『楽しかった日々の記録です!』
ここからしばらくセーラー服の6人の写真が続く。校庭だろう、松の木の下での6人それぞれのショット。手には卒業証書らしきものが握られている。そして、銚子への小旅行のショットだ。陽射しの下、笑顔がまぶしい。

『昭和30年、銚子への小旅行!
想い出が目の前に浮かびます!』
6人のうちのひとり、Kさんのお兄さんが日大芸術学部の写真科に通っていたこともあって、時々、写真科の学生たちが遊びに来ていたそうだ。この日は写真科の学生4人と撮影を兼ねての小旅行となった。

『日大芸術学部の学生さんたちがもっていたカメラのおかげで素敵な思い出がたくさん残りました。』
彼らは、ちゃんとしたカメラを持っていたのだろう。この時の写真がプロユースのカメラで撮られたのは一目瞭然だ。この写真も宝に違いない。どの写真からもわくわく感が伝わってくる。

『当時の先生方です。皆さん、覚えていますか?』
修学旅行の写真も収めた。先生方だけの写真も。

『いつ、どこにいったのかしら・・・』
元女子高生、30代か、40代・・・どこに行ったのだろうか。

『2005年10月28日と書いてあります。ここはどこ?』
自動的に写真に日付を入れられるカメラで撮ったのだろう。いつ、どこにいても6人の距離感は変わらない。ただ、やはり、重要なのはみんなで集うこと、場所は二の次、三の次。

『さあ、もうしばらく人生を楽しみましょう!』
この素晴らしい友情をもっともっと続けてほしい。90歳になっても6人で旅行をしてほしい。95歳になったらお茶だけでも。

  住みにくい時代になってしまったが、地球での生活もまだまだすてたものではない。元気で、みんな元気で友情を育み続けてほしいと心から思う。

『セーラー服が輝いています!』
最後にみんなのセーラー服のショットで写真集は終わる。

この写真集、痒いところにも手が届く。あとがきを書くスペースもあった。
『素晴らしい思い出に乾杯!
素晴らしい友情に拍手!
素晴らしい日々に感謝!
ありがとう!』

  母の粋な発想から生まれた写真集は1週間ほどでできてきた。母は、ひとりひとりに手紙を書き一緒に送ったそうだ。皆さんがどれだけ喜んでくれたか。言わずもがなだ。

  話の流れから、今年の集まりは、ぼくがプロデュースすることになった。泊まるところの目星は付けた。あとは、おいしい料理の店を探すだけか、とも思ったが、あとは母たちが好きなようにやるだろう。

  いやあ、本当におそれいりました。60年の友情に!かんぱ~い! (了)

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