“ライブ”。この何とも魅力的な言葉は、日本語として独特の進化を遂げた。日本語における“ライブ”は、音楽のライブコンサートという意味で使われることが多いが、この言葉の本当の意味について少々考えてみたい。“ライブ”。まず、音の響きがいい。なんとなく人をわくわくさせる。“生命”という意味の“life”(ライフ)の複数形が“lives”(ライブズ)だということは知ってはいたが、ここで、しっかりと辞書を引いて“ライブ”と“live”の意味をつかんでみたい。

≪国語辞典における“ライブ”≫
録音や録画などの再生ではない事。生演奏。ライブコンサート、ライブ録音。
ラジオやテレビの生放送。例:「ただ今、ワシントンからライブで放送しています」

≪英和辞書における“live”≫
【動詞】住む、居住する、暮らす、生活する、所在する、生存する、生きる、生存する、生きている、生き永らえる、生き延びる、生息する、存続する、続く、持ちこたえる
【形容詞】生きている、本物の、生き生きしている、活気のある、精力的な、元気な、生放送の、生の、実況中継の、未使用の、当面の、目下の、燃えている、電流が通じている、弾が込められた、まだ使える、とても良い、素晴らしい、格好いい、いかした、粋な
【副詞】生放送で、実況中継で

  気付いただろうか。英語の“live”は動詞と形容詞と副詞のみで、名詞として使われるのは“life”の複数形“lives”(ライブズ)のみだ。“live”(ライブ)として単数形では、普通は使われない。更に、“live”は動詞では“リブ”と発音される。日本のライブという言い方はlive performanceとかlive showという英語を省略したか、副詞を名詞に転用したものだと思われる。ちなみに、フランス語でも生演奏のことをliveというが、形容詞としてだけでなく、日本と同じように名詞としても使われ、発音もライブだそうだ。また、ライブ会場のことを、日本では“ライブハウス”というが、これは完全な和製英語で、海外では、“club”(クラブ)か“venue”(ヴェニュー)が一般的だ。英語圏の人にとって、ライブハウス“live house”とは、生きている家、元気な家、という意味の、摩訶不思議な場所だということになる。何とも日本らしくて微笑ましい。

  英語の“live”の意味に注目してみたい。動詞としての、“住む”、“生活する”、“生きる”、には連続性があり、“生き永らえる”、“生き延びる”、“持ちこたえる”、に到っては、生への執着のようなものさえ感じられる。形容詞としての、“本物の”、“活気のある”、“精力的な”、にはバイタリティがあふれている。そう、 “live”とは“生き抜く”ということなのだ。“life”生命、人生には、“生き抜く”、“生き延びる”、という意味が隠されていたのだ。現代の私たちは、人生は、“与えられたもの”、“まっとうするもの”と受動的に捉えがちだが、元の意味は、“生き永らえる”、というように思い切り能動的なものだった。ぼくたちの祖先は、必死に、必死に生き抜いてきたのだ。“live”という言葉は、その上に成り立っている。話は逸れるが、辞書を眺めているときに、素敵な言葉と巡り合った。“Live and let live”。“自分も生き他も生かす”、“互いに許しあって生きていく”、という意味だそうだ。今こそ、この言葉を噛みしめたい。

  生演奏をして、それを録音したものをライブ音源という。また、生放送のことをライブとも言うが、生放送だからといって生演奏しているとは限らない。それでも、録画放送でなければ、生は生だということになる。ライブという言葉は曖昧でもあるということだ。残念なことに、ライブ会場やコンサート会場で、CD等の音源を流し、その音に合わせて演奏している振りをするという演者もいる。今や、テレビでは90%以上が“あて振り”だ。どんな風にしようが、ミスをすることはないのだから緊張感はゼロ。そんな格好でベースが弾けるか、というようなスタイルで演奏している振りをしているのを見るのはつらい。では、ライブという言葉をどう定義すればいいのか。たとえ、あて振りであったとしても、やはり、ライブ会場に行って、演者が目の前にいるというのが大前提となる。同じ会場にいて、同じ空気を吸って、一方は演奏者、一方は聴く側というのが、ライブの基本だ。同じ場所を、時間を、共有することが大事だということだ。この共有こそが、本当の意味でのライブだと言える。

  だとすると、音楽だけには留まらないということだ。最近は、お笑いでもライブと言う。いいことだと思う。演劇や詩の朗読でも、絵画や写真の個展でも、野球やサッカーを球場で見るのも、すべてライブだ。自分の足で会場に行き、その場所の匂いや温度までをも感じることがライブなのだ。

  誰もいないステージ、そのステージに演者があがる。その出(い)で立ち、姿、歩くスピード、演奏、しゃべり方、そのすべてがライブだ。演奏者は、ステージの上で自分自身を晒さなければならない。どんなに格好を付けたって、そんなものは簡単に見ぬかれてしまう。真のアーティストとは、自分をさらけ出す勇気を持つ者のことだ。日本にも30年、40年とステージを経験してきている素晴らしいアーティストがたくさんいる。まぶしいほどの若さで人々を圧倒してしまうアーティストがいる。ギター1本で聴衆を黙らせてしまうギタリストがいる。一声で、心を鷲づかみにしてしまうような歌い手がいる。プロだけではない。仕事を持ちながら自分の音楽を追及している人たちもたくさんいる。その価値に変わりはない。素晴らしいものは素晴らしいのだから。そんな人たちを見に、見つけに、ぜひ、ライブに出かけてほしい。そして、かけがえのない時間を味わってほしい。

  コンピューターの発展は加速度的に進んでいる。音楽を知らない人でも、簡単に音楽を作れるようになった。今後は、ボタンひとつでオリジナル曲がポンとできるようになるだろう。それも、ものすごいクオリティで。そうなると、音楽家はどのようにして生きていけばいいのか。ライブだ。ライブで表現できるアーティストこそが、生き抜く力をもっているのだと思う。東京の下北沢には何軒のライブハウスがあるのだろうか。日本全国にはいくつのコンサートホールがあるのだろうか。数知れないライブハウスで、コンサートホールで、今日もたくさんのライブが行われている。

  ぼくたちミュージシャンは、生き様を、いきざまを、イキザマを、IKIZAMAを、晒しながらも、必死で“生き抜こう”としている。そう、“ライブ”という言葉以外にそれを伝える術はない。 (了)

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