2005年11月10日に、初のエッセイを発表してから10年が経った。“十年ひと昔”と言うが、長かったのか短かったのか・・・。どちらかというと、あっという間だったという思いの方が強い。今まで10年単位で振り返ってみる、なんてことはなかった。いい機会だから、ここで立ち止まって10年前を思い起こしてみようと思う。

  10年前、ぼくは44歳だった。30代の半ばから9年間を過ごした沢田研二さんのバンドを脱退してから1年ほどが経った頃で、BARAKAでの活動を中心に音楽を続けていた。バンド中心の生活は厳しい。2005年の手帳を見ると、ベースのレッスンを始めたのもこの頃だ。レッスンも始めてから10周年ということになる。そのころから、下高井戸にあった知り合いのスタジオにポツポツと通うようになった。最初にやってきたのは高校を出たばかりの男の子だった。専門学校に通うために岡崎から上京してきた彼は、自宅近くでベースを習える場所は、とネット検索をしていてぼくに行き当ったらしい。知り合いのスタジオのホームページにベース教室のことを載せてもらってから、間もなくの問い合わせだった。東京でベースのレッスンをしている講師は何人いるのだろう。縁あって、彼とベースを勉強することになった。

  ぼくは、“教える”という言葉に違和感があって、たとえレッスンであっても、とても口にはできない。“教える”という響きに傲慢さが感じられるからだ。たかだか、30年ぐらい早くベースを弾き始めたというだけのことではないか。弾けば弾くほどに、触れれば触れるほどに、ベースのむずかしさが分かってくる。目指すものの果てしなさが身に染みてくる。ベースを手にする度に感じることだ。日本には“精進”という素晴らしい言葉がある。元は仏教用語で、肉食をやめ菜食にするなど、禁忌を避けて戒律を守り、心身を清らかに保って、ひたすらに仏道修行に努め励むことを言ったが、転じて、“そのことだけに心を集中して努力すること”という意味で使われるようになった。うむ、まさしく精進するのみだ。

  ベースを手にしてから39年、ぼくの場合はこれが自分の目指す音か、とかすかな希望が持てるまでに25年ほどかかった。それほど大変な道なのだから、上達する方法なんておいそれと伝授できるはずがない。それでも、理に適った運指をするための練習方法やベースがアンサンブルの中でどのような役割を果たしているか、というようなことは伝えることができる。そのうち、調布にスタジオができると、彼に続いて、高校を出た子たちが続々と入門してきた。19歳から20歳の子たちだ。みんな、夢や希望にあふれていた。それから、4年、5年、大学を卒業するまで、就職するまで、その子たちのもっとも重要な時期をともに過ごすことができた。社会人になっても習い続けている子もいるが、彼らと過ごした数年は、ぼくにとってかけがえのないものとなった。彼らの多くは、今や20代後半となった。みんな、時々、近況を報告してくれる。行く末が楽しみでならない。

  2005年11月に「エッセイを書いてみませんか」と言われるまで、文章を書くようになるなんて思ってもみなかった。子供の頃から作文は苦手ではなかったが、学校を出て以来、書く機会なんてなかった。それも定期的にとなると、どうなることかと想像もつかなかった。それでも、どうにかこうにか10年も続けることができた。楽しみに待ってくださっている皆さまのおかげだ。心からお礼の気持ちを伝えたい。ありがとうございます。

  更に、2005年時点では、“空手”や“書”とも全くの無縁で、その“兆し”すらなかった。空手と出会ったのは2006年9月29日(45歳)で、書との縁は2008年1月(46歳)だ。今や、生活の一部となっているものとも、まだ、出会っていなかったということになる。こうして振り返ってみると不思議な感じもするが、人生とはおもしろいものだ。現在の様子を10年前のぼくが知ったら、と思うと愉快でならない。待てよ、ということは、10年後のぼくもまったく予想が付かない、ということではないか。64歳のぼくは何をしているのか。これ以上、何か新しいことを始めているというのは考えにくいから、ベース、書、空手、文章、これらをもっともっと突き詰めていられたらいいなと思う。

  ぼくは、若い頃は努力が苦手だった。だから、ベースと真剣に向き合うようになったのも、他のベーシストよりも遅かった。それを自覚しているから、先へ先へ、前へ前へ、上へ上へ、という意識は強い。肉体的な衰えとも付き合っていかなくてはならない。さて、どんな64歳になっているか。ビートルズに『When I’m Sixty Four』という曲がある。64歳になってもぼくを愛してくれるかい、というラブソングだが、ここで64歳になった自分を想像してみようと思う。BARAKAは28年目を迎え、日本の音楽界において貴重な存在となっているはずだ。書や絵ではもっともっといい味を出せるようになっていたい。武道も続け、何冊かエッセイ集や小説も出版していたい。はははは。なんだか都合のいい話ばかりだが、それぐらいでないとおもしろくない。

  もう40歳になってしまった、50歳になってしまった、と焦っている人がいるかもしれない。でも、だいじょうぶだ。人は10年あれば何でもできる。いつどこにどんな縁が転がっているか分からない。素晴らしいことに出会った時にそれをキャッチできるアンテナだけはしっかりと整えておきたい。

  100歳まで生きる人でも、その人の“10年”は10回しかない。あと何回10年を迎えられるかは分からないが、10年後の自分をすごい、と思えるような自分でいたいと思う。10年であっても、5年であっても、1年であっても、未来は日々の積み重ねの延長でしかない。ただ、緊張感のある日ばかりではだめだ。だらだらと過ごす日があってもいい。“一歩でも前へ”という信念さえあれば、人はどんな日々を過ごしていようと必ず成長できる、とぼくは信じている。

  世界は動いている。どんな10年後が待っているのか誰にも分からないが、今より少しでも多くの笑顔があふれる世の中であってほしい。 (了)

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