風人堂がオープンしてから、間もなく1周年を迎えようとしている。風人堂は千葉県の東側に位置する匝瑳市(そうさし)にある。九十九里海岸のちょうど中間あたりの街で、東側は旭市、西側はぼくの実家がある横芝光町だ。市の顔は総武本線の八日市場駅で、2006年に隣接する野栄町と合併するまでは八日市場市という名だった。千葉県内の地区でいうと、“東総”であり“外房”でもあるのだが、この辺り一帯は軒並み“しずか”だ。ほんわかと“しずか”だ。観光地といえば、車で、北に3、40分の所に成田があり、東に3、40分の所に銚子がある程度で、この辺りで全国的に知られているようなものはない。それでも、ぼくにとっては、時がゆったりと流れる穏やかでかけがえのない場所なのだ。

  子供の頃は、“八日市場”のことを“妖怪千葉”だと思っていた。“ようかい”ときたら子供の頭には“妖怪”しか浮かばない。この恐ろしげなイメージが払しょくされたのは小学校にあがってからだった。八日市場市、野栄町、光町の1市2町は、八匝(はっそう)と呼ばれ密接な関係にあった。光町の西側を流れる栗山川は、平安のころから上総(かずさ)と下総(しもうさ)の国境だったため、栗山川に近いという土地柄によって自然と交流が深まったのだろう。「八」は八日市場の頭文字、「匝」は野栄町と光町がともに匝瑳郡だったから。匝瑳という言葉は、奈良時代にこの地を収めていた物部匝瑳という人の名に由来する。このなんと読むのか分からない文字の郡名が、ものごころついてからのお気に入りだった。

  2014年10月8日、ぼくは実家に帰っていた。弟とふたりで旭に買い物に行った帰り道、同級生が八日市場駅近くに洋品店をオープンしたことを思い出した。寄ってみようかと電話してみると、店はすぐに分かった。扱っている服や鞄は女性ものだ、すぐに「あがれや~」ということになった。通されたのは洋品店の隣の部屋だった。その部屋は、在庫置き場兼休憩室になっていた。8畳ぐらいだろうか、洋品店に並んで道に面している。建物自体に昭和のおもかげがあふれ、それだけでも十分に“いい”雰囲気なのだが、その部屋は、壁といい天井といい、更にいい味を出していた。で、突然閃いた。「ここをギャラリーにできないかな」

  ぼくは、すぐに同級生に聞いていた。
「このスペースをギャラリーにできないかな」
「ギャラリーとして貸してもらえないかな」

「わがったあ、聞いでみっぺーや」
と同級生は、すぐにオーナーに電話をかけてくれた。
「いいって」
即答だった。

  こうして、ぼくは、思いつきから5分も経たないうちに、匝瑳市八日市場イ183にギャラリーを持つことになった。作品は、個展等で書き溜めてあったものが30点ぐらいはあった。それらに新しい作品を加えて展示販売することにした。あまりの急展開にドギマギする間もなくオープンへと向かった。ぼくは、普段は東京で仕事をしている。誰が店番をするか、等問題はいくつかあった。だが、乗らない手はない。流れとはこういうものだ。その家は一軒家で、洋品店とぼくが借りる部屋の奥にもいくつかの部屋がある。そのうちのひと部屋は東京に住むオーナーが経営している別の仕事の事務所になっていた。事務員さんもいる。その方がまた素敵な女性ですぐに仲良くなった。

  ぼくが作品を書き、弟が装丁をする。彼は、ぼくと違って手先が器用で、半紙に裏打ちをしたり、パネルに和紙を貼ったりという細かい仕事が得意だ。だから、すべての作品が兄弟での合作ということになる。彼には、時々店に顔をだしてもらうことにした。あとは、同級生と事務員の方にお任せだ。なんと都合のいい、と言われそうだが、まさしくその通りで、至れり尽くせりのサポートのおかげでギャラリーをオープンすることができた。同級生とオーナー一家の皆さん、事務のSさんには感謝の言葉しかない。

  部屋にあった荷物をかたしてもらうと、次は大掃除だ。弟とふたりでの雑巾がけも楽しい。奥にあった古い調度品も使わせてもらうことになった。カーテンやカーペットを新調し、あとは作品を並べるだけだ。年季が入った壁に作品を並べてみると“和”の空間が浮かびあがった。ギャラリーにいると落ち着くのはぼくだけではないらしい。訪れてくれる友人や知り合い、そして、時折訪れるお客さんも居心地がいいのか、ほとんどの人が長居をする。ぼくは、月に1度、ないし2度しか行けないのだが、ホッとした空間に癒されながら筆を握っている。

  2014年12月20日、風人堂はオープンした。大きな額から干支文字を書いた小さな額まで大小約50点をそろえた。お店には、常時このくらいは展示してあるのでいらしていただけるのであれば、お茶を飲みながらゆっくりと眺めてもらえると思う。総武本線八日市場駅から徒歩3分。のんびりしたひとときをすごしたい方には、ぜひ足を運んでいただけたらなと思う。総武本線は1時間に1本のペースなので、電車でいらっしゃる方はこの点にだけはご注意願いたい。旅館も数軒あるということも付け加えておきたい。特に、1周年記念のイベントをする予定はないが、来年の干支“申”の字も取り揃えて来年に向かいたいと思う。

  最近、鬼太郎や悪魔くんの作者、水木しげるさんが旅立たれた。ぼくたちの世代の男ならば(中には女性も)影響を受けていない人はいないはずだ。鬼太郎は真の“ファンタジー”だった。仲間を大切にすることを、他者を許すことを、正義のために立ち向かうことを、教えてくれた。奇しくも、今、ぼくは鬼太郎たちと同じ場所に住んでいる。“ようかいちば”にある風人堂しかり。ぼくと妖怪との縁は切れそうもない。はたまた、ぼく自身が妖怪なのか(笑)。 (つづく)

Copyright(C)2015 SHINICHI ICHIKAWA
Home Page Top Essay Top