2月のある日、午前11時ごろ、ぼくは車で平和島のスタジオに向かっていた。調布から平和島までは車で1時間から1時間半ほどかかる。高速を使っても下道を行っても到着する時間はたいして変わらないから、アイフォンの地図アプリを使って空いている下道を選びながら進んでいた。13時入りだから時間的には余裕があったし、ぼくは渋滞の道が苦手だから、たとえ遠回りになっても動いている道を選んでしまう。この日は二子玉川に向かう多摩堤通りが混んでいたので、裏道を使って環八に出ることにした。住宅街に入って多摩堤通りを大きく迂回する道だ。晴天の昼さがりを車は軽快に進んでいた。
小川に沿った小道を走っていると突然、見覚えのある人がズドンと目に飛び込んできた。“ズドン”とだ。その人のことを知っている人ならば、この表現を聞いて「まさに」と相槌を打ってくれるに違いない。その存在感からして見間違うはずがない。瞬間的に車を停めた。「こんなところで会えるなんて!」ぼくは、偶然出会えた喜びを隠しきれなかった。
「ポンタさん!」
車の左側の窓を開けて叫んだ。その人も、急に停まった車に駆け寄ってきた。そして、ぼくの顔を見ると同時に、車のドアを開けて助手席に乗り込んできた。
「おっ、伸ちゃん!助かった」
どこかに乗せて行ってもらう気満々だ。ぼくの都合を聞く前に乗り込んできた無邪気さがおかしくもありうれしくもあった。
「どうしたんですか?」
「いやあ、歯医者に行くとこなんだけど、タクシーが全然通らなくてさあ。ちょっと二子玉(にこたま)まで行ってくれる?」
二子玉川駅に寄ったとしても時間のロスはほんのわずかだ。もちろん行く。
「わかりました!」
そういえば、この辺りに住んでいるんだった。ぼくはすぐに車を発車させた。二子玉川までの10分間は、他愛のない話をしただけだったが貴重な時間となった。
ポンタさんとは、つい1ヶ月前の2016年1月にライブで共演したばかりだった。久しぶりにユニットを組んで4本のライブをした。一緒に過ごした1週間はかけがえのないものだった。ポンタさんはぼくにとっての恩人だ。ポンタさんから学んだことは数知れない。ステージを共にした30代前半の数年間は人生の宝だ。オンステージで、オフステージで、たくさんのことを学んだ。
出会ったのは23年ほど前のことだ。当時、ぼくはまだまだ未熟だった。30歳は過ぎていたが、数年前にバンドを解散し、事務所も辞めてこれからどうしていったらいいのか分からない、そんな不安定な時期だった。ある現場でポンタさんと一緒にプレイできるという夢のような機会があった。胸を借りようと正面から向かっていったのを覚えている。ぼくのプレイは荒かったに違いない。微妙なタッチで音の機微を表現することなどできていなかったはずだ。あったのは必死な思いだけだった。それでもポンタさんは真剣に受け止めてくれた。仕事の場で一緒に演奏するだけではなく、バンドを組み2年間直接薫陶を受けることができた。練習を重ねライブをした。今のぼくの基礎となるものを築いてくれた。そのバンドは、マウントフジ・ジャズ・フェスティバルに出演し好評を得た。
ポンタさんは相手が誰であろうと同じスタンスで接する。名前のある人であろうと、若者であろうと区別しない。現状の音で判断せずに将来性を見抜いてくれる。やる気のある人の思いを懐の深さで受け止めてくれる。相手の覚悟を見抜く。真剣であるなら真剣に接してくれるということだ。その代わり、ポンタさんを前に恐れを抱いたり、怯(ひる)
んだりする人たちは相手にさえしてもらえない。いや、そんな人たちは、ポンタさんの圧倒的な存在感に恐れをなして近付くことさえできないだろう。男の美学を持ち合わせ、人としての魅力にあふれている。女性にもてるのも当然の話だ。
大胆でありながら繊細さを併せ持ち、音楽に対して常に謙虚で新鮮な心を持ち続けている。どんな状況でも妥協せずに、よりいいものを作りたいという思いにあふれている。そして、人と人とを結びつけるのもポンタさんならではだ。ぼくがその後の人生を左右するような人と出会えたのもポンタさんのおかげだ。間もなく55歳になるぼくはといえばどうだ。まだまだ自分のことで精一杯だ。いつまで経っても足もとにも及ばない。
この世界に入って、たくさんの素晴らしいミュージシャンに出会ってきたが、ポンタさんは別格だ。“音楽は人間力だ”ということを存在で示し続けてくれている。ポンタさんは、人間力が音にどれほどの影響を及ぼすかを教えてくれた。見事な演奏をする人はたくさんいる。しかし、直接心に訴えてくる演奏をする人は数少ない。その人がそこにいるだけで空間を支配してしまうような、音を出す前から観客を虜にしてしまうような、そんな人がまれにいる。その力には、どんなにテクニックがあろうと太刀打ちできない。
ポンタさんは、ぼくが知りうる限り、戦国時代だったら大名になっていただろうなと思える唯一の人だ。いち時期、体調が思わしくないと聞いて心配したが、現在も精力的に活動している。そして、来年もまた、バンドで一緒に演奏できたらと思っている。失礼な話かもしれないが、知らず知らずのうちに、自分自身の成長を計る指針のような存在になっていただいている。
桜の花が美しいのは誰でも知っている。だが、その幹の素晴らしさを語る人は少ない。幹の美しさがあっての桜だということだ。こんな風に思えるようになったのもポンタさんのおかげかもしれない。少しでも、ほんのちょっとでも近付けるよう精進して行きたい。 (了)
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