“コピー”について考えてみようと思う。一般的に使われる“コピー”とは、文章、写真、絵画などを紙媒体に複写することだ。 “コピー機”は、今やどこのコンビニにも常備されていて、1枚、わずか10円ほどでコピーすることができる。A4サイズまでだったら、家庭用コピー機でも十分だ。ぼくたち音楽家もコピー機はよく使う。譜面を書いて、その日、スタジオで必要な枚数分をコンビニでコピーして持参する、ということが何年も続いた。ぼくの場合、譜面用には見開きB4サイズの音楽用リングノートを使う。五線紙のノートに2Bの鉛筆かシャープペン(芯の太さは0.7か0.9)で書き、115%拡大してコピーしたA3サイズのものを、ふたつ折りにして持ち歩く。

  今、使っているリングノートは66冊目だ。2冊はどこかのコンビニのコピー機に置き忘れてきてしまったが、それ以外の64冊はすべてすぐ手の届くところにある。1冊目は22歳の頃のものだから、33年分だ。1冊に平均して50曲、単純計算でも3000数百曲ということになる。バンドで、仕事で、演奏してきた曲の多くがノートに残っているという訳だ。残念ながら、10代の頃に弾いていた曲の譜面はない。当時は、まだ、譜面を書けなかったからだ。何曲かは頭の中にあり、何曲かは記憶の果てに去ってしまった。当然、譜面をもらうこともあった。それら数100曲分の譜面もファイルしてあることは言うまでもない。

  コンビニのコピー機の性能も数年前に比べて格段にアップしている。特に、セブンイレブンのコピー機は秀逸で、鉛筆の濃淡までもしっかりコピーしてくれる。さすがだと言わざるを得ない。更に、最近は、スマートフォンの『SCAN』アプリも使うようになった。書いた譜面を(ここまでは変わらない)SCANして(写真に撮ればいい)、データとしてメールで送る。便利この上ない。それぞれが家でプリントアウトすればいい。中には、プリントアウトせずにアイパッド等のタブレットで譜面を表示する人も増えている。このように、音楽家も道具の進化による恩恵に与っている。

  “コピー”には、「デジタルデータ」のような物質的でないものを複製するという意味や「コピー商品」のように、本物に似せたものを作るという意味もある。また、広告のキャッチフレーズや説明文案のこともコピーという。コピー&ペースト、コピーガード、コピーライター等の言葉もよく知られている。

  さて、ここからが本題だ。音楽における“コピー”について考えてみたい。ミュージシャンにとってのコピーとは、CD等の音源から音を“ひろう”ことだ。演奏者が奏でる音を“忠実にあぶり出し、その気持ちさえも汲む”ことだ。ぼくはベーシストだから曲を聴いて、ベースの音やリズム、ラインを“聞き分け”、“抜き出し”、それを同じように“再現しようとする”。これらの行為を“コピー”という。自分の耳で聞くところから、自然と“耳コピ”と言われるようになった。多くの若いミュージシャンに、コピーするということが音楽家として、演奏家として、どれほど大事かということを知ってもらいたい。今は、Youtube等の動画でほとんどのアーティストの演奏を見ることができるし、TAB譜でどうやって弾いているかを知ることができる。“正解”まで一直線に進むことができるという訳だ。しかし、“音”だけと対峙せざるをえない場合は話が違ってくる。すぐに結果を得られないどころか“正解”に辿り着くまでに幾度も回り道をさせられることもある。また、辿り着いたと思った“正解”が“正解”ではなかった、ということさえあり得るのだ。そもそも“正解”というゴールは果てしなく遠く、到達するのは限りなくむずかしい。到達点だと思っていた場所が、実は入口に過ぎなかった、なんてことが当たり前の世界、それほど奥深い世界なのだ。正直に言うと、ここで“正解”という言葉を使うことにすら、ある種の違和感を覚えている。ああ、音楽を志す皆さんにこの世界を知ってもらいたい。この世界での楽しみ方を覚えてほしい。

  ぼくたちが高校生の頃は、好きなアーティストが演奏している姿などめったに見ることはできなかった。だから、どのようにして音を出しているのかは想像する以外になかった。レコードジャケットやポスター、『Music Life』等の音楽雑誌に載っている写真のみがヒントだった。今思うと、小さなラジカセでベースの音をひろうのは大変だったはずだ。毎日毎日、スピーカーに耳を擦りつけるようにして音を探した。キュルキュルと何度も何度も巻き戻しボタンを押しながら、ひとつのフレーズを探し続けた。そうして、1ヶ月をかけてどうにかこうにか『She Loves You』を弾けるようになった。コードの概念さえも持っていなかった頃の話だ。その達成感たるや、あの時の喜びは今でも忘れることはできない。その後、苦労してコピーした曲を聴く度に新たな発見があった。その発見は今でも続いている。

  昭和44年11月20日にシンコーミュージックから発売された『ビートルズ大全集』(THE BEATLES COMPLETE)という楽譜集がある。ビートルズの曲が190曲も載っている本だ。コード進行と歌のメロディが書いてある。ぼくは、昭和56年12月20日発行の第11版を持っている。当時でも4,000円もした。ところが、どう弾いてもどうもレコードと合わない曲がある。本なのだから間違っているはずはない、どうなっているんだ、と混乱したものだ。それに比べて、現在のタブ譜はかなり優秀だと思う。だが、決して完全ではない。タブ譜の中にはとんでもないものもあるから、疑ってかかる気持ちも持ち合わせるべきだ。

  4弦ベースの場合、一番低い『E』は4弦の開放弦の音ひとつしかない。ところが、その1オクターブ上の『E』となると、2弦の2フレット、3弦の7フレット、4弦の12フレットと3ヶ所もある。更に、その上のオクターブも合わせると『E』は(20フレットの場合)ベースのネック上に7つもあるということになる。さて、どこを押さえればいいんだろう、と試行錯誤を繰り返すことになる。このような過程が大事なのだと思う。「ここを押さえた場合、次の音はどこを押さえればいいのか」等とやっているうちにフレット間の法則を自然に身に付けることになる。『E』の場合、4弦の開放でなければ、大抵は安定している3弦7フレットの『E』を使うが、2弦2フレットや4弦12フレットでなければ出せない音やニュアンスもある。また、4弦5フレットの『A』を使っているのか、3弦の開放の『A』を使っているのか、と悩むだけでも価値がある。

  音を正確に把握できたとしても、それだけでは半分にも満たない。曲の“感じ”や“雰囲気”“らしさ”をつかむことも大切だ。こういった感覚的なものもコピーには大切な要素だ。その先に行くと、どんなベースを使ったら、どんなアンプを使ったら、どんなエフェクターを使ったら、と知りたいことへの欲求は次から次へとやってくる。

  「今の音、CDのフレーズと違う!」という言葉を耳にすることがある。確かにCDの音を正確にコピーすることは大事だ。だが、いざ、演奏するとなると話は違う。完コピバンドを目指しているのなら徹底して真似る、近付くべきだが、そうでない場合、アンサンブルは無限だということを知ってほしい。CDと同じプレイが100で、そうでない場合は“間違っている”という考えではちょっと寂しい。指が追い付かないメンバーがいるのなら、その人に合わせればいい。8ビートの8分弾きを4分音符で演奏してもいいし、全音符にしてもいい。リズムを変えたっていい。どんなスタイルで表現しようとも、すべてが100でありうるのが音楽なのだ。40年ベースを弾いている人でも、ベースを手にして1週間足らずの人でも、同じように100で参加できるのがバンドだということだ。そう思えたら、毎日の音楽活動がどれほど楽しくなることか。ほんのちょっと視点を変えるだけで見えてくる景色はまったく違ってくる。豊かな心で音楽に接していきたいと思う。(了)

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