2016年が暮れようとしている。ぼくにとっての55回目の大晦日は静かなもので、ゆったりとした時間が流れる中、今、こうして机に向かっている。大晦日から正月にかけての数日は何とも心地いい。新しい年の始まりをじっと待ち、心静かに受け入れたい。365日毎に巡ってくる大切な日を豊かな気持ちで過ごしたいと思う。

  さて、久しぶりのエッセイだが、毎回苦心するのはテーマだ。何を書くかが決まらないと一歩も先へは進めない。そんな中、今回はぼくのカバンの中を、カバンの中身を紹介してみてはどうかと閃いた。特別なものが入っている訳ではない。入っているのは、ごく当たり前のものだけだと思うのだが、ひとつひとつ並べてみたら一編書けそうな気になった。そもそも、他人のカバンの中に何が入っているのかなんて、普通は気にはしない。カバンの中身なんてたいてい同じものが入っているだろうと推測できるからだ。財布や手帳、ハンカチ、ティッシュ、薬、女性だったら化粧道具、確かに70%は同じだろう。それ以外の30%は仕事の道具であったり、書類であったり、個々に必要なものだろうとだいたいの想像は付く。だが、考えてみると同じようなものだからこそ、個性が表れるのかもしれない。カバンの中身ほど、持ち主の個性が表れるものはないのではなかろうか。

  さて、鞄とバッグ、このふたつには違いがあるのだろうか。バッグは、もちろん英語のBAGのことだ。辞書で調べると“袋”“かばん”と出てくる。鞄は、革や布などでつくる携帯用の収納具。文ばさみを意味する中国語“きゃばん”、または、櫃(ひつ)を意味する“きゃまん”に由来するという説と、オランダ語のKABAS(手提げかご、針仕事袋)から来たという説がある。どちらの場合であっても、鞄という言葉は、明治以降に使われるようになったそうだ。最近ではバッグと呼ぶ方が一般的だが、鞄という言葉にも趣がある。それぞれが、ニュアンスの違いで使い分ければいいということだ。カバンはひとつとは限らない。TPOに分けて使い分けることもある。

  ぼくが今、メインで使っているのは“ひらくPCバッグ”というカバンだ。パソコンを持ち歩く訳ではないが使い勝手は抜群だ。譜面やフライヤーを持ち歩くので、A4の書類が入ることが最低条件で軽いものがいい、と探していたときに見つけたものだ。2年前に出会い、最近、2代目を購入した。形が二等辺三角形なので安定性があり、ファスナーを開くとフタが倒れ中身をすべて見渡すことができる。まさに、“ペン立てみたいなバッグ”だ。

  バッグの中に、入っているものをあげてみよう。

◆財布
◆手帳
◆8インチのタブレット
◆ライブのフライヤーとチケット
◆筆箱
◆手ぬぐい
◆エコバッグ
◆ティッシュと濡れティッシュ
◆名刺入れ
◆イヤホン
◆薬ケース
◆スマホとタブレットの充電器
◆葉書
◆万年筆(※筆箱とは別)
◆三色ボールペン(※筆箱とは別)

  その他、メッシュのポケットには・・・胃薬4袋、葛根湯2袋、芍薬甘草湯1袋、ロキソニン2錠、バンドエイド3枚、イヤーウィスパー、リップクリーム、が入っている。(2016年12月31日現在)

  はははは(笑)。こんなにあるのか。書き出してみると年相応だなと笑ってしまう。ひとつずつ簡単に説明してみることにしよう。

  まずは財布。ごく普通のものでお金、カード類が入っている。小銭入れに愛用のピックを4枚ほど入れている。CLAYTONのおにぎり型ピックで厚さは0.94ミリ。普通のハード(1ミリ)より0.06ミリ薄い。この厚さが絶妙でよく“しなって”くれる。多くのミュージシャンの悩みだと思うが、なぜだか、ピックは知らないうちになくなってしまう。CLAYTONの0.94ミリは、最近、品薄なのでなくさないよう注意している。

  手帳。高校時代の3年間使った生徒手帳から数えると40冊目の手帳だ。最近はスマホのカレンダーアプリも使っているが、紙の手帳も併用している。スケジュールを2重に管理することで気付くことも多い。それに、紙は目に見える形でずっと残るところがいい。例えば1986年の手帳。ぼくは25歳。近藤真彦バンド“YAMATO”に参加して3年目の年だ。この年は1月3日、4日大阪フェスティバルホールでのコンサートから始まった。当時は歌番組全盛の頃だった。新曲がリリースされると毎日のように音楽番組に出演した。1日に2番組というのも少なくなかった。

◆月曜日トップテン、ヤングスタジオ101、レッツゴーヤング
◆火曜日ヤンヤン歌うスタジオ
◆水曜日夜のヒットスタジオ、レッツゴーアイドル、
◆木曜日ザ・ベストテン、カックラキン大放送、ドレミファドン
◆金曜日ミュージックステーション、歌謡ドッキリ、ビンビンハウス
◆土曜日ヤングタウン東京
◆日曜日スーパージョッキー

  手帳には、これらのスケジュールがびっしりと書き込まれている。すべての番組が生演奏だから、サウンドチェック、音決めから始まりランスルーまで、本番前に何度も演奏した。毎年50本を越える全国ツアーもあった。まだまだ演奏は拙かったと思う。それでも、毎日必死で演奏し続けた。ぼくたちの世代は20代前半からこのようにして現場でたたき上げられた。四の五の言う前に演奏しなければならなかった。それに比べると、今の若いミュージシャンは気の毒でならない。音楽番組は数えるほどしかないし、出演できたとしてもあてぶり(カラオケを流し演奏している振りをすること)だから、生で演奏する機会はほとんどない。生放送の緊張感を、あの震えるほどの緊張感を経験できたぼくたちは幸せだ。それでも、ミュージシャンを目指す皆さんに伝えたい。こんな時代だからと言ってあきらめることはない。音楽家としての人生を目指すのであれば、とにかく演奏し続けてほしい。アンサンブルをこなした分だけ成長できるはずだ。音はどんどん機械化されてゆく。今後は、ライブでお客さんの目の前で演奏し、納得させられるミュージシャンしか生き残れない時代になっていく。直向きに、地に足を付けた音楽活動をしていってほしいと思う。

  葉書。最近、新たに加わった新顔だ。今年は久しぶりにツアーで全国を回る機会を得た。ぼくは、地方に行ったら郵便局に立ち寄る。その場所にしか売ってない切手があるからだ。11月には京都で渋い切手をたくさん仕入れてきた。切手を買うのは、収集のためではない。使うためだ。ぼくは、手紙や葉書を出すのに、コンビニでも売っている普通の郵便切手ではなく、記念切手を使う。受け取る側の気分がちょっとは違うと思うのだ。気にしない人がいてもいいし、ぼくの自己満足であっても構わない。瞬間的にでも幸せを感じてもらえたのだとしたらうれしい。葉書は美術館に行ったときに気に入ったものをまとめて買っている。今年から、葉書に洒落た切手を貼ったものを数枚カバンの中に入れておくようになった。父や母に便りを出すためだ。ほんの数行でいいし、2、3分もあれば書ける。電話やメールではなくぼくの文字で元気だよ、と伝えたいのだ。ふたりの名は連名にせずに別々に出すことにしている。

  カバンの中身の話、続きは次編までお待ち願うこととして、新年に向けて一言。2017年は“酉年”。酉は『果実が極限まで熟した状態』のことを言い、物事が頂点まで極まることを意味するそうだ。よい結果や成果を得られる年だということだ。成果は知らないうちに表れる。どんな結果が訪れても淡々と受け取れるよう心して歩みたい。2017年が皆さんにとって、世界にとって、素晴らしい年でありますよう。 (つづく)

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