“引き際” なんとも日本語らしい響きとニュアンスを持ったこの言葉は 「現在の地位から身を引くとき」のことを言う。単に “辞める” でも “終える” でもなく、“去る” という行動に対して深いこだわりを持つ日本人の美意識を端的に表す言葉だと言える。日本人は昔から引き際に泥(なず)んできた。どのように美しく身を引くか、辞め時にこだわった。中世以降は家督を譲るという引き際が人生最後の大イベントと言えるほど重要なものになった。これはその後の “隠居” という日本独特の生き方にも深く係わっている。 (※この “隠居” という言葉は今昔物語にも出てくる。万葉の昔から日本人ならではの美学があったのだ。また、江戸時代には公家や武家を罰する刑のひとつともなった。) 職人ならば10年、20年先を見据え、後人に後を託すこともある。潮時を見極め、自分自身を客観的に見る眼力も必要だ。 「終わりよければすべてよし」 という言葉があるようにどんなにうまくいっている時でも安閑としていてはいけない。最後まで気を抜かずにいかねばならない。

  今年はすでに象徴的な引き際をいくつか見てきた。サッカーのワールドカップ後に中田英寿選手が引退を表明した。彼はここ数年、日本のサッカー界を引っ張ってきたスーパースターだ。世界で最初に成功した日本人サッカー選手と言ってもいい。29歳といえば世間ではまだまだ若い。まだできる、もったいない、という声も多かった。しかし彼は有無を言わさずにスパッと辞めてしまった。潔いと言えばそれまでだが、何か物足りないものを感じた人も多かったのではないだろうか。激しいスポーツだけに怪我との戦いもあっただろう。僕たちにはわからない苦悩だってあったはずだ。もしかしたら現在の自分の本当の実力を、そしてそのレベルがどの程度のものなのかを悟ってしまったのかもしれない。けれども、本当の理由は決断した彼にしか分からない。 「お疲れさま」 というねぎらいの言葉と共に、人生の半分にも達していない彼のこれからにエールを送りたい。

  記憶に新しいところでは小泉前首相の任期満了に伴う辞任があった。小泉さんといえば信長を信奉し、時には三国志の曹操のような梟雄に例えられることがあった。梟雄とは平安な世の中においては出番はないが、世の中が荒廃した時にこそリーダーシップを発揮して新しい時代を切り開く人、というようなニュアンスの言われ方をすることが多い。少々荒っぽくて残忍さがあるとも定義される。確かにイメージはそうだ。優しく包むおおらかさのようなものはない。思い込みが激しく、かたくななまでに持論を曲げなかった。その思い込みは国政にさまざまな功罪をもたらしたのだろうが、政治の評価は時間のみが判断するようだ。後の世になってみないと是非はわからない。唯一つ言えることは、小泉さんが首相に就任した頃の日本は、彼のようなリーダーの出現を必要とするほど深刻な危機に直面していたということだ。今がそうでないとはけっして言えないが、安倍さんは僕の大学の先輩でもあるし、厳しさの中にも大局的なものの見方のできる人であってほしいと心から願っている。

  競馬界では武豊をして 「空を飛ぶように走る」 と言わしめた 『ディープインパクト』 が今年いっぱいで引退することになった。賭け事に興味はないがサラブレットの美しさには目を引かれることがある。残念ながら今年10月1日にフランスで行われた凱旋門賞では3着と敗れたが、日本での成績は11回走って1着が10回、2着が1回と圧倒的な強さを発揮しているG1レース五冠馬である。昨年は無敗の三冠馬という偉業も達成している。得意分野ではないので詳しくは伝えられないが、デビュー以来無敗のままでの三冠制覇は史上2頭目という快挙らしい。 “日本代表” という言葉にピンと反応してしまうから注目していたが、競馬の世界も夢だけでは語れない複雑な部分がありそうだ。彼の強さは競馬ファンたちに、間違いなく語り継がれるであろう強烈なインパクトを残した。引退後は51億円もの大金でシンジケートが組まれ北海道で繁養されるそうだ。ただ、世間がどれほど大騒ぎしようとディープインパクト自身はどこ吹く風、現役も引退もない。いつものように颯爽と走るだけだ。出走馬としての引き際は人間に決められてしまったが、やさしい眼が曇ることのない一生を送ってほしいと思う。

  音楽や絵画、文学などの芸術の世界には眼に見えるような引き際はない。スポーツと同じように体そのものを使う “舞踏” や “舞踊” では演じる側から身を引いて創る側に回る、ということはあるだろうが、自分に向き合い表現することは死ぬまでできる。また、公務員や会社勤めの人には定年というものがあるが、まったく縁のない僕は、仕事ができてもできなくても同じ歳で辞めなければならないと聞くと、逆に不公平を感じてしまう。これはどうしようもないことなのだろうが本人の意志がもう少し反映されるようなシステムがあってもいいのではないかと思う。それでも仕事以外に引き際を考える “何か” がある人は幸せだ。

  日本ハムファイターズのSHINJO選手と読売ジャイアンツの桑田投手は対照的な引き際を選んだ。SHINJO選手は開幕と同時に今シーズンで引退することを宣言して周りを唖然とさせた。SHINJO選手ほど特異な選手はいない。他に例を挙げようにも挙げようがないのだ。野球選手としての実力、ルックス、ファッション性、数々の発言やパフォーマンス、コマーシャル出演等の話題性、また、そういった派手な面の裏側での誠実さ、気配り…、すべての要素のアンバランスさの妙というか、でこぼこのパーツがSHINJOという媒体を通してひとつの完璧な白い球体になるというような感じである。ピークが過ぎたなんて誰も思ってはいない。これからだってまだまだ活躍できるだろう。SHINJO選手はファイターズでの3年間の年俸4億6千万のうちの約4割を球団やファンのために還元している。札幌ドームには自分自身の広告を出し、ファンを招待するSHINJOシートもたくさん設けている。球場を一杯にすることを第1の目標とした。野球に対する情熱というよりは、自分の周りにいる人たちに対する優しさに溢れた人間味ある人のようだ。彼はそれほど野球選手に憧れていなかったらしい。彼の発言やインタビュー記事を読むと分かるが、運命に導かれたかのように野球を始め、プロ選手になってしまったという部分がある。そこからしておもしろい。また、プロ選手たるもの品行方正でなくてはならない、というような不問律がある世界において、個性だけで客を呼べる貴重な存在だった。彼ならきっとこれからも札幌のファンのために、野球ファンのために、スポーツファンのために何かをやってくれるに違いない。何よりも彼の明るさがいい。

  逆にけっして明るいとは言えない桑田投手は現役を続行する道を選ぼうとしている。この紛れもない大投手は自らジャイアンツに別れを告げようとした。彼は登板する予定になっていたファームの試合の前日、自分自身のホームページ上で 「明日、ジャイアンツのユニホームでマウンドに立つのは、おそらく最後になるだろう。」 と発表した。次の日、川崎にあるジャイアンツ球場はたくさんのジャイアンツファンで溢れかえっていた。ファームの球場では対応しきれるはずもない。普段なら入れないフェンスで仕切られた急斜面にまで人が入り込み、桑田投手の一挙手一投足を追った。彼の姿を眼に焼き付けようと必死で背伸びをしていた。球団も見て見ぬ振りをしてくれていたのか、最後まで混乱は起こらなかった。流れるようなフォームは健在だ。が、如何せん球速が足りない。130キロを超えるぐらいのストレートではよほどのことがない限りプロでは通用しない。針の穴を通すコントロールやナックルボールのような魔球がないことにはプロの打者は抑えられないのだ。この日が桑田投手にとってはジャイアンツでの最後の試合になるだろうことはまず間違いない。そんな桑田投手の気概が球場を覆っていた。目標である200勝にこだわっているからだという意見もあるが、そんなことには関係なく 「ただ投げたいんだ。」 という純粋な気持ちだけが伝わってきた。その気持ちを買いたい。彼はまだ現役で投げることに情熱を燃やしているのだが、他の11球団のいずれも彼と契約してもいいという意志を示していない。手を上げてくれるところがないのだ。 「ならば海を渡ろう。」 あろうことか彼はメジャーリーグに挑戦しようとしている。日本の12球団合同の再入団テスト、トライアウトも受けるつもりらしい。聞くところによるとアメリカ、日本がだめだったら韓国、台湾、そしてイタリア、スペインででもプロを続けたいと語ったというのだが、もし本当だとしたら凄まじいまでの決意だ。実績やプライドよりもアスリートとしての可能性のみに突き進んでいる。サッカーの三浦知良選手と重なる部分がある。今後、どこの国で投げ、どのような結果になろうと僕たちはただ生き様を見守るしかない。ぼろぼろになって辞めていくことになったとしても、その時は心からの賛辞を送りたい。とことん、気が済むまでやってほしい。桑田投手の2度の打席では心のこもった拍手と悲鳴に近い声援が飛び交っていた。

  誰にでも何かしらの引き際を考えなければならない時が必ず来る。誰のための引き際なのか…、それはやはり自分自身のものでなくてはならない。日本人らしい美しい引き際を演出するには日々の前進が不可欠だ。かっこよくてもかっこわるくても、真っ直ぐな生き様の末の引き際のみが本当の美しさを物語る。
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