12月も大詰めを迎えると、子供たちは 「クリスマスプレゼントに何をもらえるか」 ワクワクし始める。 「サンタクロースはいる!」 と信じている振りをしてワンランク上の獲物を狙っている子供もいるから親は要注意だ。子供のころは本当に待ち遠しかったし、大人になった今でも甥や姪に何をあげようかと迷う喜びがある。親や家族は多少懐具合が寂しくても、子供たちの笑顔を見たくてなんとかしてしまうものなのだ。世界の多くの子供たちにとって、クリスマスは “輝き” そのものだ。しかしながら、残念なことにその夢のような時期を、いつもと変わらない毎日の繰り返しとして過ごさなければならない子供たちがたくさんいる。この世界には様々な環境、状況の下、悲惨という言葉では言い足りないぐらいの痛ましい生活をしている数多くの人たちがいる。今、この一瞬にも死んでいかなければならない子供たちがいることを僕たちは知っている。それを知ってはいるが現実的にはどうすることもできないことも知っている。信頼できる慈善団体に心ばかりの募金をするか、世界の平安を祈ることくらいしかできないのだ。それでもその事実を知っている人は伝えなければならないし、聞いた人はまたそれを誰かに伝えなければならない。現代は “情報を伝える” ということに関しては想像を遙かに上回る次元にまで達しているのだ。

  どんな特別な日も “普通に過ごさなければならない” どころではなく “ただやり過ごすしかない” 子供たちの頭を優しく撫でながらグエン・ドクさんは病院内を回っていた。ベトナムにあるこの病院の子供たちは枯れ葉剤の影響で奇形、あるいは未発達児として生まれた子がほとんどだ。そうした境遇にもめげず笑顔を見せる子供たちがいる一方で、プレゼントをもらう喜びも親のいない寂しさもわからないほど重篤な障害を持った子たちもいる。その姿はあまりにもむごく形容する言葉さえ見つからない。そんな病院でのひとコマである。テレビの映像からでも彼の深い慈愛が伝わってきた。彼は1988年にこのツーズー病院で分離手術を受けた結合双生児 『ベトちゃん、ドクちゃん』 の弟ドクさんだ。彼は手術後この病院の職員として働くかたわら 『ベトナム戦争の負の象徴』 として、枯れ葉剤被害を世界に訴える活動を続けている。25才になる彼の瞳は落ち着いた色をしていた。何もかもを見透かしているような深い色をしていた。人間はどのような想いの果てにこのような瞳を持てるようになるのだろうか。このドクさんが12月16日ホーチミンで結婚式を挙げた。新婦のテュエンさんとは慈善活動を通して知り合ったそうだ。聡明さがひと目で分かるような美しい人だ。必ずやふたりで、まだまだこれから生まれ続けるであろう戦争の犠牲者たちを助けるだろう。

  1988年の手術のことは当時ニュースを見て知っていたし記憶も確かだ。だがそれから現在まで、彼らのことを考えたことはなかった。ドクさんの結婚について、いくつかの記事を読んで気付いたことがある。記事の書き出しはどれも以下のようになっていた。 『ベトナム戦争中に米軍が散布した枯れ葉剤の被害者とされる…』 『ベトナム戦争で使用された枯れ葉剤の影響と見られる…』 すべての記事が断定ではなく曖昧に書かれている。そう、彼らの被害は枯れ葉剤の影響とは未だに断定されていないのだ。除草剤の一種である枯れ葉剤に使われたダイオキシンがDNAに傷を付け、そのせいで癌、先天性異常、流産、死産が多発するようになったというのは周知の事実だが、肝心のアメリカ合衆国は未だに奇形と枯れ葉剤散布の因果関係を認めてはいない。 「確かに奇形は増えたが統計上ありうる範囲だ」 とか 「そのせいかもしれないが、違うかもしれない。だから違う」 などという屁理屈を通したままなのだ。これが許されたままでまかり通っているのは現代文明の未熟さを物語っている。本当に情けない。どの国でも美徳悪徳は多かれ少なかれあるのだろうが、アメリカという国は両極端だ。尊敬できるところもたくさんあるが殺人罪も裁判のやり方によっては無実になってしまう、というような不思議なこともありうる国なのだ。世界一の経済力、軍事力は万人の認めるところだし、日本はアメリカの軍事力に守ってもらっているという負い目もあるが、このような不可解な部分だけはどうにかしてほしいと思う。地球温暖化を少しでも食い止めるために二酸化炭素の排出を規制しようと世界の国々が京都に集まって議決した 『京都議定書』 の問題にしてもそうだ。世界中が唖然とした。世界一の二酸化炭素排出国にも関わらず自国の都合のみを優先してサインしようとはしなかった。

  ヤンキースの松井秀喜選手が試合で怪我をしたときの談話の中に 『チームメイトや関係者の皆さんに迷惑をかけてしまいました。すいません』 という一文があった。 「松井は何を勘違いしているんだ?謝る必要なんてないじゃないか」 とアメリカ人は誰も彼の気遣いを理解できなかったそうだ。確かに文化や考え方は国によって違う。しかし、人間が1対1で向き合った時は必ずしもそうではないはずだ。言葉は理解できなくても本能が相手の気持ちを汲み取るのではないだろうか。そうあってほしい。そして、その思いやる気持ちだけで世界を満たせる日が来てほしいと願わずにいられない。
 
  ドクさんは出席者を前に 「お父さん、お母さん、生んでくれてありがとう。病院の皆さん、日本の皆さんに感謝申し上げます」 と話した。うれしいことにたくさんの日本人がずっと彼らのことを支援してきたらしい。披露宴で集まった祝儀も枯れ葉剤の被害者に寄付するそうだ。派手な人生でも地味な人生でも、たくさんのお金を動かせる人生でも少しのお金しか動かせない人生でも、真実はひとつだ。誰より自分の心がそれを知っている。
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