最近の天晴れ (あっぱれ) を五つ。

  高橋尚子選手が勝った!大復活だ。日本人ランナーとしてマラソンで初めて金メダルを獲った彼女は一生讃えられてもいい…はずなのにたった一度負けた (といっても2位である。) という理由でもうだめだろうと言われていた。初マラソンの7位は別として、以後7戦して6回優勝という未曾有の記録を打ち立てた彼女に対してこの言葉である。どんなに悔しかったか。彼女は敢えて勝負に出た。 『弐の葉』 にも書いた名伯楽、千葉県人小出監督の元を離れての優勝だ。年齢のことを考えるとなおさらすごい。意地を貫いたところがかっこいいじゃないか。北京でもやってくれるに違いない。たとえ優勝できなかったとしても彼女の偉大さはなんら変わらない。だいたいをもって日本人は忘れっぽいのか、偉業を成し遂げた人たちに対する尊敬の念が少ないように思う。欧米人のいいところはそういう人たちに対する敬意の表し方の気持ちよさだ。これは見習わなくてはならない。前回のオリンピックでマラソンと10000メートルに惨敗したラドクリフ選手に対してイギリス人は温かかった。優しく見守られた彼女は見事に立ち直った。元ヘビー級チャンピオンのモハメド・アリに対するアメリカ人の讃え方を見よ。確かに文化的な違いはあるだろうけど (アリの場合はベトナム徴兵拒否の問題が絡んでいるので特別かもしれないが) 日本の元世界チャンピオンたちだってもっともっと大事にされてしかるべきだ。音楽の場合だってそうだ。彼らは現在、過去にかかわらず業績を認めようとする。そのアーティストを心の底から讃えている。そういった姿勢が “音の歴史” として太く繋がって行くように思えてならない。チャンピオンになるのがどれほど大変なことか…。僕たちにはまったく想像もつかない。自分自身の力で7勝目を勝ち取った高橋選手に拍手。天晴れだ!

  BARAKAのレパートリーに 『Butterfly』 という曲がある。海を越える蝶のことを知って歌詞を書いた。97年のことだ。大樺斑 (おおかばまだら・南北アメリカ、東南アジアに生息) という蝶で確かメキシコからカナダまで飛んでいくという話だった。その姿に、潔さや勇気に感動した、と同時に外国にはすごい蝶がいるんだなと思っていた。ところが…我が国にもいた。驚異のやつらが。今年初めて生態を調べるためにマーキング (放った場所と時間がわかるように羽に何らかのマークや文字を付けること。) された蝶が放たれた。そのうちの何羽かがアッと驚く場所で発見された。まず、蔵王で放たれた蝶が1600キロ離れた奄美大島で見つかった。数日後には “湯本” の文字を颯爽とはためかせた蝶が2080キロ離れた与那国島で見つかった。何ということだ。すごいぞ!天晴れだ!何十日もいや何百日もかけて海を渡ったのだろう。なんといういじらしさ、そして真っ直ぐさ。素直に学びたい。かわいそうにこの蝶たちは飛行機で山形に連れ戻されてしまった。ちなみに、彼らは疲れたとき片方の羽を水面につけて眠るらしい。この蝶は浅黄斑 (あさぎまだら) といって九州以北では日本に唯一生息するまだら蝶。ヨツドヒヨドリの花の蜜を好む。

  2005年11月、アマチュア棋士の瀬川晶司さんがプロになった。61年ぶりにプロ編入試験が行われそれに合格してのプロ入りである。将棋や囲碁の場合プロとアマの間にははっきりとした線引きがある。野球や、サッカー、ゴルフのようなスポーツにもそれはある。がしかし、ミュージシャンにはない。(建築家にはあり作家や画家にはない。) あなたは今日からプロです!というような資格がある訳でも証書がある訳でもない。プロと言いながらちゃんと弾けない人がたくさんいるし、アマチュアでありながら素晴らしいプレイヤーはたくさんいる。演奏をしたり、作曲をしたりして報酬を得るのはもちろんプロだが、他に仕事をしながらその道を極めるのも姿勢としてはプロだと言える。自分自身のあり方や自覚、そして志がプロであるかそうでないかを決めるのだと思う。瀬川さんの場合も、プロの資格を得たということ以上に好きなことをあきらめずにやり続けたところに意義がある。天晴れ!

  今年の “現代の名工150人” に岐阜県のギター職人矢入一男さん (73) が選ばれた。アコースティック・ギターの 「YAIRI」 といえばわかる人もたくさんいるはずだ。ポール・マッカートニーを始めとする国内外のトップ・ミュージシャンが使用するギターを製作していることで知られている。ミュージシャンとしてもうれしいニュース。これも天晴れ。

  最後にもうひとつ。毎回のように野球の話になってしまって恐縮だが、これは書かないと。今季オリックス・ブルーウェイブの監督を務めた仰木彬さんが先日亡くなった。メジャーリーガーである野茂選手、イチロー選手、吉井選手、田口選手を見出し育てた名監督だ。 『役者は舞台の上で死ねれば本望』 などとよく言われるが、仰木さんはまさしく最後までグラウンドに立ち続けた。これぞ男の生き方。天晴れ!そして合掌。
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