「う〜ん」 「どうしようかな…」 ノリオは迷っていた。やっぱりこれかなと手に取ったのは2年ほど着込んだグレーの無地のTシャツだった。 「う〜ん…」 ノリオは20分ほど前からクローゼットの前で、今日はどのTシャツを着ていこうかと悩んでいるのだった。 「せっかく早く起きたのに…」 まわりには10枚ほどのTシャツが散らばっている。別に特別な日ということではないのだが、たかがTシャツと簡単に済ませる訳にはいかない。

  まだ6月だというのに暑い日が続いている。今年はなぜか梅雨入りした途端に太陽ががんばりだした。今日も暑くなりそうだ。ノリオがどの服を着ようか迷うのはめずらしい。普段は寝る前に次の日に着ていく服を決め、着る順番通りにキチッと揃えイスの上に置くというようなことをする。いつのまにか1年を通して変わらない習慣になってしまっていた。まずはジーンズをパシッと三つ折りにし、その上にたたんだままのTシャツを重ね、一番上にはパンツと靴下をふわりと載せる。こうしておけば朝、頭が活動し始める前でも迷わずに服を着ることができるのだ。かばんの中も整理しておけばものの数分で家を出ることができる。 (※顔を洗い歯をみがき着替えるだけなら5分もあればいい。)

  5月を過ぎると大きめの長袖Tシャツと膝までのHensの短パンがノリオのパジャマ代わりとなる。長袖Tシャツは数枚あるがどれも着古して体に馴染んでいる。長袖を着るのは寝ている間に布団から腕が出てもいいようにとの健康上の配慮からだ。Hensの短パンは軽くて何よりもニットの肌触りがいいので愛用している。ノリオは最初に買ったグレーのHensを一回はいただけで気に入り、すぐに紺と黒を買い足し3色揃えてしまった。そして重要なのはパンツをはかず素肌に直接この短パンをはくということだ。パンツをはかずにいると何とも言えない開放感がある。寝ている間お腹周りを締め付けないので体にもいい。ノリオは起き上がるとボーーッと立ったまま条件反射のようにニットの短パンを脱ぎ足の指に引っかけ蹴りあげ手で受ける。 (※不思議なことにボーーッとしている割にはほとんどミスがない。) 無意識のうちにギックリ腰の予防をしているのかもしれない。朝は急に腰を曲げない方がいい。これは事実だ。だが、下半身丸出しで、しかも寝起きでまだろくに目も開いていない状態でやるのだ。本人はいたってまじめでも傍 (はた) から見ればかなりおかしい。1人暮らしだからいいものの、たとえ母親でもこんな姿を見せられたらたまったものではないだろう。ノリオもけっして自分では見たくないと思っているに違いない。

  さて、パンツ。長ズボンのことをパンツということも多くなってきた。ズボンのパンツは “パ” より “ンツ” を高く発音することが多い。音符で言うと “ドレレ” とでも言ったらいいだろうか。そして、肌着としてのパンツ、つまり昔ならさしずめ褌 (ふんどし) であり、かつては猿股 (西洋褌) とも言われていたあのパンツ。こちらは “パ” より “ンツ” を低く発音する。 “ファドド” といったところか。ノリオはパンツを Maji か Gep か Union で買う。特に Maji がいい。シンプルなものが好きなのだ。365日身に付けるものだからちゃんとしたものをはきたいという人もいるだろう。これは尤もな話だ。だが、高いものイコール良質品、安いものイコール粗悪品とは限らない。ノリオはパンツのような消耗品にとって大事なのは、1.清潔であること。 2.機能的であること。 3.はき心地がいいこと。 このみっつだと思っているのだが、1はまめに洗濯すれば済む話だし、2はどのメーカーのものも大差がない。3は重要だが上記の店で買ったものはノリオを十分に満足させてくれる。更にデザインはシンプルであるに越したことはない。たとえば10000円のパンツをはいていたとしたらどうだろう。ノリオにはそんな高級なパンツをはいた記憶はないが、気になってしまうに違いないと思うのだ。よくはきよく洗濯して疲れたパンツには感謝の気持ちでお別れをしてまっさらな新入りのパンツに新たな活躍を願えばいい。

  世には大きく分けてブリーフ派とトランクス派がいる。 (※中には男でもTバックを愛用しているという人もいれば、諸先輩方のように今でも褌を愛していらっしゃる方もいる。そしてパンツ不用という人もいるのだ。) ブリーフはピタッとしていて短めのパンツ、トランクスはハンカチのような生地でゆったりとしている。ボクサーのパンツほどではないがブリーフに比べると長めだ。オムツが取れるとノリオは白いブリーフをはいた。当時は親も他に選びようがなかったのだろうとノリオは思っているが少しゆったりとしていたのが懐かしい。10代も後半になってノリオは初めてトランクスをはいた。友達に勧められたのだ。始めは何だかスースーとして落ち着かなかったのだが、次第に慣れて手放せなくなったのを覚えている。 「知らなかった。トランクスってこんなに快適なんだ。」 「ブリーフなんて子供のパンツだな。」 などとうそぶいていた時代もあった。それから6、7年はトランクスをはいていたがノリオは10年ぐらい前にまた違った快感を知ってしまった。そのパンツ、形はトランクスなのだが、生地はニットで伸び縮みする。体にフィットするのだが圧迫感はない。以来ノリオはこのパンツを愛用している。ノリオのパンツ約20枚の中には昔なじみもいれば新顔もいる。そして、はくことはほとんどないがなぜかブリーフやトランクスも混じっている。申年 (さるどし) に買った赤いパンツもあるが色の基本はやはり紺、グレー、黒だ。

  ノリオは靴下にもパンツと同じように真新しさやすっきり感を求めるが3足1000円とか4足1000円のもので十分だと思っている。これこそ消耗品だから傷んだらすぐに替えるつもりでいるのだが、最近の靴下はなかなかどうしてよく作ってある。簡単には傷まない。ただ、スーツを着るときにはく靴下だけは少し値のはるものを用意している。スーツに見合っていなければならないからだ。彼の名誉のために言っておくが、ノリオはただの安物買いではない。彼なりの深いこだわりがあるのだ。いつもなら前の晩に用意しておいたパンツ、靴下、Tシャツ、ジーパンをそのまま身につけて出かけるのだが今日ばかりは勝手が違う。どうしたのだろう、たったひとつが選べない。ノリオのまわりには10枚ほどのTシャツが散らばっている。別に特別な日ということではないのだが、たかがTシャツと簡単に済ませる訳にはいかない。 (つづく)


※続きは7月20日に掲載予定です。

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