1977年当時、成東高校は1学年8クラスで構成されていた。 A組とB組は理数科、 C組からH組までが普通科だった。理数科のA組と普通科のH組は入学試験の成績上位者が編入される選抜クラスだった。 (※2年生に進級するときにクラス替えがあり1年生終了時の成績によって新たにクラス分けされた。普通科から理数科へ、理数科から普通科への変更も認められていた。)
A組とH組は入学試験の点数が高い順に選ばれた生徒で構成されていたことは間違いないと思うが、他のクラスの編成はどのようになされていたのだろう。選抜クラス以外の生徒を得点順に振り分けたのか、あいうえお順に振り分けたのか、それとも生年月日順に振り分けたのか…。出身中学校の割合も男女比も考慮されたに違いない。本当のところはまったくわからないが、このクラス編成ひとつで人生が変わってしまうこともある。
誰といつ、どこで出会うのか…。誰にも予測はできない。このようなクラス編成ひとつ取っても生涯の出会いになることもあれば、その時だけの縁で終わってしまうということもある。ぼくたちはクラス替えを何気なくそして、当然のこととして受け入れてきているが、やはりこれはひとつの
“運命” と言うべきものだろう。生活の中の小さな “変化” にすぎないかもしれないが、後で考えるとあのクラス替えがきっかけで、という話を耳にすることもある。人知を超えた何かに導かれているのだろうか。運命の阿弥陀クジ、運命のルーレットはぼくたちの知らないところで常に働いているようだ。何事も侮れない。
そんな運命の綾を知ってか知らずか、ぼくは1年E組に配された。 ミコトはG組だ。 「どんなやつらがいるんだろう。」 大きな期待とほんのちょっとの不安が入り混じったそんな心持だったが、初日からワクワクの連続だった。入学してから数日後、
ミコトがE組の教室に飛び込んできた。 「いた!ギターをやってるやつがいたよ!」 ミコトは興奮気味にまくしたてた。 コウチだった。 ミコトを上回るような大造りな顔立ちで、五分刈りに毛の生えたような
(はははは、なんてこった、おもしろい。) 頭をしていたぼくやミコトとは違って、すでに校則ギリギリの長髪だった。 (※厳密に言うと校則ではなかったが髪が肩に触れてはいけなかった。)
山武中学校出身のコウチは確かにギターを持ってはいたがフォークギターだった。話してみると、 彼のレパートリーは当時流行っていたかぐや姫やアリスの曲が中心でエレキはまだ弾いたことがないということだった。最高のロックバンドを作りたいと思っていたぼくとしては
『…う〜ん』 『フォークか…だいじょうぶかなあ』 と少々心許なかったが 「ロックバンドなんだけど、やる?」 と強調して聞いてみるとコウチは 「やりたい!」
と間髪入れずに返してきた。心意気は買いたい! 『…とりあえずやってみるか』 「よし、やろう!」 こっちの方がまったくの素人なのに何を偉そうに、と思い出すと笑えるがとにもかくにも
Lips の4人目のメンバーが決まった。 コウチはフォークギターからグレコの白いストラトに持ち変えた。先輩から安く譲ってもらったらしい。 コウチはテンションのきついフォークギターを弾いていたからコードストロークは得意だったが、なにぶんソロが弾けない。
ミコトもまったくの初心者だ。ふたりとも優しげでスッキリとしたいい顔立ちをしていたのだが “ロック” っぽさはなかった。ギターはロックバンドの花形だ。やはりもうひとりギターが必要だ。
同じクラスに無表情で話しかけにくい男がいた。なんとなく気にはなっていたのだが近寄りがたい雰囲気のせいか二言、三言しか言葉を交わしたことがなかった。それがテツロウだった。彼はいつも遠くを見ているようなおよそ高校生らしからぬ目をしていた。ある日、何人かの新しいクラスメイトとビートルズの話で盛り上がっていたときだった。その中の誰かがテツロウに向かって声をかけた。
「テツロウはギターを弾くんだよな。」 近くの席で本を読んでいたテツロウは面倒くさそうにこちらを向いて 「ああ」 と言った。子供の話に加われるかとでも言いたそうだったがさすがにみんなを敵に回すことだけは避けたかったのか渋々話の輪に入ってきた。
(※実は彼もビートルズが大好きだった) そして、エレキを持っていること、中学生の頃からバンドをやっていることなどをポツリポツリと話し始めた。ワイルドでクールな印象の彼はまとっていた空気に違わず、すでに自分というものを持っていた。まだ子供気分の抜け切らないぼくにはテツロウがまぶしく見えた。
『こいつ、かっこいいな』 『バンドに誘ってみようかな』 ルックスも申し分ないし髪も長い。五分刈りに毛の… (はははは、これはもういいか。) 特に何を考えているのか分からないようなところが魅力だった。すっかりテツロウのことを気に入ってしまったぼくは次の日改めて声をかけた。
「一緒にバンドやらない?」 ぼくはバンドにかける気持ちやメンバーのことを熱く語った。断られてもしょうがないと潔く言ったのが幸いしたのか、 テツロウは
「いいよ」 とあっけなく答えた。 「ほんと?」 「ああ」…。 テツロウは白里中学校出身。大学教授を父に持ち早熟でいろいろなことを知っていた。そして、紛れもなくロッカーだった。テツロウのギターは偶然にもコウチと同じグレコの白いストラトキャスターだった。彼はポール・マッカートニーのポップセンスよりもジョン・レノンの精神性をはるかに評価していた。なるほど、ジョンの歌詞を読んでみると奥深い。ぼくはテツロウのおかげでジョンのすごさを知り、ロックにおける
“詩” というものに初めて興味を持った。そしてテツロウをまねて五木寛之の本を読んだりした。
Lips のメンバーが揃った。5人がどういう形で顔を合わせたのかは忘れてしまったが、ドラムのカッツも通学で成東駅を利用していたから駅前の本屋辺りで紹介し合ったのかもしれない。まずは曲を決めてそれぞれがコピー、個人練習するところから始めることにした。ぼくたちはビートルズの
「I saw her standing there」 と KISS の 「Hard luck woman」 を選んだ。そして、コピーに明け暮れる日々が始まったのだ。問題は練習場所だった。数ヶ月後の6月ごろからはドラムのカッツの家でやらせてもらうことになるのだが、この時点では練習場所の候補も思いつかなかった。ぼくは高校卒業後も毎週土曜日に江崎薬局で練習していた
「Mother」 のみんなに相談した。かくかくしかじか…ぼくの話を黙って聞いていた鈴本さんが突然叫んだ。 (つづく)
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