「よし、決まった!おめえら、おっらぁほうの前座やれ!」鈴本さんは真剣な眼差しでぼくを見た。『前座ぁ!?いったいどういう意味なんだ?』何のことだかまったく理解できないぼくは言葉もなく鈴本さんの眼を不安げに見つめ返すだけだった。“前座”の一般的な意味はもちろん分かってはいたが、まだ練習すら一度もしたことのないバンドにそんなことをやらせるはずがない。『きっと何か“違う意味”のことを言ってるんだ。でも、それはいったい何なんだ?』ぼくは頭を巡らしながら次の言葉を待った。だが、鈴本さんは自分で考えろとでも言いたげに眼を閉じてうなずいているだけだ。どんな反応をしたらいいのか、どう受け取ったらいいのか…ぼくは戸惑いながらもその言葉の意味を考え続けた。『前座…「Mother」の次のコンサートの話をしているのかな。他のバンドのライブ?いや、違う。そんなはずないぞ』考えれば考えるほど真意がわからない。ぼくはいよいよ助け舟を出してもらおうと藍さんたちに救いの眼を向けようとした。その時だった。鈴本さんがおもむろに口を開いた。「おっらぁほうが3時から練習すっからおめえらはその前にやればいいでねえが。あっためといてくれや」『!!』『そうだったのか!』“前座”の謎が解けた瞬間、喜びが脳天を突き抜けた。「ええっ!いいんですか!!!」それだけ口にするとぼくは心の中で『やった!』と叫んでいた。
そして、そのすぐ後だった。いや、ほとんど同時だと言ってもいい。ぼくの心に不謹慎ながらまったく別の感情が頭をもたげてきた。『そういうのって前座っていうのかな』ぼくは急におかしくてたまらなくなった。吹き出しそうになるのをこらえるのに精一杯だった。誰かに覚(さと)られてはならないと下を向いていたのだが、ふと横を見ると藍さんも寺口さんもあらぬ方を見て笑いを押し殺している。鈴本さんらしい表現と好意は本当にうれしかったが、いやはや“前座”には参った。今思い出しても笑いが止まらない。『ふるってるだろ』とでも言いたげなその横顔は誇りに満ちていた。
そう、鈴本さんは「Mother」が練習をする前にぼくたちが江崎薬局で練習すればいいと言ってくれたのだ。なんてありがたいんだろう。感謝、感謝だ。だが、この発言に驚いたのはぼくだけではなかった。江崎さんが呆気にとられたような、困ったような複雑な顔をしている。それもそのはずだ。江崎薬局は江崎さんの家なのだ。ここで練習していいかどうかは彼が決めることだった。鈴本さんの先走りに困惑するのも当然だった。それでも江崎さんはぼくの視線に気付くと不思議と笑顔を作って見せた。
江崎薬局は数ヶ月前に改築して2階はよりスタジオらしくなっていた。バンドが練習するのに不足しているものは何もない。いや、今でも近くにあったなら使わせてほしいと思うほどの設備だ。『もし本当にここで練習できたらうれしいな』という期待を胸に江崎さんの言葉を待った。いくら鈴本さんが張り切ったとしても彼の許可がなければ使えないのは明白だ。ただその場の空気はどう考えてもぼくに有利だった。鈴本さんの“前座”発言が大受けしてぼくたちが「Mother」の前に練習させてもらうという話はもう決まったも同然という雰囲気になっていた。鈴本さんに「なあ江崎、いいよなっ」と詰め寄られた江崎さんは他のメンバーの手前もあってOKと言わざるを得なかったのだろう。結局は「そうだよな。それいいね〜。」などとそれまでに一度も聞いたことのない明るい声で了承してくれた。「ありがとうございます!!!」ぼくはありったけの想いを込めてお礼を言った。心の中では申し訳ない気持ちで一杯だったが、こちらとしても死活問題に関わることだった。ぼくは心の中で『江崎さん、すいません。お借りします』と頭を何度も下げた。
さっそく次の土曜日からぼくたちは江崎薬局に集まることにした。あの日、5月の空は晴れ渡っていた。眼に映る何もかもが輝いて見えた。学校が終わると楽器を持って集合だ。ぼくとミコトは学校から連れ立って家路を急いだ。横芝駅に着くと自転車を飛ばしてそれぞれの家に帰り、あっという間にご飯をかきこんで江崎薬局へと再び自転車を走らせた。あのころはソフトケースがまだなかった。いや、あったかもしれないが少なくともぼくたちはその存在に気付いていなかった。「Mother」のメンバーも全員がハードケースだった。ぼくは越川楽器で手に入れたハードケースを左手につかんで江崎薬局の前で自転車を停めた。一番乗りだ。つかつかと階段を上がると2階のドアに手をかけた。「こんにちは〜」と言うと江崎さんがいつものように「おう、あがれや」と招き入れてくれた。ちょっと心配していたのだが江崎さんはすっかり落ち着きを取り戻していた。すぐにミコトがやってきた。ミコトは江崎さんと面識はあったがこの部屋に入るのは初めてだ。初めての練習ということもあってかなり緊張しているようだった。彼のクラスメイト、コウチは次の電車で来ることになっていた。単線のため今でも特急を除くと上下線とも1時間に1本しかない総武本線は発着の時間を覚えやすい。(※朝夕は1時間に2〜3本ある。)九十九里高校に通っていたドラムのカッツも同じ電車に乗っているはずだ。ぼくとミコトは駅まで迎えに出た。初めて横芝駅に降り立ったコウチは眼を丸くして「なんて田舎なんだ…」とつぶやいた。「田舎者に言われたくないな」と光中出身の3人は反撃するのだがなんともレベルの低い話だ。だが、そんなことはどうでもいい。今日は初めてみんなで音を出す日なのだ。ぼくも朝から興奮していた。無限の期待の中にほんのちょっとの不安が模様のようにちりばめられたような…みんながそんな気分だったはずだ。そしてもう一人のギタリスト、ぼくのクラスメイトのテツロウはというと…練習欠席。初回から休みだった。練習があることを告げても「わかった。そのうち行くよ」とまったくつれない。『練習してうまくなったら行ってやるよ』と言わんばかりだ。だが、未経験のぼくたちは『それもそうだな』と妙に納得していた。テツロウはその後もまったく練習に現れなかった。学校ではもちろん会うのだが他にもおもしろいことがたくさんあったらしくいつも充実している様子だった。彼が練習に参加するようになったのはドラムのカッツの家で練習するようになってからだ。夏休みが近付いた頃だと思う。テツロウは愛車のYAMAHA“MR”で練習に駆けつけるようになった。自宅がある大網白里町からは少なく見積もってもバイクで1時間半はかかる。いや、2時間はかかったろうか。テツロウは裸の白いストラトを紐で背中に括
(くく) り付け、えんじの50ccバイクを走らせた。雨の日は合羽(カッパ)を着てギターにも合羽を着せて…。その姿は忘れられない。当然目立ったが他人の眼など関係ないといった彼のスタイルはぼくたちを更に感心させた。
最近江崎薬局の前を通ったら江崎鍼灸医院に変わっていた。江崎さんとは高校を卒業してからも何度か会ったが、それでも22〜23年は会っていない。他の「Mother」のメンバーとは高校1年の秋以来会っていない。ぼくよりみっつ年上だったからみんな49歳だ。元気だろうか。居酒屋で「昔はさ〜」と音楽話に花を咲かせているのだろうか。それともギターを手に今でも歌っているのだろうか。こうやって書いているとなんだか急に会いたくなってきた。
練習といってもみんなで音を出すという点ではライブと変わらない。ぼくたち4人は極度の緊張の中チューニングを始めた。いつのまにか藍さんと寺口さんも顔を出している。3人の先輩たちの眼はぼくたちの筋肉を更に硬直させた。KISSの“Hard luck woman”からだ。カッツのカウントに合わせて演奏が始まった。リズムもチューニングもあったものではなかっただろう。でも、そんなことは問題ではなかった。ぼくたちは生まれて初めて“バンド”として音を出したのだ。正真正銘の第一歩だった。♪If never I met you…ベースを弾きながらぼくは歌った。窓から見える雲が悠然と横たわっていた。 (つづく)
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