「面目ない!」 今編はまず謝罪の言葉からのスタートとなる。誰に対する謝罪なのか…。まずは 「Lips」 のメンバーに、それから読んでいただいている皆さんに対してである。ぼくは六十七の葉の最後に 『成東高校学園祭でのライブがLipsラストステージになってしまった』 と書いた。だが、これは大きな思い違いだった。大切な記憶の欠落と言ってもいい。なぜだ!?実際は学園祭から1ヶ月後の10月後半、ちょうど今ぐらいの季節に最後のライブをしていたのだ。この七十の葉のために 「Lips」 後の話を書き始めたところ 「…」 「あれ?もしかしたらもう一回ぐらいライブやったかもしれない…」 と急に不安になった。ぼくはすぐにカッツに電話をかけた。現在、当時のことを語り合えるのはカッツだけだ。テツロウとは20年、コウチにいたっては27年も話していない。ミコトは5年前にAnother Worldへと旅立っている。 「あのさ、Lipsのライブって成高だけだったっけ?」 「何言ってんだよ、もう一回やったでしょ。東金で!」 「あっ、商工会議所か」 「そうそう」 「多田屋主催のイベントだったよね」 「そうだよ、あの時はさ…」 カッツの話は続いた。彼の言葉はぼくの中で次々と映像になっていった。あのころの状況が生々しくよみがえってくる。 『よくぞ、そこまで覚えていてくれた』 とぼくは時々相槌を打ちながら夢の中で聞いていた。彼は昨日のことのように覚えていると言う。それに比べてぼくはといえば…30年前のこととはいえ自分の記憶の不確かさに愕然としてしまった。いやはや汗顔の至りだ。まったくもって情けない。

  彼が語った話とそこからよみがえった記憶を照らし合わせてみると学園祭後のぼくたちの物語は以下のようになる。その結末は達成感を得た若者たちが陥りやすい典型的な例だと言ってもいい。まずカッツが力説したのは学園祭の後、まったく練習をしなくなってしまった、ということだった。成東高校学園祭での初ライブが終わるとみんなある種の脱力状態になってしまった。この状況は何となく覚えている。今ならば心をニュートラルにするためには必要な時間かもしれない、なんて思えるが、カッツの話によると高校1年生のぼくたちにはそんな感傷などまったくなかったようだ。確かにあのころは大切な行事ほど終わってしまうと加速度を増して記憶の果てへ流れていったように思う。意識は常にまだ見ぬ明日へと向かっていた。コウチは再びフォークギターを手にして友達とデュオを結成し、テツロウは 「Lips」 結成当初のようにバンド活動には無関心をきめてしまったらしい。カッツ自身も覚えたての麻雀に日夜没頭し始めていたそうだし、ぼくとミコトは相変わらず音楽談義に盛り上がっていたという。

  初ライブから1ヶ月ほどしたある朝、電車の中でぼくがカッツに 「10月にまたライブやるから」 と言ったというからたぶんぼくが持ってきた話だったのだろう。東金にある多田屋という楽器屋 (本屋も兼ねていた。) 主催のイベントに出演した。 (※多田屋は八日市場市にもあって子供の頃はそこでよく本を買ってもらった。現在は東金店のみだと聞いた。) 場所は東金商工会議所の1階にある200人ぐらい収容できるホールだった。さすがのカッツもイベントタイトルまでは覚えていなかったがいろいろなジャンルのバンドやグループが出演していたらしい。ぼくはまったく覚えていない。ライブ直前にぼくとミコトとカッツの3人で2、3回は練習したようだ。コウチは1回来たがテツロウは1度も現れなかったとカッツは言っていた。こんなんでライブがうまくいくはずがない。若さに “ムラ” は付きものだがあまりにひどい。まとまってひとつになっていた気持ちがそれぞれの方向を向いてしまったのでは “勢い” だけに支えられていた “バンド力” は失われたも同然だった。演奏はひどいものだったらしい。初ライブで浴びた歓声は静寂いや、白い空気に取って代わり泣きたいほどの出来だったそうだ。そして、ぼくはその後のカッツの言葉に耳を疑った。誰かがその時のライブをカセットテープに録音したというのだ。それを聞いて、 「なんじゃこりゃあ」 とみんなあきれかえったそうだができるものなら、いや、ぜひもう一度聞いてみたい。何がどれほどだったのかを聞いてみたい。カッツも持っていないというのだからそのカセットテープは地に消えてしまったのだろう。

  LIVE (ライブ) とはよく言ったもので、確かに演奏は “生きもの” だ。あの時から30年経った今でも “ライブ” つまりその日の “活き” の良し悪しはステージに上がるまで分からない。同じフレーズを弾いても毎回微妙に違うし、その時の演奏はその時にしかできない。当たり前の話で申し訳ないが10回の演奏は10通りの演奏になる。逆に言うと “2度と同じプレイはできない” ということだ。更に、そこには聴き手がいなければならない。この聴き手がいないとライブは成り立たなくなってしまう。そこにいるのが1万人だろうが10人だろうがライブに変わりないのだが、もしそこにひとりもいなければ演奏は “ただの演奏” になってしまう。だからライブはおもしろい。だからこそライブには魅力が、価値があるのだ。うまく言えないが、ライブとはその時その時の 『聴き手との会話』 であり 『メンバーとの会話』 であり 『自分自身との会話』 のようなものなのだ。

  思い起こせば30年間やってきたライブの中で (※数えたことはないが自分のバンドのライブ、仕事等、すべてを合わせるとゆうに1000回は超えているはずだ。) 納得のいくライブは何度あっただろう…。砂漠の中でダイヤモンドを拾う、とまでは言わないが、どう考えても数えるほどしかない。 (意識をしていてもいなくとも) ぼくたちは自分自身の最高の結晶を生み出そうと物作りの職人のように繰り返し繰り返し “作品” を…それも “宙に消えて行く作品” を生み出し続けているのだ。

  「Lips」 はバンドとしての臨界点を超えてしまったのだろうか。2度や3度のライブでそんなことがあるのだろうか。いや、ないとは言えない。どんなバンドにも始まりと終わりがある。期間の長い短いは関係ない。メンバーそれぞれの人生の糸がどのように絡み合うかが問題なのだ。 「Lips」 は3度目のライブで燃え尽きた。 「テツロウとはあの日以来会ってないや」 カッツの言葉が胸に響いた。 (つづく)

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