11月13日は朝から晴れ渡っていた。薄く開けた窓から吹き込む風がなんとも心地いい。この日、ぼくは銚子に向かって愛車を走らせていた。約束の時間は12:00、実家のある横芝光町から銚子西高まで約1時間だ。
話は2ヶ月前に遡 (さかのぼ) る。六十八の葉に書いた9月16日の東陽小学校の運動会で 「伸ちゃん!」 と突然声をかけられた。振り向くと声の主は後輩だった。後輩と言ってもただの後輩ではない。筋金入りだ。彼女は中央保育園に始まって東陽小学校、光中学校、成東高校と15年に渡ってぼくの1年後を歩いてきていた。20数年振りに会った彼女は挨拶もそこそこに、自分が高校の教師をしていること、数年前にぼくが光中で講演と演奏をした新聞記事を読んだこと、赴任先である銚子西高校でも演奏をお願いできないかということ、それは1年生の進路指導の授業であること等を矢継ぎ早にまくし立てた。驚くほど順序だった話は、まるでぼくに会うことを前提にしていたかのような話ぶりだった。ただ、その情熱のこもった口ぶりから彼女がどんな先生なのかが垣間見えた。 「いいよ!やる」 ぼくは即答した。後輩の頼みを断る訳にはいかない。いや、実際はぜひやらせてほしいと思ったのだ。40年以上教師を務め校長にまでなった父や少年時代にめぐり会った個性豊かな先生たちの影響もあって10代前半のぼくは教師という職業にも魅力を感じていた。ミュージシャンになっていなかったら教師を目指していただろうことは間違いない。
国道126号線を走り飯岡にさしかかろうかというところで網戸 (あじと) の交差点を左に折れ北に向かう。太平洋を背にして北上し利根川方面に向かうのだ。利根川の向こう岸は茨城県、その先には鹿島灘が広がっている。銚子と言うとどうしても
“海” というイメージが先行してしまうが目の前に広がる景色は意外なものだった。緩やかな坂道が長く続いている。地図で見ると東総地区では唯一山らしい山だ。ここを歩いて通う生徒は大変だろうなと思う。道の両脇には豊かな緑に混じって畑が点在している。手入れが見事に行き届いていて気持ちがいい。見たこともないような巨大な風車が視界に飛び込んでくると学校らしき建物が現れる。銚子西高は小高い丘の上に佇んでいた。振り返ると風車はやけに悠然と円を描いていた。
最寄り駅は総武本線猿田駅と成田線椎柴駅だ。歩くとゆうに20分はかかるという。雨の日などは難儀するに違いない。猿田駅も椎柴駅も無人駅だ。猿田駅近くにある猿田神社はサルタヒコら3神を祭る由緒ある神社だ。早めに着いたら訪ねてみようと思っていたのだが、その機会は次回へと持ち越されてしまった。ぼくは前日の12日に実家に帰っていたので13日の朝をゆっくりと迎え、東京から直行してくるこの日の相棒である友人のギタリスト佐藤誠と横芝光インターで待ち合わせて一緒に銚子に向かうことにしていた。ところが彼は東関東自動車道から京葉道路に入りそこね成田方面に向かってしまった
(笑)。おかげで横芝光インターを出発するのが予定より40分ほど遅くなってしまったのだ。
車を停めると先生方に手伝ってもらいながら楽器を視聴覚室に運び入れた。ベースの他にコンボアンプ、エフェクターボード、ギタースタンド、シールド類…ほぼ一式を持参した。学校の匂いは独特だ。視聴覚室も楽屋代わりとなった化学室も懐かしい匂いであふれている。一瞬にして自分が生徒だった頃にフィードバックしてしまうのだからおもしろい。SF映画のように何かの拍子でタイムスリップする、なんてのもいいなと本気で思ってしまう。余裕を持って着いたつもりがセッティングが終わると時刻は13時を過ぎていた。5時間目の授業は13:20からだ。間もなく生徒が集まってくる。
「そろそろお願いします」 学年主任の先生の声にぼくは 「はい」 とうなずき教室に入っていった。普通科3クラス、看護科1クラス、約160人の目がぼくに注がれる。彼らが興味津々なのは当然だ。40歳を過ぎたミュージシャンてどんな人なんだろう。どんな演奏をするんだろう。ぼくが16歳だったらやはりそう思ったに違いない。ぼくは16歳の時、40歳の自分なんてまったく想像もできなかった。せいぜい数年後までしか思い描けなかった。5時間目はぼくの
“話” だ。ライブは6時間目、いよいよ2時間にわたる “授業” が始まった。ライブやコンサートを散々やってきているせいもあって人前に出るのはそれほど苦ではないがベースを持っていないと何だか落ち着かない。結果から言うと5時間目の自己採点は40点だ。話そうと思っていたことの半分も伝えられなかった。自己紹介から始めてまずはこの話を…そして、これを話して最後にはこれだ…等とメモしておいたのだが、やはり緊張したのだろう。順序立てて話せなかったばかりか話したかったことの半分しか話せない羽目
(はめ) になってしまった。
ぼくはこの話が決まったころから折りに触れて何を話そうか考え続けていた。 『何を伝えたらいいのか…』 『一番伝えたいのは何か…』 授業の主題は
“進路” 、誰もが悩む問題だ。まずはストレートに核心を突こうと思った。夢と才能についてだ。生徒のみんなにはあらかじめ 「夢」 と 「10年後の自分」
という文を書いてもらっていた。 “夢” とは叶わなくとも許される、純然たる願望を意味する抽象的な言葉だ。それとは逆に 『10年後の自分は何をしていると思う?』
とはっきり聞かれたらどんなことを書くのかに興味があった。看護科の生徒の多くは夢と10年後の自分の姿が一致していた。やはり看護科を選ぶにはそれなりの覚悟がいったのだと思う。看護師の仕事は偉大で感動的だ。単なる想像と実際に近くで見るのとでは雲泥の差がある。彼女たちには
「決めたのならぶれずに真っ直ぐ進んでほしい」 と伝えた。問題は普通科の生徒たちだ。ぼくたちのころもそうだったが普通科、それも1年生でははっきりと夢を語れる生徒は極端に少ない。仕事に就くにはその仕事に見合うそれなりの才能が必要だ。さて、その才能とは何か…。ぼくは最近、どんな仕事を選ぶにしても必要な共通の才能があると思い始めている。1番目の才能は
『好きであること』 だ。 (※ぼくは 「好きであり続けること」 も才能のひとつだと思う。) 2番目は 『続けられること』 。そして、3番目以降に
『筋がいいこと』 等がくる。20数年のミュージシャンとしての生活から学んだことだ。自分だけではない。多くのミュージシャンを見てきて正直そう思うのだ。とにかく今は、
『自分は何が好きなのか』 『どういった傾向に興味があるのか』 をしっかり見極めてほしいと思う。更に “努力線” という言葉を使って 「時間と技能・技術は比例しない
ということ」 を伝え 「一流の仕事はないが、すべての仕事に一流の人はいる」 と伝えた。その他、外国の話や英語は勉強した方がいいという話をしただけで5時間目は終わってしまった。あっという間だった。
“子供” と “大人” の境目なんてものはない。 『いついつから大人になる』 『大人の考え方になる』 なんてことはない。君たちの周りのどんな大人も15歳の心、20歳の心は持ったままだ。ただ時間の経過とともに忘れてしまっているだけだ、ということも伝えたかった。
「今の若いやつは…」 と杓子定規にものを言う大人に対しても 『この人はきっと10代の心を忘れてるんだな、思い出してみればいいのに』 と逆に大きな心で包んでしまうようなそんな若者でいてほしいと伝えたかった。ぼくのメモにはもっと多くのことが書かれていたのだがそれは次の機会のために取っておこうと思う。再び彼らに会えるような気がしてならないのだ。
6時間目はライブだ。ギターの佐藤誠とふたりで 『Come Together』 /The Beatles、 『White Room』 /Cream、
『Imagine』/John Lennon、 『I was born to love you』 /Queenを演奏し歌った。 『I was born…』
では大きな手拍子がドラムの代わりに温かいリズムを刻んでくれた。最後にロックアレンジを施した銚子西高校歌を全員で合唱してステージは終わった。ライブを見つめていた生徒たちの顔は…。想像にお任せしよう。
銚子西高といえば4人の野球部後輩を思い出す。ぼくが光中3年生で野球部のキャプテンをしていた時の1年生だ。彼ら4人は銚子西高に進みピッチャー、キャッチャー、1塁手、スコアラーとして甲子園に出場した。毎年11月に行われるようになった当時の野球部顧問の先生を囲む会
“押忍の会” (※四の葉参照) で現役光中チームと対戦するOBチームの先発はもちろんこの時のエースだ。今年はOBチームが7対4で初勝利、彼は勝ち投手となった。ぼくはといえば2番セカンドで先発出場。第3打席に念願のヒットが出た。ライトオーバーのタイムリー3塁打だ。真新しいグローブとバット持参で参加した甲斐があったというものだ。来年もフルスイングを心がけようと思う。
銚子市立銚子西高等学校は来年3月をもって銚子市立銚子高等学校 (通称:お山) と統合されることとなった。また、県立銚子商業高等学校と県立銚子水産高等学校も統合される。現在も歴史の一部であることに変わりはないから
“変化” は常に付きまとう。それが現実だ。だが、こんな時はポジティブに受け取った方がいい。 「合併した時の一期生だよ」 と自慢にしてしまえばいいのだ。たとえ1年でも銚子西高に通った事実は消えない。西高魂はそれぞれの心の中で永遠に失われることはないのだ。将来、時間が経つにつれて何気ない登下校の景色や先生や友達の笑顔がどんなに大切なものになっていくのか。その価値は計り知れない。
最後に…校長先生を始めライブを許可してくださった先生方に感謝するとともに不思議な縁で出会った彼らがあの輝いた瞳を曇らせることなく充実した人生を歩むことを願いたい。帰り際、誘われて屋上に上がった。利根川から鹿島灘までが手に取るように見えた。かもめ大橋がさっそうと横たわり、巨大な風車が整然と仕事をしていた。校舎の裏には羊舎も見える。ぼくは携帯電話のカメラで風景を数枚写し、最後に偶然そこにいた8人の生徒と共に写真に収まった。シャッターを押してくれたのはぼくのもうひとつの夢を叶えさせてくれた後輩だった。
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