「Lips」 は大きな打ち上げ花火のようにぼくたちの空に精一杯の音の輪を広げ、散った。力は出せたのか…出せなかったのか…出し切ったのか…出し切れなかったのか…。それは誰にも分からない。どんな可能性があったとしても 「Lips」 の歴史は閉じてしまったのだ。解散、または消滅してしまった他の数多くのバンドと同様に 「もし…」 「…たら」 「…れば」 で語ってはいけない。終わりは終わり、それ以外の何ものでもないのだ。ただ、この終わりはぼくの、ぼくひとりの…まさにひとりよがりと言っていいほどの一方的な幕引きによって引き起こされた。当然だが他の4人のメンバーにはそれぞれの想い、言い分があった。

  ミコトは 「なぜだ!」 と怒った。 「あれほど一緒にがんばろうって言ったじゃないか…」 「バンドやろうって誘ったのは誰だよ」 この冬から1年以上、彼はぼくを遠ざけた。当然だとも思う。ミコトは高校生になってからギターを手にし、寝る間も惜しんで練習した。そして、バンドとしての初ステージも成功し、 『これからが本格的な活動だ』 と思っていたに違いないのだ。彼は誰よりも燃えていた。そんな時に肝心のバンドが無くなった…。言い出したぼくに矛先が向くのは当たり前だ。ミコトと同じクラスのコウチもぼくに対してあからさまに嫌悪感を示すようになった。それほどの反感をかうようなことをしてしまったのだから報いは当然なのだが、当時のぼくは 『これも仕方のないことだ』 となぜか冷静に割り切ったところがあった。いったいどんな神経をしていたのか、理想のバンドを作るためならどんな責めを受けてもいいと思っていたのだ。カッツもミコトやコウチと同じ気持ちだっただろう。だが、彼は彼なりの抗議を無言で貫いた。テツロウは相変わらず “我関せず ” だ。

  ミコト、カッツ、コウチの3人は後 (のち) にベースのイチオを迎えて新たなバンド 「CHAINS」 を結成した。イチオは光中の同級生、やはり彼も野球部員だった。チェーンズという名が示すように彼らはハードロック色をより強めKISSのカバーをレパートリーの中心にしていた。ミコトはギブソンのフライングVを手に入れ決意を新たにした。イチオはグレコのリッケンバッカーモデルを使っていた。ポール・マッカートニー仕様でドット・ポジション。ネックにバインディングはない。かっこいいベースだ。数年前にイチオはこのベースをぼくにくれた。突然のことでびっくりしたが今は横芝光町の実家で大切に保管されている。

  その後、ぼくはプロデビューするまでに何度となく残酷とも言えるようなメンバーチェンジや解散劇を演出することになる。後述するが、加入したバンドにいた女性メンバーを女性だというだけで追い出したこともあった。謗 (そし) りは免れないが、なぜかバンドは男の戦う場だと思っていたのだ。更に、レコード会社との契約を目の前にして、長年同じ時間を過ごしたメンバーに 「辞めてほしい」 と伝えたこともあった。辛くとも苦しくとも妥協できなかった。いや、妥協しなかった。ぼくにとってバンドとはそれほどまでに絶対的な存在だったのだ。今となっては苦 (にが) い思い出だが、当時はどうしようもなかった。考えるも何もない、ただ目的に向かってがむしゃらに突っ走るだけだった。

  高校1年生の冬、ぼくは新しいバンド作りに着手し始めた。ほんの半年だったが 「Lips」 での経験は大いに役に立った。メンバー集めから楽器選び、選曲、リハーサル、バンドのイメージ作り等々…すべてに渡って一通り体験できたことは大きな財産となった。中でも一番の収穫は実際にお客さんの前で演奏できたことだった。新しいバンドを作るにあたっては大事なキーワードがあった。 “コーラス” “ハモリ” だ。そのころ、ぼくが聴く音楽はビートルズに集中していた。メンバーは “4人” 、そして “全員が歌う” ということに何としてもこだわりたかった。

  「Lips」 ではぼくとテツロウが歌った。テツロウは歌い方からしてジョン・レノンだった。彼の言葉の端々からジョンの影響が感じられ、精神性までも受け継ぐんだという意思が見え隠れしていた。ぼくはテツロウをジョンに、自分をポールに重ね合わせるようになっていた。大それたことのように思えるがバンドをやっている人ならこの気持ちは分かるはずだ。多かれ少なかれ皆、あこがれの誰かに自分を重ね合わせたいものなのだ。テツロウとは認め合うところがあった。言葉には出さなくとも今後も一緒にやっていくだろうという予感があった。テツロウもそう感じていたはずだ。

  ピートルズのボーカルはジョンとポールが中心だがジョージとリンゴもリードボーカルをとる。曲の中でリードボーカルが変わることもあれば3声でメロディーをハモることもある。変幻自在だ。4人のコーラスワークは今聴いてもゾクゾクするほどだ。ボーカルパートだけではない。デビューして間もないころから楽器のアンサンブルにも変化が生まれ、あっという間にロックンロールの域から抜け出してしまった。テクニック的には卓越した技術があるとは思えないが、センスのいい音色や的確な音の配置は絶妙だ。更にジョージ・マーティンという稀代のアレンジャー・プロデューサーの存在は絶大で、クラシック音楽や現代音楽の要素をも取り入れたアレンジ (編曲) は画期的だった。後のほとんどのロックバンドがその影響を受けたというのも頷 (うなず) ける。七十二の葉で述べたように今月13日に高校を訪れて1年生の前で歌ったのだが、2007年の今になってもビートルズの曲を知っている生徒が大勢いたのにはビックリした。

  新バンドに必要なのはジョージとリンゴだ。しかしボーカルのとれるリードギタリストとドラマーが簡単に見つかるとは思ってもいなかった。そんなある日、中学校で隣のクラスだったリッカに声をかけられた。 (つづく)

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